【三人閑談】
武士(サムライ)とは?
2020/02/25
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桃崎 有一郎(ももさき ゆういちろう)
高千穂大学商学部教授。2001年慶應義塾大学文学部卒業。07年同大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(史学)。専門は古代・中世の礼制と法制・政治の関係史。著書に『武士の起源を解きあかす』等。弓道3段。
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眞田 幸俊(さなだ ゆきとし)
慶應義塾大学理工学部電子工学科教授。1992年慶應義塾大学理工学部電気工学科卒業。97年同大学院博士課程修了。博士(工学)。専門はブロードバンド無線システム等。松代眞田家第14代当主。
武道から武士道へ
ベネット 私は高校のときに初めて日本に来たんです。部活を選ぶ時に、ホームステイ先のお母さんから「日本の伝統的な武道をやったらどうか」と言われたんですね。
『ベスト・キッド』という映画が流行っていたので、本当は空手をやりたかったんですが、その学校には武道は柔道部と剣道部しかなかった。剣道を初めて見て、「何だ、これは」と感動したので入部したんです。
でも、先生が恐ろしくて、しばらくしたら辞めたいと思ったんですが、辞めさせてくれない(笑)
桃崎 とてもつらかったと。
ベネット 本当に毎日、毎日、激しい稽古をさせられて。でもやっているうちにだんだんはまっていってしまったんです。
そして、どうせやるなら、剣道はどこから来たのか、文化としてのルーツは何だろうと興味を持ちました。サムライが昔やっていたことだという程度しか分からなかったので、高校の留学が終わった後、国際武道大学に短期留学をしました。
それで、武士文化の名残としての武道について専門的に勉強するようになったんですね。
眞田 私はこういう家だから、「何か武道をやっているか」とよく聞かれるんですが、実は武道は何もやっていないんです(笑)。
ベネット そうなんですね。
桃崎 私は中等部から慶應ですが、中学に入ったら何か武道をやりたい、道着を着たいと思ったんですが、なおかつ痛くない武道がいいなと(笑)。そこで弓道部に入りました。
どうしても3段がほしくて大学院修士課程までやっていたら修士論文が書けなくて、1年落ちて修士を3年やりました(笑)。
中世を研究するようになり、武士の源流を辿っていったら、彼らにとっての原点の武道とはチャンバラではなくて、弓矢なんだということが分かったので、たまたま自分の経験が少しだけ生きたという感じです。
世界で人気の「サムライ」
眞田 私が、こういう家に生まれた、ということを意識し始めたのは、毎年長野に帰った際、眞田邸という家に寝泊まりしていた時です。門に「眞田邸」と書いてあり、小学生ぐらいから何だろうと思っていました。
江戸末期の造りです。参勤交代が緩められて、9代藩主の義母が地元に戻ってくる時に、お城の中には9代藩主と正室がいるので、どこかへ住まわせなければと、お城の外につくった家なんです。今でもそれが文化財として残っていて、長野市のものになっています。
ベネット 海外での武士の人気というのは、昔から非常に高い。時代にもよりますが、神秘的なイメージが強いんですね。明治になって多くの外国人が日本に来るようになり、侍の習慣とか、「ハラキリ」とかが浸透して、早い時期から「サムライ」という言葉は国際語になりました。
日露戦争で日本が軍事大国ロシアに対して勝利を上げることができたのはなぜか、ということから、武士に興味を持たれたこともありました。そして、新渡戸稲造が英語で書いた『武士道』(1900年)は世界のベストセラーになった。
桃崎 新渡戸はアメリカ人の奥さんのために書いたんですね。
ベネット 奥さんというより西洋人のために書いたのです。有名な話ですが、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領も数十冊買って、自分の友だちに配っている。「侍というものは素晴らしい。われわれもまねできるところもあるよ」と。侍が凛々しいもの、格好いいもの、正義のあるもの、と知られるようになった大きなきっかけが新渡戸の本です。
イギリスの作家のH・G・ウェルズも、『ユートピア』という小説の中では侍をヒーローにしている。
最近のことで言えば、先週行ったのですが、なぜか中国でも日本のサムライ文化、居合道と剣道が一部で流行っているんですね。
眞田 そうなんですか。
ベネット 中国では、侍文化、武士道イコール軍国主義、と捉えられて嫌われているのかと思ったら、実は若い人の中では剣道・居合道がおしゃれなアイテムになってきている。
アニメや漫画の影響もあるのだと思いますが、アジアでも侍が日本の若者と同じように、非常に格好いいものだ、人間としての見本になるような存在だ、というイメージが強くなっているんです。
欧米諸国でも、侍イコール人間の理想像というイメージが強いんですよね。新渡戸の本は、ロングセラーで、今でも結構関心が高いんです。
『武士道』をどう捉えるか
桃崎 世界に流布している武士像は、新渡戸の『武士道』が基になっていますね。しかし、英語で書かれて、それがそのまま世界の印象になっている新渡戸の武士像は、相当武士の実態と乖離しているんです。
室町やその前の鎌倉、平安の武士というのは本当に戦士だった時代です。一方、先ほど眞田さんは武道をされない、ということでしたが、江戸時代の武士は統治する人間であって、もはや戦う人間ではない。
ましてや新渡戸が『武士道』を書いた明治時代はもはや武士がいなくなった時代です。武士がこの世から消えた後に生まれた武士道論というのは、必ずや後世の美化が入っているはずなんです。鎌倉、室町の生の史料と読み比べてみると、残念ながらかなり実態から乖離しています。
武士というのは遅く考えて鎌倉幕府の成立の頃としても1200年頃には生まれていますから、明治維新まで6、700年もの長い間にそのあり方が様変わりしています。武士道といって一くくりで論じられる哲学は存在しないはずなんですね。
私は、やはり日本人が新渡戸の『武士道』から入るのは間違っていると思うのです。これはそもそも英語で西洋人向けに、しかも明治時代に書かれた、つまりイデオロギーの書なのであって、実体を伝えるドキュメントではないわけです。
ベネット それはそうですね。
桃崎 「武士の生き方が人生のお手本になる」という考え方は、私はとても危ないと思っていて、なぜなら、武士は最終的に死ぬために生きている、からです。
江戸時代の武士は、人口比で言えば数パーセントの存在に過ぎない。そして明治になり、武士はいなくなったはずでした。ところが明治20年代には、学校で、「君たちは武士なのだから、勇敢に戦うことと天皇への忠義が大事なんだよ。そして公儀に殉じなさい」と言われるようになる。なぜか日本の男子の100パーセントが武士の末裔になっているという逆転現象が起こったわけです。
そして、最終的に武士の「討死するために生きている」という哲学は、現実に第二次世界大戦で「一億玉砕」という考え方になってしまった。
新渡戸の怖いところは、乃木希典大将が、明治天皇が亡くなったときに殉死したことを、日本人の道徳の最高峰だと褒めてしまったことです。
武士は根本的に世襲なので、職業選択の自由はない。そうすると、その世界で武士として戦うためには仕事として死ななければいけない。そのために精神的、肉体的に鍛錬をする。これは一種の武士の職業倫理ですが、農民や商人がこの哲学に沿って生きる必要は少しもない。つまり江戸時代の90数パーセントの人間には関係のない哲学で、もちろん現代の日本人にとってもそうです。
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アレキサンダー・ベネット
関西大学教授。ニュージーランド出身。高校生で初来日し、武道、武士道に関心を抱く。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。慶應義塾大学でThe Way of the Warrior(武士道)を開講。剣道7段、居合道5段、なぎなた5段。