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中村 萬壽/中村 時蔵/中村 梅枝:幼稚舎三代の歌舞伎俳優が同時襲名

2024/10/15

  • 中村 萬壽(小川 光晴)(なかむら まんじゅ(おがわ みつはる))

    歌舞伎俳優・塾員 ※写真右

  • 中村 時蔵(小川 義晴)(なかむら ときぞう(おがわ よしはる))

    歌舞伎俳優・塾員 ※写真左

  • 中村 梅枝(小川 大晴)(なかむら ばいし(おがわ ひろはる))

    歌舞伎俳優(幼稚舎3年生) ※写真中央

  • インタビュアー加藤 三明(かとう みつあき)

    慶應義塾名誉教諭

同時襲名の経緯

──まず三代同時襲名、おめでとうございます。小川家の皆さんとは縁があって、萬壽さん(光晴君)とは幼稚舎・普通部で同じクラス、時蔵さん(義晴君)は私が幼稚舎で6年間担任した生徒でした。そして梅枝の大晴君は今幼稚舎3年生ですね。今回の三代同時襲名というのは珍しいことですか。

萬壽 珍しいと言えば珍しいです。ただ、このごろ皆、長生きするようになりましたでしょう。私の名前(時蔵)も私が早く死んでいれば、早くに息子が継いで、私自身の新しい名前を考えることもなかったのですけど。

今回初舞台で孫に名乗らせた梅枝という名前は、私も名乗っていた幼名で、ある程度の歳になったら名前を変えてやらないといけないのです。今回、孫の初舞台を梅枝襲名からさせたいと思った時、ここで息子に時蔵の名前を譲り、私が新しい名前を考えようとなったんです。

──確か萬壽さんの弟にあたる小川信次郎君もずっと中村信二郎で、いきなり錦之助(二代目)になりましたよね。

萬壽 そうです。あの時は松竹の永山武臣会長がもう信二郎ではおかしいから名前を考えてやれと。それで「錦之助」となったんです。

──初代錦之助は叔父さんですか。

萬壽 そうです。父(四代時蔵)の弟です。うちが播磨屋から萬屋という屋号に変わった時、「俺が萬屋という名前を広めてやる」と、中村錦之助から萬屋錦之介になったんですよ。

──萬壽という名前は今回初めて付けられたということですが、どういう由来ですか。

萬壽 萬屋なので「萬」という字をどうしても付けたいと思ったんです。それで、萬壽はどうかなと。調べると、平安時代の元号でもあり、縁起もいいし、日本酒の久保田の百寿、千寿、萬寿は有名でしょう。

改元された萬壽元年というのが十干十二支の甲子(きのえね)なのです。これは因縁だけど、私は十干十二支でいくと、乙未(きのとひつじ)なのです。そして私の祖父の三代目時蔵がやはり60違いの乙未。

面白いのが私の父が昭和2年の卯年で息子の時蔵も昭和62年の卯年。四代目時蔵と六代目時蔵も60違い。そういうこともあって、甲子の年に改元された萬壽はちょっと面白いかなと。それに萬壽元年は、西暦に直すと1024年でぴったり1000年前なんです。

──萬屋という屋号は、皆親戚ということですか?

萬壽 そうですね。屋号というのは役者さんにゆかりや因縁があってもらうことが多く、有名なのは市川團十郎家。これは元禄から続いているお家で成田屋ですが、成田山の新勝寺を信心していらして、そこから屋号をいただいたというものです。

うちはもともと兵庫県の播磨の出で播磨屋だったのです。萬屋というのは、私どもの曾祖母の家が江戸三座といわれていた市村座の座付きの萬屋という芝居茶屋の一人娘だったのです。家が絶えてしまうから、子どもが生まれたら一人家を継がせてくれと言って、継いだのがうちのお祖父さん(三代目時蔵)で、小川姓になった。それでひいお祖母さんの家の名前から萬屋になったのです。

──今回の襲名興行で萬壽さんの従兄弟である(二代目)中村獅童さんの息子さんの陽喜君(初代中村陽喜)、夏幹君(初代中村夏幹)も襲名しましたけど、彼らも萬屋ですか?

萬壽 はい。萬屋です。けれど、播磨屋も人がいなくなって誰も跡継ぎがいないというので、従兄弟2人、(五代目)中村歌六と(三代目)中村又五郎の家族は播磨屋に戻ったんですね。

『恋女房染分手綱』乳人重の井 初代中村萬壽、自然薯の三吉 五代目中村梅枝 (撮影 小川知子)

時蔵という名前

──時蔵さんは、「時蔵を譲りたい」と伝えられた時はどんな気持ちでしたか。

時蔵 3年前の6月、博多座の公演に出ている時に、父から話があるからご飯に行こうと言われ、時蔵を譲りたいと。その時は「絶対嫌だ、まだ早い。(父の)名前をどうするのですか」と言ったんです。

萬壽 彼はそう言うけれど、やはり襲名は2、3年前から準備しないとできないのです。早くから皆を納得させて、上手く話をもっていっていこうと。

──萬壽さんが時蔵になったのは何歳ですか。

萬壽 26です。彼は36なので、本来、もう少し早く考えてやらなければいけなかった。

──2人とも幼稚舎の時はもう梅枝でしたが何歳で襲名したのですか。

萬壽 初舞台の4歳の時。

時蔵 僕は6歳から梅枝でした。

──大晴君は?

梅枝 8歳です。

萬壽 大晴も本当はもう少し早く初舞台をしたかったのですが、コロナで、延び延びになってしまったので。

──時蔵という名前はどういう伝統があるのですか。

萬壽 初代時蔵は私の曾祖父三代目中村歌六の本名です。うちは名跡にあたる名前がないので、本名や俳名をつけたんです。実は獅童は俳名です。梅枝も実は初代歌六の俳名。

──梅枝は何代目になるの。

萬壽 私が三代目です。

時蔵 私が四代目。

──大晴君が五代目と。

萬壽 時蔵という名前は、曾祖父の頃は、本名だから誰も知らない名前でした。二代目時蔵さんが養子でそれを継ぎ、早く亡くなった後に、私のお祖父さんが三代目として時蔵という名前を大きくしたのです。うちの父は四代目でしたが早く亡くなり、私が五代目。

今度は六代目にもっと大きくしてもらえればと思います。

『妹背山婦女庭訓 三笠山御殿』杉酒屋娘お三輪 六代目中村時蔵 (撮影 小川知子)
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