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【三人閑談】
武士(サムライ)とは?

2020/02/25

時代、地域、立場で違う武士道

眞田 武士道は、おっしゃるように時代とともにだいぶ変わってきている。例えば武田氏の戦国時代末の『甲陽軍鑑』を読むと、必ずしも死ぬために生きているわけではないだろうと思うんですね。

また、桃崎さんの本を拝見させていただいたんですが、天皇家の子孫が地方へ行って、ある意味、生き残るために武士というものがだんだん成立していったんだろうと思いますし、「残心(ざんしん)」という考え方も、必ずしも死ぬためではなくて、身を守るためなんだろうと思うんです。

眞田家というのは、生き残るためにいろいろなことをやってきました。関ケ原の時に兄弟(信之・信繁)で分かれたのは、皆が死ぬのではなく家を残して生き残るためです。では江戸時代に徳川幕府に100パーセントの忠誠を誓っていたのかというと、実は維新のときには新政府側についている。

眞田の感覚から言うと、必ずしも身を滅ぼしてまで忠誠を尽くすということが武士道ではないと思っています。とにかく家と領民を守るというのが、われわれの武士道なんだと思うんです。

桃崎 確かに、時代によっても違いますが、武士は、本質的には死ぬために生きているわけでははなく、「生まれ持っての職業なので死なざるを得ないという限定があった」と言うべきなのでしょう。だから、もちろん皆生きるためにやっている、とも言える。実際、鎌倉、室町の武士は、実はほとんど死なないんですね。応仁の乱は、何百人もが合戦をしても戦死者が数えるくらいだったりすることもあります。

しかし、「生きるため」と言っても最終的な解決手段が殺し合いである以上、最後に討死する可能性はやはり避けられない。そうなったときに、そういうゴールが武士だけにあり得るならば、それに向けていつ死んでも後悔しないという哲学は持っておこうという、武士道はどちらかというと消極的な必要性に迫られた哲学だとは思います。

これは時代によっても地域によっても変わります。『葉隠』は旧日本陸軍で推奨されていたような本ですが、これが書かれた鍋島藩、佐賀藩は極めて特殊なところで、あの江戸の平和な時代に、本当に皆、死ぬことだけを考えて生きているかのようなことが書いてある。

明治維新をやり遂げた藩というのは、薩摩藩なども江戸時代の平均的な考え方では解けないところがあります。人命を軽視するし、男尊女卑がすさまじい。

もう1つ身分差もあります。武士というのはご主人様のために死ぬのが仕事なので、ご主人様である殿様は死ぬことは仕事ではない。これを日本では「忠」と言うし、中国では「義」と言いますが、自分の職分を果たすために、俸禄をもらって養われているものは、その命を主君の一大事に捧げるべき、という古代中国の思想が根底にあるわけです。

それが長い間に変容していったわけで、武士道という一言で説明できる理念の体系は、ぶっちゃけて言えば存在しない。時代、地域、立場によってすべてが違うのです。専門家として言えば、武士道なるものは幻想であって、古典として懐古される、古きよき時代、つまり実在しなかった歴史像だと思います。

「死ぬ事と見つけたり」とは?

眞田 武士道というものが個人では死ぬことだとしても、卑怯なことをしないことで家を残すという形で、特に江戸時代に名誉を重んじたというのは、「生き残るために死ぬ」という側面があるのかなと思うんです。

眞田家の場合も名胡桃(なぐるみ)城主鈴木主水(重則)という家臣は北条にだまされて城を明け渡し、腹をかっさばいて死んでいるんですが、その息子は最後まで藩主に取り立てられて家を残している。

だから、もちろん罪は負わなければいけないけれど、罪を負ったからといって、その家がつぶされるわけではなくて、ある意味それで名誉を保って、家として残っていく場合もありますよね。

ベネット その通りですね。『甲陽軍艦』も、まさに武田家はどうやって生き残るのか、というのが大きなテーマです。強すぎてもいけないし、弱すぎてもいけない。賢すぎてもいけない。バランスをとって、どうやって生き残るか。そうしないと本当にお家が断絶になってしまうので、生き残るための術がたくさん書いてあるわけです。

生き残るための1つのマインドセットとして「生死超越」という言葉があります。生きるか、死ぬかを超えていくような精神性を持つ、つまり死を怖がらないことで、逆に生き残る可能性が高くなるということです。死を怖がる人ほど、逆に死ぬ可能性が高い。

『葉隠』には「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という有名な言葉があります。『葉隠』は1716年に鍋島藩の元藩主であった山本常朝の言葉が記録されている本ですが、この本は歴史背景、コンテキストを分かった上で読まないと非常に誤解されやすい。

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉を軍国主義の時代に使うと、「おまえら、天皇のために死んでこい。それが侍だ。それが日本人だ」と簡単に言えるわけです。

しかし、『葉隠』を全部読むと、そういう意味ではない。要は今の侍は平和ぼけになっている、と批判しているんです。「おまえら、侍としてのプライドがないとだめ。セックスのことやお金のことばかり考えている。武士の本当の生きるべき道を忘れているじゃないか」と言うわけです。

「いつ死んでもいい、という覚悟をしろ」ということです。それは、特攻隊のように命を捨てるという意味ではなくて、「いつ死んでもいい」と思って生きていれば、より素晴らしい人生を送ることができる、より自分の藩のために仕事ができるという考え方なんですね。

それをよく「早く死ね」ということを言っているように解釈するんですが、逆なんです。武道家という立場からすると、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」ということは、剣道の捨て身と同じことだなと思うんです。相手に向かい合って「打たれたら、どうしよう」と悩むのではなくて行くときはドーンと行く。すると一本が決まるわけですよね。

要は動揺しないで、堂々と生きろと。それがサバイバルなんです。

限られた命をどう使うか

ベネット 新渡戸のものは、言われた通り、侍がもういない時代に書き上げた、いわゆる近代的な武士道論です。しかし忘れてはいけないのは、新渡戸自身も1862年に侍の家に生まれたことです。盛岡藩の割と上のクラスの侍の息子でした。だから子どものときに受けた教育、つまりその地域、その時代の武士道が現れていると思うんですね。

そうやって育った人間が西洋人に対して、日本はChristianity はないけれども、道徳心は欧米人とそんなに変わらない、日本人は野蛮人ではないとアピールするために書いた。

それは1つの武士道論としては有効だと思います。昔は私も結構批判していたんですが、分析すると、これは結構すごいことを書いていて無価値だとは思いません。

それが狂ったのが、やはり近代、特に昭和になってからの武士道理解で、1つのキャッチフレーズを恣意的に利用することになったのだと思うのです。

桃崎 おっしゃる通り1つのフレーズを抜き出してそれを謳うことは、ものの価値を誤らせます。私は学生に『葉隠』も『武士道』も全冊読ませました。

確かに死に方とは生き方のゴールなので、いつ、どうやって死のうかと考えないで生きていると、ちゃんとした人生にはならないだろう。どうせ人はいつか死ぬ。問題はどうやって死ぬかで、その限られた時間をどう有効に使うか、何に命を賭すかという問題ではあると思うんですね。武士だったら、主君のために命を賭す、あるいは守るべきコミュニティのために命を捨てる覚悟で戦うこともある。

戦うことを専業にしている人がいつも悩むのは平時への適応なんですね。戦時に存在感を発揮する人たちが、江戸時代に平時を初めて手に入れたとき、「転換しなきゃ、違う生き物にならなきゃ」と思い、「僕らは統治しよう。民をかわいがろう」という方向に変わっていく。

徳川家光が死んだ時に、松平信綱は殉死しなかったことで責められた。しかし、「今はそういう時代ではない。今、俺が腹を切ったら、家綱将軍は誰が面倒をみるんだ。全員が死んだら困るだろう」と考えたのです。

しかし、根がソルジャーなので、その部分が時に顔を出す。例えば幕末維新の戊辰戦争は必要なかったはずですよね。江戸の町は焼けなかったから、代わりに会津を血祭りに上げた。明治の官軍は薩長の武士なので、どうしても革命には血がほしかった。この血が無駄だということに気づかなかった。

ベネットさんがおっしゃった通り、武士道って生き方の指針としては有益なんですが、最後の最後、殺し合いによる解決を容認しているという点だけが危ない。ここにさえ気をつければと思います。

私もまったく無価値だとは思っていません。後先を考えないで飛び込むしか、次のステージに行けない時って、人生どんな仕事をしていてもある。その比喩として使うのはいいけれど、そのまま受け取ると命を投げ出すことになるので、ここは読み替えるべきだと思います。

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