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【三人閑談】
バリ島に魅せられて

2018/07/25

  • 小野 隆彦(おの たかひこ)

    オスカー・テクノロジー(株)代表取締役。早稲田大学客員教授。1974年慶應義塾大学商学部卒業。東北大学にて工学博士取得。東京農工大学理事・副学長を経る。写真家でもあり、写真集『バリの息吹―王族と庶民生活の融合』がある。

  • 新井 容子(あらい ようこ)

    フリーライター。1986年慶應義塾大学商学部卒業。コピーライターとして広告制作会社に勤務後、1993年独立。インドネシア、バリ島への取材経験も豊富。著書に『小さきものの祈り〜インドネシアの聖剣〈クリス〉をめぐる旅』等。

  • 倉沢 愛子 (くらさわ あいこ)

    慶應義塾大学名誉教授。専門はインドネシア社会史。豊富なフィールドワークによりインドネシア社会・歴史を研究。著書に『変わるバリ 変わらないバリ』(共編)、『ジャカルタ路地裏フィールドノート』等。

ガムランの響きに惹かれて

小野 バリに初めて行ったのは比較的最近で、2003年頃だと思います。私は音響情報学が研究分野で、いわゆるデジタル録音を専門にしているのですが、あるとき、素晴らしい録音のガムラン(バリの民族音楽)のCDを聴いたんです。ものすごくその場の雰囲気、空気感が出ているものだったんですね。

これを実際に聞きたくなりました。ティルタ・サリという楽団で、ウブドの近くのプリアタンで録ったようでした。調べてもらったら、プリアタンの王族が持っている楽団で、日本人で1990年代にウブドの王族に嫁がれたマンデラケイコさんがマネジメントされていることがわかり、行くことにしたのです。

非常に素晴らしい方で、楽団をチャーターしてくださり、家内とたった2人のために30何人の楽団と20人ぐらいの踊り子さんが真剣にやってくださった。大感激ですよ。

新井 それは素晴らしいですね。

小野 それがきっかけで、マンデラケイコさんとご交誼を結ぶことができるようになりました。

また、私は慶應の商学部で、勉強せずにカメラクラブで写真ばかり撮っていたんです。その後も写真をやっており、ウブドの写真を撮りたいと思ってバリに通いました。もう20回以上になるかもしれませんね。

新井 私の最初のバリは、大学を卒業した年の1986年の暮れから翌年のお正月にかけて、友達3人で行った観光旅行でした。「神々と芸能の島」と呼ばれていること以外はほとんど何も知らずに行ったんです。

でも、デンパサールの小さな空港に降り立ったときから、甘い花の香りが漂ってきて、「ここはどこ?」と、ちょっとエキゾチックな異空間に入り込んだような感動がありましたね。

5日間ぐらいの観光旅行でしたが、舞踊を見に行ったときも、ガムランの音が脳天にカントン、カントンと響いてきて、また踊り子たちの舞いも艶やかで、本当に不思議な異空間に迷い込んだような感覚に惹かれていきました。

小野 その後、取材もされるようになって?

新井 フリーランスのライターになったとき、インドネシアのことを紹介したいと思い、今度はジャワに行ったんです。それで、取材を続けるうち、地元の人のインタビューをするならきちんとインドネシア語を勉強しようと思い、97年に東ジャワのマランという都市に留学しました。

ちょうどその頃、ジャワやバリに伝わる不思議な短剣「クリス」のことを知りました。それは、神通力が宿る家宝として受け継がれてきた短剣なんですけど、その神秘の奥には彼らの人生哲学が息づいているんですね。

そこで、そういう文化を継承しているジャワやバリの人たちの精神性が、折しもスハルト政権が崩壊して民主化に進むという激動の時代に、どのように人びとの支えになっているのかを本にまとめようと思い、取材を始めたのです。それで、98年頃から、ジャワだけでなく、再びバリも訪ねるようになりました。

そもそもこの短剣「クリス」はジャワで生まれたもの。ところが、東ジャワで大帝国を築いていたマジャパヒト王国というヒンドゥー教王国が、16世紀にイスラム勢の侵攻に遭い滅亡し、自らの宗教や文化を守るためにバリ島に逃げるんですね。そのとき王国の宝である「クリス」も、バリに持っていくわけです。

ですから私にとってバリは、もはやジャワでは見ることができない、マジャパヒト王国の栄華、その残り香を探す場所となっていたのです。

倉沢 私は、研究の対象としてはジャワの歴史をずっとやっていて、バリは最初は観光で行っています。初めて行ったのは1972年でした。45年くらい前になりますね。そのときはほとんどホテルはなくて、クタの海辺の民宿が1泊1ドルで泊めてくれた。お客さんは、欧米人の、ほとんどがいわゆるヒッピーと言われる人たちでした。

1泊1ドルの民宿で、本当に静かなバリを体験しました。

小野 今とはまるで違いますね。

倉沢 夜になると、海岸がもう真っ暗なんです。星がすごくきれいで、今のクタからは想像がつきません。

観光以外の関わり合いをしたのは、慶應の経済学部のゼミ旅行の行き先を、2004年から、ジャワの村からバリの村に移してからです。いわゆる観光地ではない、西のほうの、ヌガラという町よりバスで45分ほどデンパサール寄りの、本当に何もない村の農家にホームステイすることにしたのです。

たまたまバリのウダヤナ大学の先生がそこのご出身で、観光に汚染されていないからいいんじゃないかと段取りしてくださった。そこに、毎年ゼミ生を連れて行き、定年になったときにやめようと思ったのですが、下級生が、「先生、ゼミなくなっちゃうの?」と言うので、いまだにそれを続けています(笑)。

バリ・ヒンドゥーの魅力

小野 バリに通っているうちに知り合いが増えて、いろいろなことを見せてもらえるようになりました。特に感激したのは、大きな公開火葬を見せてもらったことです(写真)。

ウブドの王族であるチョコルダさんのお母様が亡くなられたときにご招待状をいただき、内側から全部見ることができて写真も撮らせていただきました。これはすごいなと思って。大変なお金をかけるんです。なぜこんなにお金をかけるのか、いろいろ、バリの文化について考えるようになったんです。

倉沢 バリ島の火葬というのは大事な宗教行事なんですね。学生のホームステイ先でも、いろいろな儀礼ももちろん、火葬も体験させていただいています。たまたま今年は大きな火葬がその村であるんです。

新井 やはりバリというとバリ・ヒンドゥーの独特の文化が魅力的ですね。16世紀にマジャパヒト王国が滅亡し、ジャワからバリに亡命したとき、ニラルタという高僧もバリに渡ります。「聖水による清め」の儀礼を創始し、バリ・ヒンドゥーの礎を築いたと言われている聖人ですね。

すごい神通力を持っていて、バリ上陸後は、疫病が流行っている村々を巡り、マントラを唱えながら聖水を作って人々にふりかけ、病気を治したと言われています。ですから、バリ島にはニラルタに関係する村や寺院がたくさんあるんですね。木彫りで有名なマス村もその1つです。

小野 そうなんですね。

新井 またニラルタはジャワで受け継がれてきた宮廷文化、文学や音楽、舞踊劇などもバリに伝えます。こうしてバリに華麗なるヒンドゥー文化が花開くのです。インドネシア全体では人口の1、2%に過ぎないヒンドゥー教ですが、唯一バリだけがその文化を守り抜くんですね。

やはりバリ・ヒンドゥーは、儀礼など見た目も美しく、また、すべて目に見えるものと見えないものとのバランス、調和を大切にする。そういう精神世界が魅力ですよね。

公開火葬で天に昇る(撮影:小野隆彦)
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