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【三人閑談】
みんながヒーロー サイボーグ009

2020/12/11

  • 切通 理作(きりどおし りさく)

    文筆家、脚本家、映画監督。1993年『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』でデビュー。『宮崎駿の<世界>』でサントリー学芸賞受賞。特撮、アニメ等について幅広く執筆。阿佐ヶ谷「ネオ書房」店主。

  • 木下 浩子(きのした ひろこ)

    石ノ森章太郎先生公認のサイボーグ009ファンクラブ会長。高校生の時にサイボーグ009ファンクラブに加入、1988年2代目会長に就任。同会は会誌の定期発行を続け、2020年には43周年を迎えた。

  • 大越 匡(おおこし ただし)

    慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授。1998年慶應義塾大学環境情報学部卒業。2000年同大学大学院政策・メディア研究科修了。専門はモバイル/ユビキタスコンピューティング等。

「みんながヒーロープロジェクト」

大越 われわれは、SFCで「健康情報コンソーシアム」という、企業、病院、自治体等の皆さまにご参加いただき、情報と健康を掛け合わせて、良好な生活をするためにいかに役立つ情報を届けられるか、というコンソーシアムをやっています。その中で、今回新型コロナが広がり、何ができるのかを考えた時、「みんながヒーロー」というネーミングを思いついたんです。

ステイホームが言われ、子供たちは外で遊びたくて仕方がないかもしれない。でも、とにかく家の中にいるだけで君は感染を広げないという役割を果たせる。皆がヒーローになれるんだよ、ということです。

他にも換気をしたほうがいいとか、食事・睡眠をとって免疫力を高めることも大事といった、いろいろなアドバイスを多くの方に伝えたい。その時に、やはりキャラクターというのは有効だと思って『サイボーグ009』に登場してもらったんです。

木下 最近のキャラではないですけどね(笑)。

大越 われわれがともに活動をしているグループの中で、ヘルスプロモーションとして医療とエンタメを掛け合わせた「メディテインメント®」を提唱しているメディシンクという会社が石森プロとサイボーグ009で感染対策活動を企画していて、慶應とできないかと相談があった。そこで遠隔会議システムZoomのバーチャル背景に、001から009までのサイボーグ一人一人のセリフを全部書き下ろして、石森プロに監修いただいたんですね。例えば「食事は、栄養バランスに気をつけるアルよ」と、張々湖(ちゃんちゃんこ)(006)の口調で吹き出しにする。それを9パターンつくったのです。(みんながヒーロープロジェクト - 素材ダウンロードページ https://www.keiosfchic-covid19hero-project.com/download

そうすると、今までにないほどSNSで「いいね!」とか、リツイート、シェアをいただき、非常に好評でした。漫画家の方からも、何名もフェイスブック上でシェアをいただき、ファンの皆さまの熱意と作品の力を痛感しましたね。

木下 とても嬉しい試みですね。『009』は歴史も長く、漫画は実に多くの出版社の雑誌に連載されている。アニメや映画に何回もなっています。

長い歴史と言えば『仮面ライダー』や『ウルトラマン』もシリーズ化されていますが、『009』は、9人のキャラクターがまったくそのままで変わらないで今に至っている。これは本当に珍しい作品だと思います。いろいろな能力を持った9人が集まって力を合わせて1つの物事に向かっていくということが長続きしている1つの要因かなと思います。

さらに、石ノ森章太郎先生が、作品が作者の手を離れて発展していくことを楽しんでくださった方でした。自分の作品をいじられるのを嫌う作家さんもいらっしゃるんですが、先生は、おおらかに見てくれた方でした。心の内ではちょっと違うと思っていらっしゃることはあったと思いますが。

大越 ファンクラブができたのが1977年ですか。カラー版のアニメが出るちょっと前あたりですね。

木下 そうですね。私は2代目の会長なのですが、もともと高校生の友達同士、好きな人たちが集まった感じのサークルでした。それがちょうどアニメブームに乗っかって、アニメ雑誌に紹介されるようになったので会員さんがワッと増えたんです。

今はネットで簡単に同好の人とつながることができますが、サークルに入って、そこに行かないと好きなことを話せないという時代でしたし、まだ「アニメが好き」なんて、あまり大きな声では言えなかった(笑)。

切通 77年は『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版が公開され、ティーンエイジのアニメブームがありましたよね。

木下 そうです。『ヤマト』によってアニメというものが、子供でなくても楽しんでもいいんだ、という状況になってきたんですね。それ以前は、アニメなんて小学生以下の子供の見るものと思われていましたね。

ファンクラブを私が引き継いでから30年ぐらいですが、1つの作品のファンクラブでこれだけ長続きしているのはあまりないと思います。漫画家さんのファンクラブは、それこそ先輩格の石ノ森章太郎ファンクラブが私たちよりも5年ぐらい年上のサークルとしてありますけれど。

切通 あの当時、朝日ソノラマから出た『マンガ少年』の臨時増刊『TVアニメの世界』でアニメファン投票の人気10位までの作品が紹介されていたんですが、当時放映中でベストテンに入っていたのが『ダンガードA』だけ。あとは『ルパン三世』など全部昔のアニメでした。『009』は白黒の時代(1968年)のもので、『ヤマト』に次ぐ2位でした。

だから、少し前の子供の時に見たものが復権していく時代。そういうものが後押しして、『ルパン三世』も第2シリーズができ、『009』もカラーで第2シリーズ(1979~80年)ができ、『ヤマト』も続いていく。

国際色豊かなサイボーグたち

切通 一方、『009』の漫画は、ちょうど東京オリンピックのあった昭和39(1964)年に最初の連載が始まっています(週刊少年キング)。その時代、「サイボーグ」という言葉を、一般的な日本人はまだ知らないですよね。

石ノ森先生は、世界一周旅行に行って、インスピレーションを貯め、世界中からサイボーグのもとになる人間がさらわれてくるという設定になったようですね。石ノ森先生自身の世界各国への興味というものがそのまま各キャラクターになっている。

まだそれほど海外に行く人がいなかった時代です。『009』は途中から海底ピラミッドや世界の神秘を巡る話が多くなっていきますね。先生自身、世界各国を旅行し、巨石文明とかいろいろなものを見たとしても、あくまで旅行者であって、その世界をもっと深く知れたらなと思ったのかなと。

これは僕の妄想ですが、石ノ森先生は、もし自分がサイボーグ戦士だったら、海底に深く潜ったり、ピラミッドの中の秘密を探ったり、テレパシーで会話したり、ということが縦横無尽にできるのではと考えたのではないでしょうか。『009』を見ていて、そんな夢を追体験させてもらっているような気もしましたね。

大越 私はお二方の後輩で1976年生まれですが、幼稚園から小学校に上がるぐらいに、アニメで『サイボーグ009』(第2シリーズ)や『ヤマト』『ガンダム』を見て、幼稚園から小学校低学年はアニメ漬けみたいな幼少期でした。

おっしゃられたように世界中からヒーローがさらわれて集まってくるという国際色豊かなキャラクター設定は、意外とほかのアニメで、あるようでない。例えば、『ヤマト』も基本的に日本人ですよね。

切通 そうですね。

大越 これだけ国際色豊かなことに、幼いながらもすごいなと感じていました。その中でも004(ハインリヒ)は、右手と左手と左右非対称で武器があるのが当時の憧れでした。とにかく膝からミサイルは出るわ、右手はマシンガンだし、左手がナイフになっている。そこが格好よくて。

木下 女性ファンは、004は影を背負っているところが好きっていう人が多いんです。一番人気があるのは009ですけど、004はその次あたりです。

大越 私は、幼稚園生だったので、影を背負っているというのは結構あとから分かりました(笑)。

当時まだドイツが東西に分かれ、ベルリンも東西に壁で分けられている中で生まれたサイボーグというその背景は興味深いですよね。当時の国際情勢を上手く反映させている。

切通「『009』を通してベトナム戦争を知った」という子供の投書が単行本に収められていましたね。そこに「また、ああいう漫画を描いてください」と書いてあって、今度は中東のことを描いたり。『009』を通して子供時代に世界情勢を知ったところはありました。

ベトナム戦争にサイボーグ戦士が行くというのは、ある種の戦争批判で、非常に直球の設定。石ノ森先生は、70年代に入ると『仮面ライダー』など、テレビシリーズの原作が多くなってくるけれど、60年代の『スカルマン』などは、テレビを通しての洗脳に触れられている。『009』でもアメリカへの憧れの一方でアメリカが支配している世界をブラック・ゴーストに見立てているようなところもある。そういった考えが割とストレートに『009』の初期には出ていると思います。

大越 なるほど、そうなんですね。

未完で終わるストーリー

切通 68年のテレビアニメ版をアニメブームで回顧して出たサントラ盤のライナーに石ノ森先生の言葉が載っていて、人間全体を人体に喩えれば、戦争を起こすような白血球(=悪)を滅ぼすことは、人体を滅ぼすことにもなりかねない。それでもサイボーグ戦士たちは戦いを挑まなければならないというテーマを描いていきたいと語っています。それが神々との闘い、要するに「天使編」(1967~68年)で描こうとしたことなんですね。

大越 この「天使編」は中断してしまうんですよね。

切通 秋田書店の単行本には、「天使編」を中断する作者のお詫びの言葉があって、次の巻から違う話になる。

先生の中で人間社会の悪、矛盾みたいなものに向き合って、それを乗り越えるためにはサイボーグ戦士を神への叛逆者と位置付けるという考えがあったのでしょう。神と闘うことは絶対的な劣勢に立たされる。しかし、サイボーグ戦士は、たとえ負けても神々に抗うことで、逆に人間の価値を神に見直してもらいたいと決意するあたりで中断してしまいました。それがどういう決着になるのかを、未完にしながら『009』の連載自体は続けていったんです。

手塚治虫先生だと『火の鳥』ですよね。宮崎駿さんで言ったら『ナウシカ』。このいずれも、このままだったら地球を壊してしまう人間というものをどう乗り越えるのかというテーマに触れている。『火の鳥』も未完じゃないですか。同様に『009』も、話を終わらせてしまうことはできるけれど、単なる戦いのやり取りだけではちょっと終われないんじゃないかと、そのテーマに向き合ったまま、未完で生涯を閉じられたという感じがします。

木下 でも、先生自身はとにかく終わらせる、絶対描くという意識は強かったのだろうと思うのです。だんだん年齢を重ね、考え方も変わってくる中で、ずっと構想ノートを書いていたのですが、病気をなさって、もう判別できないような字でびっしり書いてあるんです。描きたかったという執念がそこから伝わってきました。

うちのファンクラブの20周年の時、先生はすでにご病気だったんですが、お願いしたら、カラーのイラストを描いてくださったんです。サイボーグたちが皆私服なんですよ。これはなかなか珍しくて。いただいた時、びっくりしてしまいました。

その時の島村ジョーの表情が、これから闘いに行くから戦闘服に着替えようとしている絵なのか、それとも、もしかしたら先生は病気だったので、もう疲れたので闘いを終わらせたいから戦闘服を脱いだということなのか、どっちなんだろうと。その物憂げな表情が胸に刺さりました。見る人の気持ちによってどちらとも取れるような絵なんです。

でも、本当に描きたかったんだなという気持ちは伝わってくるんです。ところが、完結することができずに亡くなられて、石森プロの早瀬さんらが漫画を完結してくれたのですが、やはりファンの中では先生が描いたものではないので、ピンとこないというところも正直あるのです。

未完のままの状態が長かったので、皆さん、心の中で自分の中の『009』を持っていて、自分の中でストーリーをつくり上げてしまっている人が多いんだと思います。

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