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堀井良教:更科蕎麦の伝統を引き継ぎ「現代の名工」に選ばれる
2025/02/14
江戸の味を海外へというチャレンジ
──「蕎麦の可能性を追求する」ということで言うと、堀井さんはこれまでもいろいろやられてきた。例えば、2015年のミラノ万博にも参加され、一時ニューヨークに店も出されていましたね。
今、和食がユネスコの文化遺産になって見直されていますが、それを世界に広めることを10年以上前からやっておられるのですね。
堀井 和食の海外への普及の最初のきっかけは、2010年、アメリカのCIA(カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ)という料理大学で、「フード・オブ・ジャパン」という日本食のフェスティバルをやった時で、日本から日本料理、フレンチ、寿司、蕎麦、天ぷらなどを専門とするシェフが30何人行きました。
三國清三さんや服部幸應先生、力石寛夫先生がいらっしゃって和食のチームができ、そこから皆で政府に働きかけて、和食を文化遺産に登録しようという流れとなったのです。それで2015年に和食が世界文化遺産に登録されました。
──ミラノ万博へ行って蕎麦を打ったという話を聞いて、すごい話だなと思いました。
堀井 それもそのチームが中心でした。あれは食の万博だったので、世界の人に伝えよう、みたいな感じでしたね。
──海外の人にとって、蕎麦とはどういうものなのですか。
堀井 まだ寿司やラーメンに比べるとちょっと遅れているという感じですね。蕎麦というのは啜って食べるのが一つの魅力ですが、海外の方はなかなか啜れないということもあるし、小麦に比べてソバという穀物にまだ馴染みがないところもある。
ただ、ソバ単体で考えればグルテンフリーであったり、栄養価が高い。息子(堀井良光さん、2016環)は、慶應在学中は長谷部葉子先生のゼミにおり、コンゴ民主共和国でソバを植えていました。結実して収穫もできたそうです。中央アフリカの幼児死亡率の高さは、タンパク質とビタミンB1の不足によるものなので、ソバはそれを補える。しかも3か月でできて、やせた土地でも育つというところがソバの強みなのです。
──それはすごいですね。
堀井 ソバは栄養価は高く、荒れた土地でも育つので、ヌードルとしての蕎麦にも魅力はありますが作物単体としても可能性はあると思うのですね。
蕎麦の可能性を追い求めて
──面白い話ですね。最近はヘルシー志向だし、今、ヴィーガンのメニューもお店で出しているのですね。
堀井 そうなのです。もともとヴィーガンに興味があったのですが、不二製油さんという会社がミラコア(MIRACORE)という、植物性のものだけを組み合わせて鰹風味のエキスを作る技術を開発されました。これが蕎麦つゆのような濃いものでも合うのです。
江戸のつゆは、鰹節を煮詰めるのだけど、野菜出汁みたいなものは濃度が薄く、そばつゆのような濃い汁が今までできなかった。しかし、ミラコアを知ることで、「これが自分の求めていたものだ」というものに出会えました。やはり自分の中に課題意識があると、ヒントとなる出会いから「これは取り込めるな」となる。これは江戸前の技術を掘り下げていったからこそ気がつくところかなと思いますね。
不二製油グループの酒井幹夫社長(1983商)も慶應の一つ上の先輩で、連合三田会大会の時に、そのつゆで蕎麦を提供させてもらいました。
──なるほど、そうやっていろいろな意味で、蕎麦の可能性というものを追求しているわけですね。今はインバウンドのお客様は多いですか。
堀井 結構多いです。本店で言うと、今、売上の5%はインバウンドです。コロナ以前から、海外に動画で紹介されたりして、うちにはよく来ていました。大使館が多い土地柄というのもあると思います。
──これからこういうことにチャレンジしたいということはありますか。
堀井 蕎麦だけではなく、飲食業界自体、若い人たちがまだ入ってきてくれないところもあるので、「名工」として脚光を浴びたりすることで「蕎麦屋って面白いな」と思ってくれるような業界になるといいかなと思いますね。
技術だけではなく、海外に進出したり、ヴィーガンとかグルテンフリーという部分にも「ビジネスとして面白いな」と思ってくれればと。
今まで学んできたことで、「未来の種になるかな」と思うことを「何か面白そうだからやってみない?」と、次世代に渡していきたいと思います。
──「慶應義塾の目的」の中に「先導者」という言葉があります。お話からは、何か新しいことに挑戦し、それを先導している気概、誇りをすごく感じました。心から堀井さんはすごい人になったと思います。今日は有意義なお話を有り難うございました。
(2024年12月24日、三田キャンパス内にて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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