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【三人閑談】
ナポレオン没後200年

2021/05/17

立体的な戦略

菊澤 ナポレオンの戦い方は、非常に緻密で、心技体(心理・技術・物理)の多元的で立体的な戦略であり、それが実に見事だと思います。

クラウゼヴィッツなどは、物理一元論で武力一辺倒です。ところが、ナポレオンは武力だけではなく兵士の心理もくすぐりますし、さらに戦術も上手で、物理、心理、技術を多元的に操る戦略を華麗に展開します。この点は、今でも学ばなければいけないという感じがします。

例えば、物理的観点でいうと、最新兵器を常に保持しています。また、彼が気にしていたのは兵士の酒とパン、そして靴をすごく気にしています。革靴が揃っていないと兵士の進軍の速度に影響するのできちんと用意する。それから心理的には愛国心をくすぐり、私有財産制を守ると言って、兵士の士気を鼓舞することもすごく上手です。若い時はリーダーとして率先垂範で前線に出ていって兵士の心を動かしています。

加えて、戦術的にも今に続く師団制度というものをつくる。この発想は彼からで、これは今の企業でいう事業部制のことです。大軍団制では移動すると長い列になってしまう。それを師団単位に分割し、同時並行して進軍すると、速度が全然違う。ナポレオンは、このような軍事革命をたくさん起こしています。

後平 ナポレオンは第1次のイタリア軍総司令官となってミラノを占領した後に、占領軍として各サロンに将校が招かれても履いていく靴がなかった。こういうひどい目にあった経験から学んだことが、後に生きているのかなと思ったのですが。

菊澤 これは経験なのかどうかは分かりませんが、そういうことに気が付いていたと思います。ナポレオンの軍隊にはスタッフ部門があり、靴などを管理する係をつくってそこに配属させています。だから意外と細かい点も気が付いていて、それがまた兵士にとって受けがよかったのではないか。

結構、兵士の間にも気軽にしゃべりに行っていたようで、「ちびの伍長」(petit caporal)とか言われていたようですね。

後平 そういうあだ名をつけられて、みんなに親しまれていた。ところが彼が統領になった時、昔の彼を知っている仲間が、パリの宮殿で彼を見かけて「あ、偉くなったあいつだ。俺が紹介してあげよう」と近くに行ったら、とても、いわゆる「チュトワイエ」などができるような雰囲気ではなく、何も言わずに戻ってきたという。その頃から野心を抱き始めたんでしょうね。。

「ナポレオン伝説」の系譜

堤林 1821年に死んだ後、まさにラス・カーズの回想録(『セント・ヘレナ回想録』)で、彼の伝説が誕生するわけです。

いわゆるナポレオン神話ですが、フランスは苦境に立つと、ルイ14世も含めた過去の栄光をノスタルジアとして抱きながら、傷付いたプライドを修復しようとする。その流れはずっとあって、フランス的なアイデンティティーとしての「偉大さ」と言われる度に、ルイ14世、ナポレオン、ドゴールが出てくる。

元首相ドビルパンもそうですが、多くの人たちがフランスの偉大さを強調する時にナポレオンに言及し、ナポレオン的なイメージというものを援用するわけです。

ラス・カーズの回想録によってナポレオン神話が誕生して、ナポレオンの遺骸をフランスに持って帰ってこようというプロジェクトが実現するのが何と七月王政期なのです。王権側がナポレオンを政治的に利用しようとした。そういう流れが今日まで続いています。

今年、ナポレオンの没後200年に際しても、そのようなことをするな、という意見もあれば、してもいいけれど、célébration「祝賀」ではなくて、commémoration「記念」でなければいけない、それを皆で記憶し、過去の歴史というものを理解するために必要だという人もいます。

最初は解放戦争だと、真に受けた人もいたわけですが後に変わっていくわけです。ベートーベンも最初は期待しますが、後に失望する。さらに問題になるのは、ナポレオンが、1794年に廃止された奴隷制を復活させていることです。なぜフランス革命の理念を掲げながらそのようなことができるのだと猛反発する人もいる。

常にコントラバーシャル(物議を醸す)だと思います。おまけにマクロンが今度記念演説をするという話です。たぶんル・ペンから票を取るのが主たる目的なのではないかと思いますけれど。

後平 皆、政治利用ですよね。甥のナポレオン3世だって、皆からばかにされていたのだけど、ナポレオンという名前が効いてしまって、大統領から皇帝にまでなってしまう。

日本でのナポレオン人気

堤林 なぜ日本で、ナポレオンが人気があるのか、不思議と言えば不思議で、イギリスではもちろんそのようなことはないし、アメリカでも一部の例外を除いてない。でも、日本では古くは吉田松陰がすでにナポレオンにはまっているわけです。ラス・カーズの回想録も明治45年には翻訳が出て、前田長太という慶應の先生が訳している。

菊澤 現代の企業人からはあまり聞かないのですが、旧軍の軍人の中でナポレオンが好きな人はかなりいたようです。石原莞爾なども好きだったのではないかと思います。やはり軍人として華麗なので憧れるのだろうと思います。

軍事的な歴代英雄といえば、カエサル、ハンニバル、そしてナポレオンとくるのでしょうね。やはりスーパースターと数えうる中の1人だなという感じはします。

後平 これだけ遠大な野心を持ち、それを実現しようと思った人は他にいなかった。スタンダールもそのようなことを言っていた気がします。古代人と比較すれば、近代人は私生活の安寧と楽しみで動いているのだから、今時そんな大昔のようなことをいっても、完全なアナクロだと、たぶんコンスタンはそう思っていましたね。

堤林 そちらのほうがある意味健全だと思うのです。ナポレオンのような英雄は戦争がないと誕生しない。コンスタンは近代というのは商業社会で、文明化しているのだから平和に向かうといっています。モンテスキューや、アダム・スミス、カントも似たようなことを言っている。

ただそれは予測が外れ、20世紀になってヒトラーが出てくるわけです。だからあまり真似しないほうがいいということなのではないかと思いますね。

EUの理念の関係から言えば両義的なところもある。ナポレオンは自由や平等といった理念を一応プロパガンダとしては体現しているわけです。しかし、ヨーロッパ共同体は二度とああいう戦争を起こさないためにできた枠組みですからね。

とにかくナポレオンは今後も論争を呼ぶ人物であることだけは間違いないと思います。

(2021年3月19日、オンラインにより収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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