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寺田親弘:起業家育成を目指す「神山まるごと高専」

2023/12/15

起業家講師との交流

──起業家を育てていくわけですが、何か卒業生に対するサポートなどはイメージされていますか。

寺田 卒業生に投資するファンドを学校としてつくっても、利益を生みそうだと思っています。そういうファンドでできたお金はまた未来の学生の何かに充てるというサイクルをつくれたら、美しいなと思います。在校中、起業家講師という名前で毎週名だたる起業家の方に来ていただいていますが、その人たちとつながっていく機会もあると思うので、彼らは起業するのにかなり有利な立場だと思うのですね。

──すごい人たちが神山に教えにいらしていますね。

寺田 そうですね。昨日も星野リゾートの星野佳路さんが1泊2日で授業して、学生たちとたき火を囲んでずっと話しているんですよ。そんなことを毎週やっているので、相当ぜいたくなことですね。

起業家講師は起業というものを広い意味で捉えているので、アーティストもいれば官僚の方もいます。学生たちがそういう人たちとしゃべって、「すごいけど普通の人だな」という感じになっていく。最初は勘違いでも、大きなことを考えて失敗したりしながら、何かが生まれてくる期待はあります。

──学生さんたちと対峙する先生はどのように選ばれたのでしょうか。

寺田 先生集めはお金集めと同じぐらい大変でした。山の中に引っ越してくださいという話ですからね。しかも、うちのシラバスを教えられる先生を揃えるのは無理じゃないかと。

でも、半年間で先生たちもすごく成長しているように見えます。神山高専には毎日どこかの企業の人がいて、僕らも教育界の人間ではないし、当然ぶつかることもあるのですが、社会に開いた、ある種普通ではない学校なので、皆、社会と接して、いい意味で変化していっているんだと思います。

──先生たちにとってはいわゆる普通の学校ではないので、常識が通じない面もあるでしょうね。今後、普通の学校で先生をしていた人たちの授業が増えていくと、普通の学校化していくリスクはあると思うのですが。

寺田 一定程度そのリスクは感じています。この学校は普通の学校ではない前提で、先生方とどう上手くつくっていくか。一方、僕は学校の素人だから、わかってないことも当然あるわけで、それは日々悩んでいて本当に手探りです。

──いろいろな方を巻き込んでつくってきた中で、あの校歌はどういう経緯で生まれたんですか。

寺田 学校だから校歌が欲しいと思い、山川咲さんに、「何かいいものを企画してほしい」と言ったら、100年続く応援ソングの観点だと作曲は坂本龍一さんしかいないと。病床に伏していらしたのですが、最後の仕事として選んでもらい、取り組んでいただけた。歌詞はご指名だったUAさんにアタックして「KAMIYAMA」が生まれたんです。

──すごく素敵な歌ですね。

寺田 有り難うございます。校歌っぽくはないです。いきなり英語が出ているし、学生は歌えるのかなと。でもすごくメッセージがこもっている。有り難いバトンをもらったなと思って、大切にしていきたいと思っています。

個人の体験を超えた教育

──私は塾高から慶應ですが、塾生時代はどういう学生でしたか。

寺田 塾高は本当にぎりぎり卒業させてもらいました(笑)。停学もしていますし、ひどいものでした。野心と野望だけはあるものの、目の前にあることに対して盛り上がれないという。

でもSFCに進んで、学生ベンチャーもどきのようなことをやって、ちょっと社会に対して開けたように思い、これがいいみたいな感じがありました。僕はSFCの6期生ですが、当時はインターネットのメッカ的な感じで、それを語ることによって、大人とも接することができるような気がしました。

大学受験がなかったこと自体は、すごく良かったんだろうなと思います。高専は大学受験がないので、そこはつながっているかもしれないですね。

──好きなことをやれる学校ではありますよね。特に塾高は校則がほとんどない学校ですから。

寺田 塾高時代は自由な感じはとても良かったかなとは思いますね。一方、野心・野望を持て余してしまった自分もいた。だから、そういった子たちに応える学校をつくっています。

「寺田少年、君は神山高専に行っていたら、もっとインパクトのあることを早く叶えていたかもしれない」と過去の自分にある種向き合いつつやっています。

教育って本当に誰でも語るじゃないですか。そして、皆、自分が良かった時代を再現しようとする。僕は慶應の学生時代は良かったですが、もっと他にできることがあったのではないかという思いが、高専をやり始めた時の視点として強くありました。

──今の言葉は教育学者としては刺さる言葉です。教育は誰もが語るのですが、それはあくまで個人の視点、個人の体験だけで語っている。でも実際の教育は全く違う能力が求められる。
  寺田さんが言われた感覚は慶應だからそれを感じられたところが、もしかしたらあるかもしれませんね。

寺田 それはあると思います。慶應は少し客観的な空気、言わば、各々が自立して自由に動いている雰囲気がある場所だったような気がする。でも、あれをそのまま再現すればいいとは思えないですね。

──20代、30代、40代とご自身はどう変化してきましたか。

寺田 20代はサラリーマンで、30代はがむしゃらにやって、40ぐらいからは会社が死ぬ、生きるみたいな闘いではなくなり、もうワントラックやらなきゃと、神山高専を仕掛けているんですね。それが今仕上がって、もうすぐ50みたいな感じです。

今回の学校設立は、もう1回ゼロから起業したような感じがあって、難易度が高く、成長したという実感はすごくあります。それがこれから50代になって何をもたらすかまではまだよくわからないですけれど。

今は両方やるだけですごく忙しいですが、ちょっと思っているのが、僕らがやっていることはビジネスアプリケーションなんですが、もうちょっとサイエンスレベルまで持ち上がる社会実装みたいなものもやってみたい。

慶應の同級生で青野真士君(政策・メディア研究科、理工学研究科特任教授)がつくったAmoeba Energyという会社を株主としてコミットしています。バイオコンピューティングみたいなことをやっているんですが、ああいうのは面白いと思いますね。

──高専でモノをつくる子たちを育てることは、ある意味、間接的にそういうことにかかわっているのかなという気もします。

寺田 そうですね。神山高専のミッションとしている「モノをつくる力で、コトを起こす」という言葉は、僕もソフトウェアというモノはつくっている実感はあるのですが、自分のバックグラウンドがそうではなかったから、それこそ慶應高校にいた寺田君に、そういうことをちゃんと勉強しろと言いたかったんです。

彼ら、彼女らがどう、社会に変革をもたらすかは楽しみですね。

──今日はどうも有り難うございました。

(2023年10月19日、Sansan 本社にて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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