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永井紗耶子:歴史小説で第169回直木賞を受賞

2024/01/15

歌舞伎と落語に触発されて

──私は歌舞伎の記事も担当していますが、『木挽町のあだ討ち』は歌舞伎を知らない人にもわかるように書かれているのが見事です。

永井 『日経エンタテインメント!』で歌舞伎入門の連載を担当した経験が生きているのかもしれません。市川染五郎(現・松本幸四郎)さんにお話を聞き、松羽目物(まつばめもの)とはこういうものとか、荒事はこういうものといったことを書かせてもらいました。

四国の金丸座まで取材に行き、「女殺油地獄」を観た後、舞台裏を見せてもらいました。そこで初めて奈落を間近にでき、スタッフの人たちが片づけをしている熱気をワクワクしながら見ることができました。

──作中でも奈落は重要な場面です。

永井 そうですね。舞台との距離感を掴む上でも奈落の機構を見られたのは本当に大きな経験でした。

──資料から想像する以上のリアリティが得られたのですね。『木挽町のあだ討ち』の登場人物は皆生き生きしていて、永井さんの人生経験が滲み込んでいるようです。

永井 私自身も芝居がとても好きで、劇場には頻繁に通っています。実は大学卒業後に入った産経新聞を半年ほどで辞めた時、まったく書けなかった時期がありました。文章を読むのもしんどいほどだったのですが、劇場と美術館に通うことはできました。

──歌舞伎以外の芝居もご覧になっていたのですか?

永井 芝居は学生時代から下北沢界隈の小劇場でよく観ていました。新聞社を辞めた時、芝居の裏方をやりたいと思い、野田秀樹さんが主宰するNODA・MAPのワークショップにも参加しました。おそらく何かきっかけがほしかったのでしょう。とりあえず応募したところ選考に通ってしまった。参加してみると、ガチの演劇畑の人たちが大勢いて、台本を読まされたりしました(笑)。

私は中村勘三郎さんと野田秀樹さんが好きで、NODA・MAPは中学生の時から前身の夢の遊眠社の興行を観ていましたし、解散公演にも行きました。そうしたら、私が新聞社を辞めた頃、野田さんと勘三郎さんが歌舞伎狂言の演目「研辰(とぎたつ)の討たれ」をやったのです。

──「野田版 研辰の討たれ」も仇討ちの話ですね。

永井 これが私にとってディープインパクトでした。迷彩の袴を着た勘三郎さんが出てきて何かすごいことを始めたぞと感じた。あの作品で、野田さんが仇討ちとは何ぞやと問いかけていると感じたことが、仇討ちについて考えるきっかけになりました。

──『木挽町のあだ討ち』はいわばインタビュー形式の作品ですね。こうした表現にもライターとしての永井さんが溶け込んでいるように思えます。

永井 以前、先輩ライターの方に「インタビューはドアを開けて入ってきた瞬間から始まっている」と言われました。相手が入ってきた時の空気感みたいなものまで原稿に落とし込むようにと。『木挽町のあだ討ち』ではこうした雰囲気を登場人物の口調からも感じ取れるようにしたいと思いました。

──聞き手が“ここ”にいるのを感じさせつつ話が進んでいくのはすごいです。

永井 ロールプレイングゲームのように、読者が聞き手になって物語が進む面白さも演出したいと考えていました。

──以前、永井さんが出たラジオ番組で「頭の中で登場人物が1人でにしゃべり始めることもある」とおっしゃっていました。

永井 憑依芸ではありませんが、登場人物が脳内に住んでいるような(笑)。もともと考えている時間が長いので、書いているとそういう瞬間が訪れます。こうした時はそのままいけるのですが、逆に腹落ちしていない時はすごく練っている。キャラが勝手にしゃべり出すところまで詰まっていないと、上手くいかないようです。

──『木挽町のあだ討ち』の面白さは何と言ってもあの滑らかな語り口です。執筆中は落語を聞いていたそうですね。

永井 私が落語の独演会に行くきっかけになったのは、学生時代に飛行機の中で聴いた落語チャンネルでした。以前、ライター時代にお世話になった方に誘っていただき、後に人間国宝となる五街道雲助さんが1年半にわたって続けておられた独演会「らくご街道雲助五拾三次」に毎月通い、楽屋までお邪魔しました。ファンクラブにも入り、出版記念サイン会にも行くガチファンです(笑)。

誰にも言わずに書いていた

──中学・高校はミッション系の学校だったそうですね。当時から将来は物を書く仕事を志していたのでしょうか。

永井 書くことが好きだったので、そうなりたいと思っていました。聖書を二次創作したり、七三分けの徴税人マタイが登場する4コマ漫画を描いたりして遊んでいました(笑)。

小説を書き始めたのも中学生時代に童話を書いて賞をもらったり、小説で学生コンクールの賞をもらったりしていたことが大きかったと思います。実は大学時代もたくさん応募しました。

──永井さんと私は同時期にメディアコム(メディア・コミュニケーション研究所)で学んだ間柄ですが、それは知りませんでした。

永井 誰にも言わず、こそこそと時代小説を書いていました(笑)。

──慶應の文学部では何を専攻していたのでしょうか。

永井 専攻は人間科学でした。歴史小説を書いているので国文学専攻と思われるのですが、時代小説で新人賞を取る作家が少ない印象があり、現代小説も書けるようにと「人科」を選びました。就職先を考え始めた時に、マスコミに勤める作家が多いと知り、メディアコムにも入ったわけです。

──人間科学専攻ではどなたのゼミに所属していたのでしょうか。

永井 小林ポオル先生のゼミでした。ソシュールやボードリヤールといった言語学や哲学のテキストを読んでいました。

──私も永井さんもメディアコムでは大石裕先生のゼミに所属していました。大石ゼミに入ったのはなぜでしょう?

永井 何より面白そうだったからですが、新聞を読み込むことにとても手ごたえがありました。大石ゼミではとにかく新聞とにらめっこし、そこから1つのテーマをどのように扱うか、ひたすらディスカッションします。文学部にいて政治学の素養も身に付くのがとても面白かった。

大石先生も普段飲み会とかではフワッとしているのに、「いや、だからさ」と言い出してキレキレのコメントを飛ばす。急に目を覚まさせられる感じがほんとうにすごい。

4年生の時は、文学部の卒論とメディアコムの卒論に加え、新人賞の応募作品も書いていました。それはある歴史小説の賞でいいところまで進んだのですが、デビューには至りませんでした。

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