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【三人閑談】
日本のジーンズ

2018/06/26

  • 佐伯 晃(さえき あきら)

    日本ジーンズ協議会顧問。1965年慶應義塾大学経済学部卒業後、帝人入社。東京販売部、ニット販売部を経てアパレル企業の帝人ワオに出向、同社社長を務め2002年退任。日本ジーンズ協議会専務理事等を経て現職。

  • 道家 美奈子(どうけ みなこ)

    アトリエ・ツイン代表取締役、ディレクター・デザイナー。 1986年慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、バンタンデザイン研究所ファッションデザイン学科卒業。株式会社レナウンルックを経てアトリエ・ツイン入社、2007年より現職。

  • デーヴィッド・マークス 

    ファッションジャーナリスト。 2001年ハーバード大学東洋学部卒業、2006年慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程修了。日本の音楽、ファッション、アートについて雑誌、ウェブ等に 寄稿。著書に『AMETORA 日本がアメリカンスタイルを救った物語』。

日本の若者のファッション愛

佐伯 マークスさんが昨年出された『AMETORA 日本がアメリカンスタイルを救った物語』を拝読しました。実によく調べていらっしゃるし、研究書として素晴らしいと思います。

マークス ありがとうございます。書く際には、佐伯さんも書かれている『ヒストリー 日本のジーンズ』の資料が大変参考になりました。

佐伯 この本はどんなきっかけでお書きになったのですか。

マークス 私自身、もともと洋服とかファッションに全く興味はありませんでした。でも、それはたぶんアメリカの男性として普通のことです(笑)。

高校のとき日本に3週間ホームステイをしたのがきっかけで、日本について勉強しようと思いました。90年代の終わり頃に、日本の若者たちの間では「裏原宿」がブームになりましたね。そこで彼らは、何時間も並んでTシャツを買っていた。なぜ日本人の若者がそこまで洋服に情熱を傾けるのか、とても興味を持ちました。 以前、『三田評論』でもアイビーファッションに関する三人閑談(2014年5月号)がありましたが、アイビーブームの立役者であるくろすとしゆきさんが65年に作った『TAKE IVY』という本の英語版が2010年にアメリカで出て、結構話題になりました。

佐伯 そうなんですね。

マークス なぜ日本人が65年にアイビーファッションの本を作ったのかというのはとても興味深くて、まず日本のアイビーについて本を書こうと思ったんです。でも、出版社から、日本のジーンズもすごく海外で人気があるという話を聞いて、それも調べることにしました。なぜ日本人がそんなにいいジーンズを作るようになったのか、というところがとても面白いと思ったんです。

『AMETORA』は、2015年に英語版が出て、去年の9月に日本語版が出ました。先日、中国語版も出たところです。

道家 すごいですね。どういった方が読んでいらっしゃるんでしょう。

マークス 「アメトラ」という名前なので、アイビーの話の本だと思われがちですが、たぶん一番海外で読んでくれているのは、デニムマニアの人たちです。特にヨーロッパに日本デニムマニアの人が多いんです。そういう人たちにとって、こういう日本のデニムの話がある本はあまりないみたいですね。

日本の「藍染め」とジーンズ

マークス 今、日本のジーンズは、世界で一番敬意を持ってみられている。一番本格的だと思われているのです。もともとアメリカで生まれたものなのに。だから、アメリカで本格的なジーパンを作りたいブランドは、絶対に日本のデニムを使います。「日本のデニムじゃないと本物じゃない」みたいな考え方になっている。これはある意味で奇跡に近いことです。

佐伯 なぜ日本のジーンズが世界一になったのか、改めて考えてみると、戦後、アメリカの駐留軍が、特に厚木基地で着古したジーンズを、チャリティで教会に寄付していたんですね。それを、日本人が憧れて着るようになった。でも、チャリティですからそんなに量はなかった。

上野のアメ横にマルセルというお店があって、そこの創業者の檜山健一さんが「これ、売れるぞ」ということで始めたのが原点です。そこから岡山の業者が手がけていくのですが、そこでハッと気が付いたのが、「なんだ、日本には藍染めがあるじゃないか」ということ。 藍染めといっても、「藍」の色は何十種類もあります。僕の祖母の世代なんかだと、全部その色の名前が言えました。それだけ日本には藍染めの文化があったんですね。これはジーンズに使える、藍色に関してはわれわれが世界一だ、ということで染めにこだわった。

マークス そこは面白いところで、日本の「本藍染め」でジーンズを染めると、実はちょっとクオリティが高過ぎるんですよね。つまり、芯まで藍が入ってしまって、あまり色が落ちないんです(笑)。

アメリカでは、ロープ染色(綿糸をロープ状に束ねて染める)という技術を使っていて、そのほうがコストも安い。それを、日本では広島のカイハラが最初に取り入れました。

つまりカイハラは、アメリカの真似をしなきゃいけないと思って、日本の昔からの藍染め文化があるけれども、あえてアメリカの、色が落ちやすい方法を使うことにしたわけです。

90年代に入ると、昔の藍染め文化と、アメリカの染め方を混ぜたようなブランドも出てきました。

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