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【三人閑談】
日本のジーンズ

2018/06/26

日本が発見した「赤耳」

佐伯 それからもう一つ、ジーンズには赤耳というものがあります(写真)。織物の端っこが、赤い「色糸」で区別してあって、それがほつれ止めになっています。

赤耳は、力織機という旧式の機械で織るときに出てくるものです。今では能率が悪いので、そんな機械は使いません。だからアメリカや先進国では、その古い機械はとっくに捨ててしまっていた。ところが日本人は、工場長とか職人さんがもったいないからといって、力織機を納屋で取っておいた。

マークス リーバイスの代名詞ともいえる「501」には、もともと赤耳が付いていました。でも、アメリカ人は「赤耳が格好いい」なんて全然思わなかった。ただ普通に、製造工程で仕方なく出てきてしまうものだったわけです。

日本でも70年代のデニムには赤耳は付いていなくて、ジーパンが普及していくなかで、マニアの人がなんとなく501の風合いが良くて、色の落ち具合も良いと感じ、そして、赤耳の存在にも気付いた。それで、80年代にわざわざ小さい織機、たぶん帆布の織機を使って、赤耳の付いたデニムを作ったんです。

つまり、自然に生まれたわけではなく、アメリカの真似をしようと思ったときに、アメリカ人が気付いていないところを真似しようとした。すごく人工的な経緯なんです。

道家 面白いですねえ。

マークス 1990年代、日本のEVISUといったブランドがアメリカとイギリスに売り出すまでは、向こうで赤耳にこだわっている人はほとんどいなくて、日本のブランドが「赤耳がいい」とか「これは501っぽい」と言ったから、西洋人がやっと「赤耳デニムって格好いいんだ」と気付いたんです。

今では海外でも、デニムマニアは、赤耳が付いているものしか買わないようになりました。あれは完全に、アメリカの文化を日本人が復活させたものです。

リーバイスは1984年まで赤耳のジーパンを作っていたのですが、85年以降はありません。リーバイスのデニム生地を作ってきたのは、ノースカロライナ州にあるコーンミルズ社のホワイトオーク工場で、その工場には昔の力織機があったのですが、使っていなかった。でも、日本の岡山の工場がそれを使っていることに気付いて、じゃあ真似しようということで、コーンミルズがまた赤耳のデニムを作るようになったんです。

しかし、去年、その工場も閉鎖になってしまい、アメリカで赤耳デニムを作れる工場は今は1つもないのです。でも、日本には残っている。だから、これは本当に日本独特の製品になっていると思います。

ジーンズの「赤耳」(矢印の部分)

「一生穿き続けられる」

佐伯 古いものを大事にする、捨てないという精神が日本人にはあるんですね。つまり、能率一辺倒でコストが安ければいいのではなくて、高くても風合いや色が良かったら売れる、という文化がジーンズ業界に残っていた。それが今でも続いているということですね。

道家 そうですね。私は50代なのですが、私たちの世代は、もうモノを買うことに疲れてしまっています。さんざん買ってきたからもういいよ、みたいな(笑)。子育てが終わったような世代の人は、もっと丁寧に暮らしたいと思っているマインドの人も多いと思います。

数年前、慶應の卒業25年で大同窓会があったのですが、そこでも話に出たのは、みんな昔はよく買っていたけれども、あれはちょっとね、という話になりました。もう少し、地に足をつけた生活をしていこうよという志向が出ていると思います。

マークス ジーパンって、穿けば穿くほどだんだん格好よくなっていく。これは着るものでは唯一ジーンズだけが持つ特徴じゃないでしょうか。

日本のデニムは、海外ではちょっと高くて、ある意味高級品のような感じも持たれています。つまり、エルメスとかヴィトンの鞄と同じように、高いけれどもずっと一生使えるようなものと。だから、硬くて分厚いデニムだと、最初は穿くのが大変だけど、「本当に一生ずっと穿ける」みたいなストーリーが込められているように思います。

アメリカから来た特別な服

道家 デニム素材については、穿きやすいストレッチ加工など、今はさまざまな技術が進んでいますね。

マークス ただ、日本のデニムがなぜそんなに海外で評価されているのかというと、実はストレッチとかが入っていないからなんです。本当に50年代のデニムと全く同じような、分厚くて硬くて、色落ちがいいようなものだからです。日本のカイハラとか日本綿布のジーンズはストレッチもないし人工繊維も入っていない。それがいいと思われているんです。

佐伯 ファストフードってあるでしょう。要するに何でもいいからとにかく安く食べよう、たくさん食べようというものです。一方で、グルメブームもすごいですね。着るものも一緒で、いろいろなファストファッションがファッションの世界を席巻していますが、あれは本来の日本のジーンズ文化とはちょっと違うんじゃないかと思います。

マークス ハンバーガーはアメリカのファストフードですが、マクドナルドの日本での第一号店は銀座に置かれました。つまり、当時は結構上等なもの、高級品に近いものだったわけです。ジーパンもそれに近いですね。

道家 その後、アメリカでは素材の質も下がってしまいました。

マークス それはやはり、ジーパンが最初から、アメリカでとても一般的なもので、何も特別なものではなかったからだろうと思います。つまり、格好いいけれども、アンチファッションなのです。着るものを考えないからジーパンを穿く、ステータスを考えないからジーパンを穿く。だからヒッピーも穿いていたし、ジェームズ・ディーンのように、反社会的なイメージとして穿いていた。ジーパンは、ファッションではなくあくまで機能的なものだったわけです。

でも、日本ではジーパンというのは、アメリカから来た特別なファッションでした。だからすごく大切にしていて、アメリカのジーンズの質がだんだん落ちていったとき、どうしてこんなに特別なファッションなのに質が下がっていくのか、日本人は不思議に思ったはずです。

佐伯 ああ、なるほどね。

マークス それで、日本のブランドが、もう少し高級のジーパンを作ったらどうかなと思った。でも、80年代にビッグジョンが「ビッグジョン・レア」というブランドで、初めて高価な赤耳デニムを出しましたが、全然売れませんでした。ステュディオ・ダ・ルチザン(STUDIO DÅfARTISAN)というブランドもそうです。

佐伯 日本では、ジーンズは最初からファッションだった。でも、アメリカではやはり作業着の延長線だった、ということが背景にあるんでしょうね。

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