【三人閑談】
ウルトラセブン50年
2017/10/01
セブンの音楽とデザイン
桑畑 セブンというと、どうしても私がこだわってしまうのが、冬木透先生の音楽なんです。
ひし美 音楽も、成田亨先生のデザインも、すべていい。
桑畑 そうですね。特に、自分がクラシックファンということもあって、やはり最終回のシューマンのピアノ協奏曲は心に響きます。
実はここで使われたピアノ協奏曲はカラヤン指揮の1948年録音のものですが、ピアニストのディヌ・リパッティはこの録音の2年後に30ちょっとの若さで病気で亡くなってしまうんです。
冬木先生はそこまで分かってこの録音を選択したのでは、とも思うんですね。その音楽を最後の命を懸けて戦うセブンの姿に重ねて……。
碓井 なるほど。
桑畑 当時は子供だから、セブンのために書かれた曲かなと思っていたのが、シューマン作曲と分かると、「よくあれだけピタッと合う曲が見つかったなあ」と思って。
ひし美 冬木先生は、高校の音楽の先生で担任まで務めながら関わった作品だったんですよ。製作費を抑えるためかどうかは分かりませんが、たまたま学生時代にTBSでバイトに入って円谷一さんや実相寺さんと知り合って。
桑畑 なるほど。そうすると、冬木先生を使うと安いというところも大きかったと。
ひし美 真意のほどは分かりませんが、それでいてあんなに素晴らしいものを残した。だから、セブンに関わった人はみんなこうやって引き出されているわけです。
桑畑 ウルトラセブンの主題歌も、ホルンのあのブーン、ブーンという音がものすごく耳に残るんですね。
碓井 つい反応してしまいます。
桑畑 ああいうホルンの使い方自体そうそうない。あれは変ホ長調の曲で、変ホ長調というのは、クラシックの世界では英雄の調べといわれるらしいのです。英雄というのは、強いけれども、どこか悲しみを背負っていて、でも先頭に立ってやっていかないといけない。ベートーベンのピアノ協奏曲の5番「皇帝」と、交響曲の第3番「英雄」は、両方とも変ホ長調の曲なのです。それをやはり、ウルトラセブンの主題歌でも使っている。ホルンで勇壮さを出して。
碓井 すごいセンスですね。ウルトラマンのときはあまりクラシックというイメージがないですよね。音楽も全然違うタイプで。やはりセブンで全体が変わって大人っぽくなっている。話そのものも子供たち向けというだけでなくなっている。
それと、やはりデザインに注目ですね。成田亨さんもそうですが、僕にとっては池谷仙克(いけやのりよし)さんです。
ひし美 池谷さん。うん、うん。
碓井 実相寺作品で一緒に仕事をさせていただいたりしたのですが、池谷さんのデザインも、50年どころか、ずっと生き続けると思います。
ひし美 そうですね。だから、ノンマルト(42話)をキャベツからイメージしたりとか。池谷さんも亡くなってしまって……。
桑畑 デザインというと、メカのデザインもありますね。
碓井 素晴らしい。ウルトラ警備隊専用車のポインターも大好きだし。
桑畑 ポインターもですが、やはり子供心にウルトラホーク1号の分離・合体というのは本当に格好よくて。プラモデルつくりましたよ。
碓井 どれほどつくったか(笑)。
ひし美 α、β、γとあって、分離・合体するんですよね。
桑畑 はい。途中でγ号に強制的に合体して助けるというのがありました。あれキュラソ星人の回(7話)でしたよね。
ひし美 さらわれたアンヌを助けるために合体した、7話「宇宙囚人303」(鈴木監督)です。うちのそばに、ロケをしたガソリンスタンドがまだ残っているんです。
桑畑 キュラソ星人が人を殺すところですね。
ひし美 私、あの星人が一番怖かった。
桑畑 実際、ただの犯罪者なんですよね。本国の星からも、「見つけ次第処刑してもらっていい」と地球にわざわざ言ってくる。リアルな怖さがありましたね。
ひし美 現実のストーカーみたいな感じで。
科学万能へのクエスチョン
ひし美 セブンの前のウルトラマンは、大人を意識した要素がなくて、お子さん相手の娯楽だったわけですよね。
桑畑 中には違うものもありますけど、基本的には怪獣がドーンと出てきて、ウルトラマンがドーンと倒してという、勧善懲悪に近いようなものが主体でしたね。
碓井 それに怪獣というのは自然現象みたいなもので、なぜ現れたとか、どうしたいとか、そこには理屈がなかった。でも、セブンの宇宙人は理由があって地球に来ている。こうやって侵略しようとか、彼らには知性も考えもあるんです。
ひし美 向こうの言い分もある。
桑畑 だから、正義って本当に何が正しいのだろうと考えさせるところがありますね。
ペガッサ星人(6話)にしても、悪気があるわけではなく、たまたま自分たちの乗っているペガッサ市が地球にぶつかるから、ぶつからないようにしたいと。でも、故障しているので、地球を動かしてくれと言う。しかし、地球には動かす技術がない。
碓井 すごい話ですよね。
桑畑 しょうがないからペガッサ市を破壊するしかないということになって地球防衛軍は破壊するのだけど、見ていて切なくなる話ですよね。
碓井 単純に善と悪に分かれていて、善であるこちら側が、悪である敵を倒すという話ではまったくない。
桑畑 ノンマルト(42話)なんかもその最たるものですね。もともとノンマルトが地球人だという、真市少年のセリフがありますよね。
碓井 あれはすごい設定ですよね。
ひし美 先住民。
碓井 当時、沖縄の方や北海道の方がご覧になっていたら、どんなふうに見えたんだろうと思いますもの。
桑畑 そうですね。だから、当時も本当にうっすらとした記憶ながら、キリヤマ隊長の「これで地球はわれわれのものだ」というセリフも、「いや、本当にそうなの?」とちょっと感じましたよね。
ひし美 地球人と宇宙人が戦っているんだけど、それを凝縮したものは、地球の中のいろいろな問題の比喩に全部なっているわけね。
桑畑 イメージが置き換えられる。第3次世界大戦だとか、あるいは冷戦構造のメタファーとして。
ひし美 だから、いつまでも分かりやすい。人間としてすごくうなずける内容になっているんじゃないかと。50年たってもそうだから。
桑畑 だから、悲しいことですけど、人類って成長してないなあ、となりますよね。「第四惑星」にしても、今これだけAIとかロボットが出てきて、実際それによって奪われる職もあるわけです。今はAIにさせたほうが間違いない判断ができることも多い。すると、行き着く先はこの第四惑星のような世界になるんじゃないかと。
碓井 これを50年前にやっているわけですからね。もちろん進化や進歩には、いいこともたくさんあるんですが、「でもね」という部分もセブンでは描いていました。あの時代に、「科学万能でいいのか」「進歩することはすべて正義か」とクエスチョンを投げかけたことは強調していい。
ひし美 「超兵器R1号」(26話)を見ても、もっと強い兵器をつくれ、と言って不幸になっていく。
碓井 今だって、まさにそういうことですよね。
ひし美 ダンが「血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ」と言う。
碓井 しかも、そういう内容を日曜の夜7時にやっていたこと自体がすごいですよね、今思うと(笑)。
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