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【三人閑談】
ナポレオン没後200年

2021/05/17

スタンダールの心酔

菊澤 ナポレオンの正統性というのは、彼の生まれも関係していますよね。もともと彼がコルシカ島にいた時はイタリア支配で、それがフランス領になる。だからある意味で本当のフランス人ではない。そこを追求されると非常に弱いところがある。

後平 同じことを例えばシャトーブリアンなどは悪口を言っている。ボナパルトと言わずにブオナパルテ(コルシカ語)ですよね。どうしてこれほど戦場でフランス人の血を流すことができるかと言えば、彼はフランス人ではないからだと。つまり王だったら自分の臣民を大事にするけれど、彼はそのようなことは考えていないと。スタール夫人も、ちょっと普通のフランス人とは違う人種、違う人格だと事あるごとに言っていている。

だけどナポレオンに抵抗して彼を敗北に導いたきっかけは、例えばスペインでの戦争で、スペイン人というのは、ナポレオンの言葉によればどうしようもない連中だということになるわけですが、これがナポレオンに抵抗できた。

あるいはロシア。『追放10年』で、スタール夫人は逃げている間にいろいろなところを見ていますがロシア人は全然違う。文明化される以前の人たちで、こういう人たちがナポレオンを粉砕する可能性があると言っているわけです。

だから、逆にナポレオンに心酔していたスタンダールなどは、フランスが大嫌いで、イタリア軍総司令官までのナポレオンのことは、本当に絶賛している。第2次イタリア遠征の時に若いスタンダールはミラノに入っているんですが、晩年になってから自伝でそこに筆が及ぶと思い出が頭を占領して、興奮してドキドキして書けなくて、しばらく部屋の中を歩き回ったと書いてある。

スタンダールはジュリアン・ソレルによってナポレオン時代の、ナポレオンを仰ぎ見ていた若者たちの姿をそのまま引き継いでいる人物造形をしたのかなと思います。

フランス政治の連続性

後平 コンスタンは小説『アドルフ』を書いていますが、政治家という側面が強いのでしょうか。

堤林 そうですね。文学者というアイデンティティーはあまりなかったようです。

コンスタンの場合、難しいのは、ナポレオンに対してずっと批判的だったのだけど、百日天下の時に協力してしまうわけです。そこで転向といいますか、Constant l’inconstant「一貫性のないコンスタン」と揶揄されるようになる。

でも彼は『百日天下についての回想』という本の中で、なぜ協力したかというと、自分の考えているリベラルな国家というものがナポレオンの下で実現可能かもしれないと思い、憲法を起草するわけです。L’acte additionnel「帝国憲法付加法」というものです。それはリベラルな憲法で議会も重視し、言論や出版の自由も尊重するものでしたが、百日天下で終わったので結局実現しない。ですからコンスタンとしては転向したつもりはないのです。

ただ、フランスの伝統的な国民性に絶対的な権力というものを尊ぶエートスもあって、それをトクヴィルが後に回想録(『フランス二月革命の日々――トクヴィル回想録』)の中で問題にするのです。フランスにおいては立憲主義がなかなか成立しない、個人的自由というものがなかなか尊重されないのだと。

「フランスにつくることのできないものがただ1つだけ。それは自由な政府。そして破壊することのできない唯一の制度がある。それは中央集権である。どうしてそれを消滅し得ようか。政府の敵はそれを好み、支配者もそれを熱愛している」と言っています。

同じようなことはモンテスキューも言っている。だから多くの思想家や歴史家は革命による断絶を強調しているけど、トクヴィルは、そうではなく、ルイ14世からジャコバン支配、そしてナポレオンの統治まで全部つながっていると、むしろ連続性に注目する。どんどん中央集権化しているのだと言うわけで、それはその通りかなと思います。

フランスの「偉大さ」

後平 ただ、フランスの場合、貴族の力が強かった頃は、貴族は王様に抵抗することこそが王様を思うことだというところもありますね。

堤林 おっしゃる通りで、モンテスキューはルイ14世の絶対主義を批判するわけです。貴族は重要である。中間団体として王権を制約することによって自由が実現するのだというわけです。しかし、実際には、ルイ14世以降どんどん中央集権化が進み、それがフランス革命を経てナポレオンによって完成されていくことになるわけです。

よくフランスのgrandeur(偉大さ)ということが強調されます。ドゴールも「フランスは偉大でなければフランスではないのだ」と言うのですが、よく言われるのは、ルイ14世─ナポレオン─ドゴールという流れです。フランスの偉大さが、1つのアイデンティティーとされている起源はルイ14世だと。もちろんシャルルマーニュ(カール大帝)であるとも言えますが、そのように壮大な支配を彷彿とさせるものが重視される。

それをスタール夫人や、親英派の人たちは、立憲主義的な立場から、権力の集中とか主権の絶対性は危険なのだと訴えるわけですが、フランスではあまり定着しない。

後平 トクヴィルも権力と人民との間にあるべきである中間組織、つまり昔の大貴族たちがどんどん王権によって浸食されてなくなってしまい、絶対権力と人民だけになっているのをすごく批判している。

しかし、ギゾーなどは、むしろ逆で中央集権を進めて、国の持っている地方にある力を全部パリに集め、指令は全部パリから出すと考えて、トクヴィルとぶつかるわけですよね。

堤林 ぶつかりますね。

後平 その当時の権力者は圧倒的にギゾーで、トクヴィルはしがない議員でしかなかった。しかし、今や評価は逆転している。中間的な勢力がなくなっているというのは現在まで続いている大きな問題ですよね。

堤林 ピエール・ロザンヴァロンはそこが重要だと言っています。今日的な用語を使うと、シビル・ソサエティ、市民社会のような中間団体がないと権力を制限することもできないし、また人民の意志というものをボトムアップで表現することも難しくなると言うのです。

ただフランスはやはり一般意志は絶対的で、立法権は無制限であるという伝統が続いていく。それがようやく変わったのは1970年代だと言われています。それまでは議会、立法府が国民を代表して一般意志を表現できるのだから、それを制約できる他の権力はないということで、長い間、違憲立法審査という制度が存在しなかったのが、ようやく70年代になって憲法院がそのような機能を担うことになる。

モンテスキューの逆襲と表現されることもあるのですが、ずっとルソー主義でやってきたものが、ある意味では立憲主義に近付いたと。それでようやく革命が終わったと、ドラマチックに言う人も出てくる。

しかし、2005年頃、暴動や事件があって、EU憲法が否決されたりすると、一部の議員から第5共和制をやめたほうがいいと、第6共和政の憲法草案が出てくる。このように上手くいかないと、憲法ごとひっくり返して新しくやろうという漸進的ではなく革命的な伝統がまだ残っています。

後平 ナポレオンの時代も1795年の憲法は駄目だからといって、全く違う99年憲法(共和国8年憲法)ができますね。

堤林 確かフランス革命から現在まで憲法は15回変わっているのです。

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