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【三人閑談】
万年筆の愉しみ

2021/01/25

手書き文化のテクノロジー

中田 私どものものづくりのこともお話ししておきます。中屋万年筆は創業時から1人1人の筆記のスピードや筆圧を製品開発に生かせないかと思って「筆記カルテ」と言って、万年筆の製作指示書にもなるお客様のデータをいただいています。

こうした蓄積を生かした研究を、応用統計解析がご専門である慶應理工学部の鈴木秀男先生のゼミの方々に定期的にご協力いただいているのです。収集したデータを科学的に解析し、お客様(社会)に還元できるようにと思っています。

また慶應理工学部で力触覚(リアル・ハプティクス)の研究をされている、現在MITにいる野崎貴裕先生にもご協力いただいているんです。筆記カルテを活用し、筆圧と筆記中の私たちが言うところの「動態筆圧」、筆記している感覚の快・不快などの波形データを収集する研究を助けていただいています。

お客様の〝最適な今の筆記コンディション〟を保存して差し上げる。(筆記)カルテがある以上その方の健康状態の把握も対になるかと。そんな研究をしているんです。

宮原 とても面白いですね。私達も店頭ではお客様の手の大きさや筆圧、字の大きさなどを拝見してお勧めの1本をご提案します。この方には硬いペン先が合うなとか、この方、手が大きいからちょっと太軸の大きいものを紹介しようかなとか。

数少ない情報から目の前のお客様に最適な1本をご提案するのが我々販売員の腕の見せどころだと思っていたのですが、中屋さんのような科学的なアプローチが進むと、私達の仕事がなくなってしまうかもしれませんね(笑)。

中田 いえ、お客様との接点こそがとても大切な部分なので、私達だけでなく販売に関わる方々のお知恵は必要です。ぜひ一緒にやりましょう。

宮原 今はもう数字やデータにもとづいて、ペン先や軸の設計が可能だったりするのでしょうか。

中田 まだ統計的有意性が出せるレベルには達していません。動態筆圧については、5年前にとにかく何かやろうというところから始めたばかりですので。

デジタルに負けない筆記具

宮原 脳科学の分野では手で文字を書くことは認知機能の低下を防ぐという記事を読んだことがあります。パソコンのタイピングのような〝打つ行為〟では脳が活性化しないそうなんです。

実際に手で書く時、紙の上でどこに、どのように書くか、と頭の中で整理していく動きが脳を活性化させるそうです。そういう意味ではあらゆる世代の方に手書きの良さを伝えていきたいですね。

山縣 私達はたぶん書くという行為を通じて「編集」しているのだと思います。例えば、話した内容をメモに残す場合、タイピングではただの記録になってしまいますが、自分の手で書き留めることで話をまとめる作業も同時に行っているのだろうと常々思うんですね。

だから、デジタル時代の中で「万年筆なんて何だ」という人もいるかもしれないけれど、逆の贅沢さとか意味付けが出てきて、エッジを立てられるのではないかと思うのです。

デジタル時代にのみ込まれて万年筆が消えるのではなくて、万年筆は自分の立ち位置を明確にして、深くその世界をきちんとつくれれば決して負けないものだと私は思っているのです。

中田 大学生になる前に、不自由な道具で、無用の用というか、そういう時間を持てる人というのは、かなりクリエイティブなことができるのかもしれないとは思います。

万年筆はそれ自体の重さで勝手にインクが出るのです。そこでスッと脳に考えが上がってきたときに、描画とか殴り書きでもいいから、実際に書くことによってマッピングをしていくことができる。

考えを可視化するだけだったらパワーポイントでもいいでしょう。でもその思考のプロセスにはやはり手書きの筆記具というのは何かあるような気はしますよね。

山縣 今のお話を聞いて思い出したんですが、私が駆け出しだった頃の先輩記者達は、原稿を書き始める前からすでに頭の中で文章ができていて、万年筆で原稿用紙にパッパッと書いておしまい。修正の手を入れることはほとんどなく、それは見事なものでした。

私は鉛筆で書いたり消したり、吹き出しを作ったりしてぐちゃぐちゃになった原稿用紙を先輩に提出する有様だったので、先輩たちに秘訣を訊くと、「君は頭の中でまとまっていないから書いたり消したりしているんだ。書く前からきちんと整理しておけば、直す必要なんてない」と言う。なんてかっこいいんだと万年筆のきれいな原稿にあこがれていました。

中田 かつての企業には万年筆で書類を書く人も多かったですよね。文章の構成力を身に付けるうえで、手書きというのはよい訓練になるのでしょうね。

宮原 万年筆が似合う人を表彰する会があるのですが、その会の特別ゲストでアイドルの生駒里奈さんからこんな話を伺いました。「あなたが万年筆を使うとしたら、どういうふうに使います?」というインタビューに対して、紙に「ありがとう」の手書き文字と自分の手と、その時に使った万年筆をまとめてスマホで撮って送ると答えていたのが印象的でした。

手紙を書いて、封書に入れて、切手を貼って、ポストまで持っていってなんて、メールやラインのスピードにはかなわないかもしれないですけど、それでもやはり手で書いた文字以上に味のあるものはないのかなと思いました。

自分の想いを相手に伝えたいという気持ちがなくならないかぎり、「手書き文化」は生き残るのかなと思っています。

コレクションの愉しみ

宮原 ちなみに山縣さんは何本ぐらい万年筆をお持ちですか。

山縣 30本ぐらいですね。今日は私が持っているプラチナ万年筆をすべて持ってきました。デスクペンから300円のプレピーに、そして〈#3776センチュリー〉です。

中田 オリジナルの〈#3776〉の開発の発端となったのは梅田晴夫先生が「理想の万年筆」というテーマでお書きになった文章だったんですね。それを読んだ先代が、その万年筆づくりをぜひ当社にやらせてくださいと頼み込んで始まったと聞いています。

販売面でも随分お金をかけたようで、森村誠一さんや開高健さんなど、当時一流の作家50人に〈#3776〉で書いてもらった直筆原稿が残っています。

山縣 それはすごいです。

中田 面白いのは「こんな万年筆ではあかん」と書く人もいて(笑)。当時の作家の方々の万年筆はやはりモンブランのような極太が主流だったので、そのなかでカリカリとした細字の書き味が好みじゃない人もいたようです。

山縣 他社のものでは丸善日本橋店のベテランの女性の販売担当の方に勧められて買った、銀製のキャップのペリカン万年筆がバランスも良く小さくてすごく使いやすい。

中田 私もペリカン好きですよ。

山縣 今日はプロのお2人が相手なので、ついいろいろ持ってきてしまいました(笑)。これは丸善が輸入して日本に入ってきたオノト、丸善がウォーターマンと作った1本も持ってきました。

丸善は元は「丸屋商社」といって横浜新浜町に開業した書店ですよね。創業者の早矢仕有的は福澤諭吉の盟友。福澤は丸善の経営に深くかかわっていますが、丸善は舶来品の輸入に力があったのですから、新しいものに興味のあった福澤先生も、丸善で万年筆を購入して使っていたかもしれませんね(編集部注:福澤諭吉は原稿、手紙類は基本的に筆書きのようである。「西航手帳」はほとんど鉛筆書きで一部がペン書き)。

中田 ほとんどお店に勧められて買っている感じがしますね(笑)。

山縣 そう言われてみれば(笑)。

他に最近買ったもので少し変わったところでは、イタリアのレオナルドという新しいメーカーのものがあります。

中田 イタリアのデザインはコテコテで面白いですよね。

山縣 カラフルで風格のある美しさと言えます。中田さんは自社の製品以外で個人的に買い求められたりしますか?

中田 たくさん買いますよ。変わり種で言うと、ペン先と軸が一体型になったシェーファーの〈シュノーケル〉は面白いですね。

めずらしい機構のペンは修理も大変なので同じものを7、8本買ったりしています。あとはお客様からいただくことも。

山縣 他社のペンをもらうことがあるのですか?

中田 アンティークの持ち込みが多いのです。お手製の万年筆をお持ちになる方もいます。手作りだとインクがポタポタ漏れたりして時々大変なことになるのですが(笑)。

アンティークと言えばこういう、象牙のつけペンなどもあります。 

山縣 ああ、すごい。形がきれいですね。

中田 これぐらい精巧なものを中屋万年筆でも作りたいと思っています。設備投資に力を入れて100万本のロットを生産するのと違い、中屋万年筆はこだわりのある小料理屋を目指したいんです。

例えば、「10席しかないので予約してください」とか、「フグなら1週間前に言っていただかないと」なんて言えるような、数量限定の予約販売制の世界。「試しにつくってみよう」というところから万年筆づくりができると面白いだろうなと。

山縣 丸善でもオリジナルの万年筆はつくっていますよね。

宮原 そうですね。実は、丸善では大正末期、輸入万年筆が主流だった頃に、「アテナ万年筆」の商標で国産万年筆の製造に取り組んでいました。

創業150年を迎えた2019年には、当時のモデルを現代風にアレンジして発売しました。万年筆のみならず、2016年に国立歴史民俗博物館で開催された「万年筆の生活誌」展を参考にして、当時のアールデコ調デザインの化粧箱も忠実に再現し、その世界観を同デザインの本革製ペンケースを製品化することで強調しました。

また弊社の商標でもある「アテナ」を広めるべく、150周年アテナ万年筆にはアテナインキ瓶デザインのピンズを付属して発売しました。昔は海外の文具ブランドもそういうものをつくって販促品として配っていたそうです。

万年筆は筆記具としてほぼ完成されてしまっているので、こうした遊び心も表現できる余白の部分も伝えることで若い人たちにも広がっていくといいなと思うんです。

中田 インクを吸い取るための専用紙、所謂ブロッターと呼ばれる物があります。昔はあの紙の裏側をパーカーなどの文具メーカーが広告媒体としていたそうで、私もそれを集めているんです。ああいう、つい取っておきたくなる小物の存在は魅力ですよね。

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