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【三人閑談】
万年筆の愉しみ

2021/01/25

失われた技術を甦らせたい

中田 筆記具の魅力はまさに機能と見た目に分かれると思うのですが、万年筆はまず見た目の美しさに惹かれて〝沼にはまる〟方が多いようです。万年筆自体はこの数10年間、大きく変わっておらず、生活必需品と呼べる存在とも違う。自分で作っておいてなんですが、けったいな道具という気がしなくもない(笑)。

ところが歴史を辿ってみると、これほど探求しがいのある筆記具もない。私たちは今、吸引具付きの万年筆を開発しようと1年以上かけて取り組んでいますが、何に苦心しているかというと、握るグリップ部分と軸を一体成型する技術の確立なんです。万年筆はもともとプラスチックなんてなかった時代の発祥で、当初は軸の部分をろくろでつくっていたんですよね。

なので、金型を起こして量産するプラスチック成型にする前提は当時はなかったでしょうし、今はインクカートリッジ式で十分なのに不便な昔の商品を喜ぶ方もいる。初めに山縣さんがおっしゃった精神的な愉しみの部分が大きくなっていることの1つです。

これをゾンビと呼ぶか、先祖返りと呼ぶかはさておき、やればやるほど面白い道具だなと感じます。

山縣 なるほど、面白いですね。今、子供向けの万年筆を多くのメーカーが売り出していますが、小さな頃から万年筆の感触を体験しておくのも大切なことですよね。

昔は子供が進学する時には、多くの家庭で親戚がお祝いに万年筆を贈ってくれたものですが、最近はそういう習慣もなくなりつつある。すると万年筆に接する機会がないまま大人になってしまうことにもなり、もったいないですね。

中田 ヨーロッパでは万年筆を使うことが義務教育に組み込まれているんです。中国でも政府の指導で子供たちが万年筆を使っていて、インクカートリッジの色までブルーブラックと決まっているそうです。

インドの市場も1千万本規模と言いますから、万年筆は世界的に見てもまったく廃れていないんですよ。実際、ヨーロッパでは万年筆を10本所有している人はざらですからね。それに比べると、日本では万年筆を1本でも持っている人は限られているのが実状でしょう。

インクから入る新世代

宮原 実は興味深い動きも起こっているんです。「文具女子博」という毎年開かれる国内最大級の文具の祭典があって、この中の「#インク沼」という万年筆インクに特化したイベントに丸善も2019年に参加したんです。お客さんは20代女性が中心なのですが、この時は3日間で5千人を動員し、入場制限がかかるほどの盛況ぶりでした。

中田 うちにもプレピー(preppy)という300円でインクと一緒に買えるものがあって若い女性に人気ですよ。

宮原 驚いたことに「#インク沼」に来場される若年層の女性はペンよりも圧倒的にインクの方に関心があるんですね。今までは万年筆を買ってからインクを選ぶのが一般的だと思っていたのですが、「インク沼」のお客様方は先にインクの種類に興味を持ち、そこから「じゃあ私、どの万年筆を使えばいいんですか」となる(笑)。

万年筆自体に関心の高い今までのお客様とは異なり、「きれいなインクが欲しい」という視点から万年筆を手にするお客様が増えてきたと痛感しています。これまでと同様のアプローチだけでは不充分だと自分を戒めています。

中田 インクからはまっていくというのは、面白い動向ですね。紅茶を買ってからティーカップを選ぶ感覚なのかな(笑)。そうやって彼女たちは何を書いているんでしょう。

宮原 会場で50人ほどの方から「万年筆で何を書いていますか」とアンケートをとったところ、日記や手紙と答える人が多く、大体5~6割を占める感じでしょうか。

山縣 私は彼女たちとまるで年代は違いますが、「日記」というのは感覚的によくわかりますね。私も万年筆を使い始めて以来、日記をつけるようになりました。

手紙はそう始終書くものでもないし、万年筆を心置きなく使えるのは日記なんですよ。日記は手紙と違って人に見せるものではないので、書きたいように書けるし、毎日どのペンを使うかも自由です。達筆な方はいいけど、万筆筆を使って自分の字の下手さに愕然とすることもあるわけで、誰にも見せない日記が一番都合がいい。

実際に万年筆で日記を書いていくと、次第に気持ちがスーッと落ち着く部分がある。だからたとえ短い文章でも、日記をつけるのは万年筆を愉しむのにうってつけです。日記を書く習慣がある若い人にこそ万年筆を勧めたいですね。

中田 今は対極的な2つの層に愛好されているのかもしれませんね。一方で丸善さんの一番伝統的なお客様かもしれませんが、モンブランのペンに純正インクを合わせるような、年配男性の層があり、他方にはペンよりもインクに関心を抱く若い女性の層がある。

年配の女性や若い男性が必ずしも無関心ということではないと思いますが、出会うこともなさそうな2つの層が万年筆のマーケットを支えつつある。こうした構図から的確にニーズを摑むというのもなかなか難しい時代ですけれど。

モンブラン考

山縣 ちょうどモンブランの名前が出ましたが、仕事柄、会社役員の方にインタビューする機会が多かったのですが、圧倒的にモンブランの所有率が高いんですね。大事な役職への昇進祝いなどで贈答することが定番になっているのでしょう。

以前、ベルリンに行ったときにモンブランのお店で、日本人はどういうものを買っていくかを訊いてみると、大抵一番立派で大きなものを買っていくという。中国人や韓国人もそうだと。「ドイツ人でこんな高級品を使う人はほとんどいない」とも言われました。きっと日本ではモンブランはある種、権威の象徴として流通してしまっているんでしょうね。大げさに言えば、文化の多様性をちょっと阻害してしまっているのかもしれない。

今や国内外問わず、いろいろなメーカーが、外見から書き味まで個性的で魅力ある万年筆をつくっているのだから、ユーザーももっと自由にその世界を愉しめばいいと思うんだけど、海外のメーカーについてはどうも〝万年筆=モンブラン〟になってしまっているようにも思いますね。

中田 最初から最大手の高級品に触れてしまうと、2本目、3本目にいくきっかけがなかなか見つからないのかもしれませんね。

宮原 モンブランはモンブラン特有の良さがあるのですけどね。私が丸善に入社した90年代前半は、モンブランのマイスターシュテュックが毎日飛ぶように売れていました。

どうしてこんなに売れるんだろうと当時は深く考えもしなかったのですが、その後、幸いドイツの工場を見学する機会があり、そこで大型車を洗うような巨大なブラシで製品に磨きをかけていく様子などを見せてもらうと、やはりヨーロッパらしい力強さを感じます。

モンブラン特有の重量感や輝き、質感はこうやって生まれているのかと。こういう質感が日本でも出せればもっと裾野が広がっていくのかなと個人的には思うのですね。

中田 ドイツのものづくりは強いですよ。プライドもすごいし。

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