【三人閑談】
バリ島に魅せられて
2018/07/25
「生まれ変わり」を信じる
小野 私がいまご交誼いただいている方は全員、本当の意味でのヒンドゥー教徒なんですね。例えば、日本でプロテスタントのキリスト教徒になられる方は、物心ついてから信仰告白をして、洗礼を受けてキリスト教徒になるわけですが、バリのヒンドゥー教徒はそうではなく、生まれた途端にヒンドゥー教徒です。
実は、いま一番私が興味があるのは、その方々は全員生まれ変わりを信じていらっしゃること。
倉沢 そうなんですよね。
小野 しかも、生まれ変わりが仏教でいうところの「解脱」を目指すのではなく、再生型の生まれ変わりなんです。自分は何世代か前の親族の生まれ変わりだと信じている。そして、自分が死んだら、父方の親戚の誰かに生まれ変わるんだと。だから、死ぬことはあまり怖くないというところがあるんですよね。
ただ、その生まれ変わりを確実にするためには神様を信じないといけないし、神様に奉仕しないといけない。要するにお祭りには絶対に参加しないといけないし、通過儀礼は全部やらないといけない。
特に、最後の死に方ですよね。死の穢れをいかにきれいにして、天に昇らせていただくか。それは、死んだ方をどうやって火葬して天に送り出すかです。だから火葬には、ものすごくお金をかけなければいけない。
私がいまお付き合いさせていただいている、アナ・アグン・グデ・バグース・マンデラさんというプリアタンの王族の方は、もう70歳を超えていますが、子供のときはお手伝いさんが全部やってくれたそうで、靴下も自分ではいたことがなかった方なんです。最近はお子さん方と議論になって、「お父さん、そんなことやってたら生まれ変わりできないよ」と言われてシュンとなるそうです(笑)。
バリのヒンドゥー教徒の人は、オダラン(寺院の創建祭)にしても何にしても非常にきちんとそれに参加する。毎日供物をちゃんとつくる。毎日拝む。その理由は何かといったら、生まれ変わりを信じていらっしゃるから、ということも1つの理由なのではないかという気はしますね。

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