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小野山 要:撮影監督として世界を舞台に活躍

2025/10/24

  • 小野山 要(おのやま かなめ)

    撮影監督

    塾員(2004 文)。代表作に『Top Boy』など。卒業後、渡仏しパリを拠点に活動。フランスの映像業界で多様性を支持する団体「Divé+」を設立。

  • インタビュアー小泉 徳宏(こいずみ のりひろ)

    映画監督・塾員

撮影監督を志すまで

──現在、Netflixの『Top Boy』シリーズ(2022~2023年)や、映画『Inshallah A Boy』(2023年)で撮影監督を務めるなど、ワールドワイドにご活躍中ですね。

小野山 ありがとうございます。

──小野山さんは私と同じ、慶應のシネマ研究会のご出身ですが、映画にはいつ頃から興味を?

小野山 本格的に興味を持ったのは大学に入ってからですね。大学に入る前、僕は大阪と岡山の郊外で暮らしていたのですが、当時はインターネットの配信もまだなく、映画に触れる機会があまりなかったんです。

慶應に入学し、上京して初めて見たのはフランス映画、ギャスパー・ノエ監督の『カノン』(1998年)です。

──あれを最初に(笑)。すごい映画を見ましたね。

小野山 『カノン』を見て衝撃を受けて。実は見に行った時、偶然監督が劇場に来られていて、トークショーがあったんです。内容はわからなかったのですが、そこで初めてフランス語にも触れて、それがきっかけでフランスに興味を持つようになりました。

──『カノン』がきっかけで、フランス映画に興味を持ち、シネマ研究会に入ったのですね。

小野山 ただ、興味はありましたが、自分で映画を撮りたい、とはまだ思っていなかったんです。シネマ研究会でも映画を撮る、というより好きな映画について友人たちと話す時間の方が多かったですね。

実は卒業後、大学院に進むことが決まっていたのですが、色々と考えた結果、やはり映画の仕事に携わりたいと思って、一度、日本を出ることにしたんです。

──それで、フランスへ?

小野山 はい。フランス行きを決めた後、シネマ研究会の先輩の水野さんに「映画をやるって決めたのなら、これからは寝ても覚めても映画のことを考えるようにするべき」と言われ、それから毎日映画を見るようになりました。

フランスでの挑戦

──フランスでは、どのように映画の勉強をしたのですか?

小野山 国立の有名な映画学校を受験し、残念ながらそこには受からなかったのですが、「ESRA」という私立の映画学校に入ることができました。

ただ、入ってからも悩んでいて。映画に携わりたい、といっても自分のやりたいことがわからないし、何をすればいいのかもわからない。それで入学後、先輩である小泉さんに会いに行ったんです。

──覚えています。写真の話をしましたよね。

小野山 はい。会って色々話を聞いてもらって。その時に、カメラの話題になったんです。

当時はまだ映画学校でもフィルムで撮影をしていたのですが、16ミリカメラは誰も触りたがらなかったんです。それで余っていたカメラを使ってみたら面白かった、という話をしたら、小泉さんが学生時代に僕がカメラを持って写真を撮っていたことを思い出して、「撮影監督を目指したら?」と。

「撮影監督は、すごく大切な仕事で、監督と2人でペアになってやっていくんだ。小野山はそのポジションを目指してもいいんじゃないか」と言っていただいた。それで僕も撮影監督になる決心をしました。

見習いからカメラマンへ

──映画学校を卒業後、すぐに撮影監督として仕事ができたんですか?

小野山 いえ、最初は見習いとして現場に入りました。ただ、長編の作品に7本ぐらい見習いとして携わったのですが、助手に上がれなかったんです。その一方で、僕より明らかに技術力も低いような、若い子たちがどんどん助手として採用されていく。そんな理不尽な状況に気付き、最終的に独立してカメラマンになる道を選びました。

その頃、映画業界ではフィルム撮影からデジタル撮影に移行する大きな転換期でした。学校にいた時から、僕はフィルムに触れていましたが、デジタル撮影にも携わっていたんです。すると、フィルムもデジタルもこなせる人間ということで、幸いにも多くの仕事をいただけました。

──最初はどのようなお仕事だったのですか?

小野山 2007年、僕の卒業と同じ時期に、YouTubeの普及とiPhoneの登場による3G回線を使用した携帯端末での動画視聴の拡大など、技術革新が相次ぎ、映像をめぐる環境は大きな転換点を迎えていました。その流れを受けて、予算規模の小さい広告を毎日撮影していました。

映画を撮りたい、という思いはあったのですが、なかなか機会がなくて、どうにかこの状況を打ち破りたいと思い、ロサンゼルスに行ったんです。

──何かあてがあったわけでもなく?

小野山 とりあえず行って、色々な人に会ったんです。その中には、今契約を結んでいる、アメリカの映像業界のエージェントもいて、初めて会った時に、アドバイスをもらったんです。

いきなりロサンゼルスに来たところで仕事は取れない。だからロンドンに行きなさい、と。そこでうまくいけば絶対に我々の所に名前が届くからと。

──意外ですね。ロンドンでの活躍がアメリカの活動に繋がるとは。

小野山 それで2017年に初めてロンドンに行った時、向こうのカメラマンに会ったのですが、その時に「インスタグラム、ある?」と聞かれたんです。どういうことだと思って、彼らのインスタグラムを見たら、もうポートフォリオみたいになっていて。だからその日の夜、自分のカプチーノやらネコの写真を全部撮って、急いでインスタグラムをプロ仕様にしました。

それをロンドンに行くたびに見せていたのですが、そんな中、やっと今のイギリスでの仕事を担当してくれているエージェントに出会えたんです。

そのエージェントから、「ヘンリー・スコフィールドという監督が新しいカメラマンを探してるから、やってみるか」と言われて、「やります」と即答しました。彼は当時、イギリスでも上り調子の監督で、イギリスの主要なアーティストのミュージックビデオも担当していました。

お蔭で、彼が監督したミュージックビデオを全部撮らせてもらえて、しかもその作品がミュージックビデオアワードにもノミネートされたんです。そこで初めて、イギリスで僕の名前を認知してもらえました。

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