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寺田親弘:起業家育成を目指す「神山まるごと高専」

2023/12/15

  • 寺田 親弘(てらだ ちかひろ)

    Sansan株式会社代表取締役社長/CEO/CPO、神山まるごと高等専門学校理事長
    塾員(1999環)。Sansan株式会社代表取締役社長。三井物産を経て2007年Sansanを創業。本年4月「神山まるごと高専」を開校。

  • インタビュアー北村 友人(きたむら ゆうと)

    東京大学大学院教育学研究科教授・塾員

高専をつくるという選択

──本年4月に徳島県神山町に開校された「神山まるごと高専」が話題です。なぜそもそも高専(高等専門学校)をつくろうと思われたのですか。

寺田 僕はこれまでも、これからもビジネスが主戦場だと思っています。ただ、7、8年以上前から学校をやりたい思いがありました。

ビジネスでは届かない社会課題があるのは自明のことで、むしろビジネスで解決できることはとても小さいとわかっていました。そういう部分にお金ができたから寄付をするとかではなく、自分らしく何かできることはないかなと思った時、「やはり学校設立だろう」と思ったんですね。

では一番自分らしく学校をつくるには、どのような学校をどういうアングルでつくれば意味のあるものができるか。そういう中でいくつかのキーワードを合わせていったら、それが高専になったような感じです。

僕は中等部から塾高に進み、高専というもの自体は全然知りませんでした。会社(Sansan)をつくったら、高専卒の人が入ってきて、そんな仕組みもあるのかと思ったほどです。

学校設立を考えた時、高校はとかく大学の予備校のようになってしまったり、大学はその反動と就職準備の場になってしまっているところもある。その期間を若い人に上手く使えないだろうか、と思いました。

──その期間に起業家を育成したいということですね。

寺田 そうですね。僕は自分が起業家として得た経験、スキル、能力は学校教育の内側で得たものが少なかったという感覚があったんですね。起業家を育成するにあたって、もっと学校教育の内側でできることがあるのではないか、と思っていたんです。

また、これはインスピレーションですが、その時に縁があった神山町という、「奇跡の田舎」とも呼ばれるような東京の真逆の限界集落の場所で、起業家になるためのテクノロジー、デザインを学べる高専というキーワードを持つ学校があったら成立するんじゃないか、と思ったわけです。

僕は三井物産時代にアメリカのシリコンバレーを訪れた時、ここは砂漠に突然スタンフォードができてできあがった場所なんじゃないかという印象があったんです。だから、神山町にも小さくてもハブになるような教育機関が生まれたら、何十年後かにシリコンバレーのような場所にならないかなと。

開校までの苦闘

──学校設立までにはいろいろな曲折があったと思います。

寺田 そのような漠然とした考えで始めたのですが、当初はもうちょっとビックドナーみたいなイメージだったんですよ。構想をつくって、「よしよし頑張れ、いいじゃん」とかやっているイメージだったのですが、構想をぶち上げたものの全然進まない(笑)。

校長は決まっても理事長がいない。当時、ISAK(インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢)の小林りんさんに紹介された、起業家の山川咲さんを理事長にと思ってアプローチをしたら、彼女がすごく真剣に向き合った結果、「このプロジェクトは寺田さんが理事長をやるか、白紙に戻したほうがいい」と言われたんです。

その言葉は強烈に響きました。「白紙に戻せば」とまで言うのはすごい。それで、人生おかしくなっちゃうかもしれないけど、自分がやるしかないなと思い直しました。そこからの2年半は本当に大変でした。発表当時、社内外に言っていたのは、ダブルフルコミットメントだと。目茶苦茶な言葉ですが、2倍働いて、会社と学校100%やると言っていました(笑)。

──そうまでさせるのは学校の魅力と神山の魅力、どちらが大きいですか。

寺田 正直言うと、責任感だけで動いていた時期が結構長くあり、つらかったです。どんどん教員が決まり、移住するという人生の選択をしてくれる。寄付してくれる人も増えてくる。開校資金が27億円集まった。これで学校ができなかったらどうするんだ、と日に日に責任は大きくなりました。日々ワクワクしながらやっていたかと言われると、もっと必死でした。最近でこそ、やって良かったなと思いますけど。

──神山に最初に行かれたのは2010年頃ですよね。大南信也さんと出会い、サテライトオフィスをおつくりになったり。

寺田 その頃は楽しんでいました。いいな、この場所、神の山とか最高じゃんと(笑)。大南さんと初めて会った時、彼は「創造的過疎」という言葉を使っていた。神山の建設会社を祖父の代から経営されているんですが、彼自身はスタンフォードダブルマスターなんです。とてもインテリなコンセプトを持ち出してくる土建屋のおじさんだな、ととても興味が湧きました(笑)。そこから、町が変わっていくのを直接見てきて面白いなと思っていました。

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