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堀井良教:更科蕎麦の伝統を引き継ぎ「現代の名工」に選ばれる
2025/02/14
哲学を学んで蕎麦打ちを修業する
──私が倫理学、堀井さんが哲学専攻で同期ですが、堀井さんは卒業してすぐに家業を継ぎ、お父さんと一緒に店をもり立ててきました。家を継いだ当時の心境はどういう感じでしたか。
堀井 大学院に残ろうかなという考えもあったんです。三雲夏生先生からも「どうするんだ、お前」とおっしゃっていただいたり。また、経済とかアメリカでMBA取得といった、現実的な学問をやりたい思いもあったのです。
そのあたりで迷っていたら、父から「お前、九代目なんだから使命があるんだ」みたいに言われ、「俺も存在価値があるのかな」と思い返したようなところがあったかと思います。
──いろいろな夢がある時期ですからね。お父さんから「九代目なんだから」と言われたときに感じたのは、この歴史を受け継がなければ、という使命感みたいなものですか。
堀井 あの頃はそればかりだったかもしれないですね。やはりこういう家に生まれて、自分が九代目ということの誇りはあったのかもしれません。かつて名店と言われていた店を復興するわけですし。そういう家に生まれてしまった、ということが自分の一つのアイデンティティみたいになっていたのかもしれないですね。
──慶應の哲学専攻に在学中の思い出はいかがですか。
堀井 結構本は読んだと思いますね。卒論がデカルトだったので、『省察』とかは本当にぼろぼろになるまで読んでいたし、フッサールなども結構ちゃんと読んでいたかなと思います。
図書館にこもって、割と楽しく本を読んだ思い出がすごくあります。今でも哲学書は読むんです。ベルクソンは去年までに全部読み直しました。
──どうしてまたベルクソンを。やはりフランス哲学なんですか。
堀井 ベルクソンが好きなんですね。小林秀雄がすごく好きだし、アランとかヴァレリーなどフランス哲学が結構好きですね。楽器を学生時代にやった人は、やはりその後も全然レベルが違うじゃないですか。それと同じで「学生時代に哲学書を読んでいたよ」みたいな、そういう得意技みたいなところがあるのかなと思います。
──哲学というのは、そういう意味では一生付き合える学問ですね。そしてその年代、年代でまた受け止め方が違う。
堀井 違いますよね。そういう哲学書を読める環境に4年間いたことは、すごい宝だなと思っています。
──昔は今と比べるとゆったりしていて学生の自主性に任せて、興味があれば何でも与えてくれたし、興味が出るまで待ってくれてもいた。
卒業後に、「やはり慶應というのはいいな」ということはありますか。
堀井 やはり商売をやっていると、すごくつながりの強さを感じますね。老舗の人たちには本当に慶應の方が多いですし、最初に会ったときから打ち解けられるところは確かにあります。
「東都のれん会」という老舗の会にも入っているのですが榮太樓總本鋪さんとか、山本海苔店さんなど慶應だらけです。なので、すっと入っていけるようなところがありますね。
──また、2月3日の福澤先生の御命日は、麻布山善福寺に多くの慶應関係者が墓参に訪れ、お昼になると「では麻布十番の更科堀井へ」というルートがあるようですね。
堀井 そうですね。鳥居塾長の頃からか、ずっと来てくださるようになりました。鳥居さんは日常的にもうちに来てくださって、それから前塾長の長谷山さんもずっと来てくださっています。一番奥の狭いところで「いいのかな、塾長をこんな狭いところに閉じ込めて」みたいな(笑)。やはり慶應の方が来てくれるのは嬉しいです。
変わるもの、変わらないもの
──令和の時代になると、やはり味の好みとか、あるいはお客様の層は変わっていますか。
堀井 まず素材が変わりますね。私が始めた頃の醤油と現在のものとでは、まろやかさやうま味成分が違う。昔の醤油は、卓上に置いておくとすぐ色が黒くなったじゃないですか。でも昔と同じように砂糖を入れていたら、すごく甘いおつゆになってしまう。醤油のうま味も強くなっているからです。
また、若い頃は自動販売機にお茶があるなんて考えられなかったですよね。昔は甘いものが御馳走で、自販機もチェリオとかコーラとか、甘いもの以外に金を出さないところがあった。世の中全体が甘いもの志向というか、カロリーを摂りたい時代だったと思うのです。
でも、今はもう、あんなに甘いものに対する嗜好はない。世の中の味覚も変わってきています。僕は自分の持っている味覚は、多分、父からもらっている。その核みたいなものはあるけれど、父と同じやり方では駄目な部分もあるわけです。だから自分の中の「美味しい」という基準に対して、素材が変わり、僕の体も変わったので、そこに合わせていくということかと思います。
だから、僕のおつゆで育っている息子は、これから10年後におつゆを違った味にしていくと思うのです。真ん中の部分は先祖から受け継いでいても、時代に合わせてどんどん変えていくところはあるのではないかと思いますね。
──変わらないものと、時代に合わせて変わっていくものがあると。
堀井 僕らは九代続いているので、芯の部分はあると思うのです。しかし、それは基準としつつ、「これを基準にもうちょっと甘くしよう」とか、時代に合わせてどんどん味も変えていくものだと思いますね。
──なるほど。今の話は、生き方にも通じるものもありますね。
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