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【三人閑談】
武士(サムライ)とは?

2020/02/25

武士道と騎士道

桃崎 1つ疑問なのは、戦うのが仕事であり、名誉を重んじて、領主であるという点で、武士と西洋の騎士はすごく似ているのに、なぜ西洋人は騎士道を持っていながら、武士道に憧れるのでしょう?。

ベネット 30年もずっと聞かれていることで、まだ自分も納得できる答えはないんです。騎士道も、十字軍の「騎士団」の考え方から、17、8世紀のいわゆる紳士の生き方として捉えられるものまで変化してきました。

1つ言えるのは、侍、武士の場合は、結局共同体を守るということが名誉ですよね。それに比べたら、騎士はそうでもないと思います。当然名誉に関する考え方というのが重要視されてはいるのですが、それは自分個人のものなんです。

武士はそれが昔のことでも、ずっと眞田家の名誉を大切にしますね。

眞田 そうですね。

ベネット だから名誉というのは個人のものではなく、先祖や子孫と全部つながっている。でも、騎士の世界ではそれが比較的ないです。

桃崎 今、十字軍とおっしゃいましたが、騎士の背後には必ずキリスト教があるんですね。

ベネット そこなんですよ。だから、死んでからのご褒美というのは天国に行くことです。

桃崎 なるほど。一向一揆と似ていますね。一向一揆というのは頑張って戦うと必ず極楽往生できるというシステムです。ただあれは素人集団で、武士は信仰のためには死なない。少なくとも中世ではそうです。

昔は氏神同士も戦争していますが、ただし絶対神のために戦っているわけではない。陳腐な言い方をすれば、やはり一神教かどうかの違いが大きいですね。あくまでも武士の場合、今、勝つための信仰であり、死んだ後に苦しまないための信仰です。これを突き詰めれば実利なんですね。神の正義のために戦う、ジハードをする人は日本にはいない。

今に生きる武士道とは

桃崎 眞田さんは今でも大名家のご当主でおられます。今日ではもう華族制度がなくなっていますが、1つの共同体として、家臣団だった人たちとの付き合いもまだあるわけですよね。現代日本で、かつてのある種の封建的な秩序の生き残りである方々にとって、今後、どのようになっていくのが幸せだとお考えでしょうか。

眞田 旧華族の方々の話を聞くと、今でもある意味、文化財の守り人というところが多いわけです。ただ現実問題として戦前のような華族制度があるわけではないので、やはり経済的には無理があるんですよ。うちの場合は幸いにして、ほとんど全部、市に寄贈して、市で管理していただいているのでかなり楽ですが、それでもいろいろあるんです。

信之の霊屋は重要文化財なんですが、漆の塗り変えを40年ごとにやらなきゃいけない。これが見積もると4億ぐらいする。われわれはとても持ち切れないんですよね。

桃崎 結局、君臨するにはコストが必要ですが、収入源だけ取られて、責務だけ残ってしまったようなところがあると。

問題はいつまで、誰がそれを負担すべきかということですね。もちろん文化財はそれを持っていた人だけの責任にしていいはずがない。

眞田 とても大学の先生ではやっていられないです(笑)。だからそういう意味では祖父が本当に最後のお殿さまでした。仕事をしていなかったですから。

眞田家というのは、伝統を常にかなぐり捨てて生き残ってきた。昭和の時代も、これをやったら孫たちが食べていけないというので祖父は父に職を持たせたのです。とにかく時代に合わせて、家を残すにはどうすればいいのかということに最適化してきた。だから私は今、武道はやっていない(笑)。

桃崎 武士が命を捨てるという話と似ていると思います。何を残そうかという話は、つまり何を捨てるかという話と同じですから。そういう決断を、たぶん武士はしてきたんだろうと思います。

ベネット 春学期の私の授業を受けた学生が最後の日に、「先生、実は私の父が松平家の当主なんです」と言うんです。確かに松平家の分家で何代目と言われたか覚えていませんが、長男だから次の当主になると。

ずっとアメリカで勉強をしてきて、英語はすごくできるんだけど、日本の歴史とか、武士道や侍文化があまり詳しくわからないので焦っていると言う。大学生になって、これから自分が松平家の当主になるということが、どれだけ重たいものかと感じ始めたと言うんです。

眞田 それはよく分かります。私は父親が早くに亡くなったので、15歳のときに代替わりしたんです。中学3年生でしょう。それはプレッシャーを感じましたね、

いくつかの昔からの伝統的な行事が残っているのですが、お寺のお住職が、「若さまは堂々としていればいいんですよ。ただ、うろたえてはいけません。うろたえたら、周りの者は助けられません」とおっしゃった。だからある意味、それが今の武士道というか、うろたえたら負けなんだろうと思うんですよね。

桃崎 それはおそらく武士道だけにとどまらない、君主論なんでしょうね。中国では君主は徳さえあれば、技能も強さも別に要らない。周りがそれは担うと。ただしきちんと君主然としていてくれという。

眞田 そう言われました。昔は行事の際に覚えるべき言葉を丸暗記していたんですが、最近は間違えたら、周りがなんとかしてくれると思っています。そのほうが周りもやりやすいんですね。

桃崎 そういうことは過去に何度も起こってきたのでしょうね。だから墨守しないといけない伝統って、意外と新しいものだったりする。実は伝統を死ぬ気で守ることにはさほど意味がないことが多いと思います。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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