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【三人閑談】
万年筆の愉しみ

2021/01/25

  • 宮原 義郎(みやはら よしお)

    株式会社丸善ジュンク堂書店MD統括バイヤー(万年筆・高級文具)。1989年玉川大学文学部卒業。90年丸善株式会社入社。高級文具バイヤーを務めるとともに、オリジナル製品の開発にも携わる。

  • 山縣 裕一郎(やまがた ゆういちろう)

    株式会社東洋経済新報社代表取締役会長。1979年慶應義塾大学経済学部卒業。『週刊東洋経済』編集長を経て、2012年に同社代表取締役社長。2017年より現職。

  • 中田 俊也(なかた としや)

    プラチナ万年筆株式会社代表取締役社長、有限会社中屋万年筆代表取締役社長。1985年慶應義塾大学商学部卒業。三菱銀行を経て、祖父・中田俊一が創業したプラチナ万年筆を継承し、2009年より現職。

気持ちが整う筆記具

山縣 今日は万年筆のプロであるお二人にどのようなお話が聞けるか楽しみにしてきました。

私にとって「万年筆の愉しみ」は2つあります。1つは「実用的な愉しみ」、もう1つは「精神的な愉しみ」です。万年筆は記者だった時代に仕事道具として使い始めました。取材や記者会見などでメモを取ることが多く、1時間のインタビューが1日3回ということもざらでしたので、ボールペンで書くと指が痛くて。

何とかしたいと思って万年筆を使い始めたらインクが紙に接してスムーズに出るし、指にそれほど力を入れなくても運筆できるので非常に楽になったんですね。

万年筆は素早く書けないと思い込んでいる人が多いのですが、実際にはボールペンよりも断然速くメモが取れる。最近、記者会見場で若い記者がパソコンに直接メモを打ち込んでいますけど、アナログの万年筆だってスピードはおそらくあまり変わらないはずです。

中田 その通りですね。

山縣 もう1つの「精神的な愉しみ」とは何かというと、私は毎朝背広を着てネクタイを締めた後、「今日はこの1本で行くぞ」と万年筆を胸ポケットに差すんです。そこで気持ちがシャキッとする。

この感じは、武士が帯刀するときの気分に近いのかなと。それに私はインク壺からインクを入れるのですが、その間に気持ちが整ってくるんです。すると、ものを書くときも、一歩立ち止まって考えられる。墨を磨るのと似たような感じが万年筆にはあって、そういう「間」みたいなものがあることが筆記具として非常に重要なのではと思っています。

宮原 なるほど。ロックバンド「チャットモンチー」の元ドラマー高橋久美子さんがあるエッセイで「(万年筆の魅力は)着物を着てスッと背筋が伸びるようなことなんじゃないのかな。着物を着たときに女性らしさを意識するのと同じ感じで」と表現していました。

山縣 まさにそんな感じですね。

宮原 私は丸善に入社する前は万年筆とほとんど縁がありませんでした。万年筆に興味を持つようになったのは約30年前、日本橋店、高級筆記具売り場に配属されてからです。

異動をきっかけに一から勉強しようと、自分なりに色々と集め始めるようになりました。当時の『学鐙』編集室には丸善の歴史に詳しい生き字引のような先輩社員がいらして、私が骨董市などで手に入れたビンテージの常滑焼のアテナインキ瓶を見せに行くと「これはもう社内に残っていないものだから大切にしなさい」と言われたり。

今に続く私の万年筆愛は丸善の歴史を管理、保存しなければいけないという思いが出発点なんです。

中田 私は万年筆づくりを家業とする家に育ったものですから、幼稚園の頃にはすでに万年筆は身近な存在でした。とはいえ子供には、その有り難みはおろか、使い方もわかりませんし、筆圧の加減もできない。だから、与えられるがままに次から次へとボキボキとペン先を折ってしまって(笑)。

小学校に上がると、父がたまに「新商品ができたぞ」と持ち帰って私にくれるのですが、学校では見慣れない筆記具を「これは一体何だろう」と訝っていました。皆さんと比べると万年筆との出会いはずいぶん特殊だったと言えますね。

関係性を持てる希有な商品

山縣 それなりの値段がする万年筆をどうしてわざわざ使うかと言えば、私は、人生のいろいろな節目に、何か自分を一旦、整えて前に進むという時に買うものなのではないかと思っているんですね。そしてせっかく買うからには、やはり何かの記念といった意味付けがほしいと思っているんです。

だから買うときもどこで買ってもいいというのではなくて、やはり気持ちのいい人から買いたい。私は日本橋に会社がありまして、仕事柄、丸善日本橋店に始終行くのです。

地下の万年筆売り場で万年筆に詳しい方といろいろ話をするのが楽しくて、そこで買う。やはり買った時の気分が悪いとそれが残ってしまうので、信頼している方から買うのが一番です。

宮原 有り難うございます(笑)。そういったお客様との関係は大変有り難いものですね。日本橋店在籍時にお礼状をお送りすると必ずすてきな手刷り版画の絵葉書をご返信くださる、ご夫婦共に版画家のお客様がいらしたのです。万年筆というのは、話をしたいとか、価値観を共有したいという関係性を持つことができる希有な商品ですね。

やはり万年筆ってある意味難しいのです。ペンの長さや太さはもちろん、書いた時の感触や筆記具本体の重心のバランスまで手に馴染む条件は人それぞれです。だから100万円の万年筆がすべての方に合うかというとそうではなくて、もしかしたら1,000円の万年筆がその人にとって一番合っているのかもしれません。

ですので私も売り場に立つ際には、目の前のお客様の手に合った1本をご紹介するのが信条で、それができる信頼関係をお客様との間に築けると嬉しいですね。

中田 メーカーは普通、お客様の要望を直接聞く機会はないのですが、プラチナ万年筆は1999年に、100%手作りで万年筆を製造・販売する中屋万年筆を立ち上げたんです。「中屋」というのは先々代の中田俊一が1924年に上野で創業した「中屋製作所」の屋号を受け継いだもので、「筆記カルテ」をお客様に記入して頂き、ご自分の筆記特性に合わせてペン先等のカスタマイズをしていく受注生産でやっています。

全部オーダーメイドなので、ペン先の調整とか、それこそお客様と密なコミュニケーションをしていますよ。

梅田晴夫氏と〈#3776〉

中田 今年(2020年)がちょうど慶應の図書館に万年筆コレクションがある作家の梅田晴夫先生の生誕100年なんですよ。当社は1978年、先代が日本一の万年筆を作ろうと、万年筆コレクターとして名高い梅田晴夫さんに監修していただき〈#3776〉というモデルを開発したんです。

この商品名は富士山の標高にちなんだものです。2010年には現在の技術でインクが乾きにくい機構を採り入れ、フルモデルチェンジした〈#3776センチュリー〉を発表しました。万年筆を頻繁に使わない現代のユーザーでもキャップを外してすぐに書き始められるように気密性の高い構造にしています。

日本の筆記というのはもともと筆から始まっているので、万年筆も当初は柔らかいものが好まれたようですけど、その後、現代的な組織経営の時代に移る過程で帳簿を付ける必要が生じ、細字でカリカリと硬い書き味のものが普及し始めました。オリジナルの〈#3776〉はちょうどその時代の感触が反映されたものなんですね。

山縣 私も〈#3776センチュリー〉は持っています。万年筆は書いた時に手に伝わってくる感覚がじつに様々で、その書き心地に使い手の好みが直接表れますよね。1つ1つの製品だけでなく、メーカーごとの性格の違いもあり、万年筆に各社の気質や世界観が表れていると思います。さらに、そこにインクの好みが加わることで無数の組み合わせが生まれるのも魅力です。

一口に「青」と言っても国内外問わずメーカーごとに種類も様々ですからその数たるや。さらに、インクの色味も紙の色や質感でまったく違って見えるので、ノートや便箋の選び方にまで愉しさは広がります。こうしたバリエーションがどんどん広がっていくところにも他の筆記具とは違う豊かさや奥深さがあると思うんですね。

宮原 丸善には、1,000円の万年筆と6色のアソートのノートと3色のインクをセットにした万年筆スターターセットというオリジナル商品があります。なぜそのようなものをつくったかと言えば、例えば同じブルーのインクでもブルーの紙に書いたときとピンクの色の紙に書いたときと全然違う色に見えるということを知ってほしいからです。

そうやってご自分のお気に入りのペーパーカラーとインクカラーの相性を探したりできると、いろいろな世界が広がって愉しみが広がると思うんですね。

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