三田評論ONLINE

【話題の人】
速水 聰:星出宇宙飛行士の健康を地上から見守る

2021/07/15

事前準備がとにかく重要

──実際に、心筋梗塞だとか、何か本当に緊急の事態が起きたことは今まであったのですか。

速水 ISS計画は2000年に宇宙飛行士の常駐が始まり20年近く経ちます。その間、宇宙飛行士が重篤な患者へ転じてしまうような医学的に深刻な事態は幸いありませんでした。

ただ、もちろん、今後もないという保証はありませんので、そのための対策はしっかりと取られています。大きく2つあるのですが、1つは事前の医学審査での評価を大変厳しくやっています。健康リスクが高い場合、搭乗を許可しないこともあり得ますし、JAXAの中での国内審査、その次に5極間の国際医学審査という2段構えで予防的な対策をしています。

もう1つ、もし本当に緊急事態が起こってしまった時に備えて、宇宙飛行士自身がBLSやACLSと言われる、医師やコメディカルがやるような心肺蘇生法の訓練を米国ヒューストンにあるNASAジョンソン宇宙センターでしているのです。

──すると、救急救命士ぐらいの腕はあるということですね。話を伺っていると、ある意味究極の遠隔医療をやっているという感じですね。

速水 そうですね。フライトサージャンがその場に行って触れることができないので、宇宙飛行士もあらかじめ自分や他人の健康状態を的確に伝える方法を訓練されています。

技術開発の分野では、常にこれが駄目だったら次はこれ、という冗長系システムがきちんと作りあげられているんですね。すなわち、ISSプログラム下の医療手順では、出たとこ勝負に頼らず、「こうなったときにはこうする」という、徹底したマニュアルがすごく細かく整理されています。

──なるほど。周到に訓練して準備していると。話を聞くと宇宙に行くまでの準備、予防医学的なことが9割ぐらい占める感じですね。

速水 おっしゃる通りです。私も打ち上げ前の準備の方が大変だったと感じる部分もあります。

──それは星出さんにとっても同じですよね。他にやらなくてはいけないこともたくさんあるでしょうし。

速水 はい。今回星出さんはJAXAの宇宙飛行士として2人目のISS船長に指名されています。

緊急事態時には船長が取り仕切るというルールになっています。なので、地上にいる時から、いかにISSでチームワークを発揮できるかという準備に、相当気を遣っていたのではないかなと思っています。本人はいつも素敵な笑顔ですが、精神的には相当負担がかかっていると思います。

──食事や栄養の管理もフライトサージャンの役割なのですか。

速水 そうですね。栄養管理はもちろん重要です。今はそれに加えて精神・心理的な要素、つまり、いわゆる「食事の楽しみ」という部分も結構考慮されてきています。

基本的な「標準食」というものはNASAから支給されています。ただ、JAXAの宇宙飛行士は日本人なので、馴れ親しんだ日本のものを少しでも食べられるようにと、「宇宙日本食」がJAXAで開発されています。現在、宇宙日本食は47品目あるので、星出さんはISSで宇宙日本食も食べられるようになっています。

──本当に幅広く体調管理をやっているわけですね。メンタルケアの部分は心理士が別にいるんですか。

速水 宇宙飛行士に1人付く専任フライトサージャンはあくまでもかかりつけ医という立場です。そして、専任フライトサージャンから、必要なコンサルテーションができる「医学運用チーム」がJAXA内に存在します。メンタルケアに関してはチームにいる精神科の先生と心理士が担当してくれています。すなわち、星出さんをサポートする医学運用チームの窓口が私という感じです。

──イメージとしては遠隔医療のかかりつけ医でしょうか。その役割の一方、例えば速水君自身の研究を星出さんにやってもらうようなことはあるんですか。

速水 ISSは国際協力による世界平和のシンボルである一方で、最先端の技術や研究を結集した科学実験室でもあります。なので、ISSに行く宇宙飛行士は医学実験を始め、いろいろな科学実験を行います。

私自身が星出さんに実験協力をお願いするということはありませんが、星出さんは様々な科学実験を行います。それらの実験の中で健康管理上、何かしらの影響を受ける懸念が出てきたりしないかを監視するために、リアルタイムでモニタリングはしています。

飛行後の宇宙飛行士のリハビリ

──今度は飛行後、帰還後ですが、まさにここが速水君の専門ですよね。宇宙飛行士に対するリハビリ医としての仕事は、野口さんが1例目ですか。

速水 実は2人目になります。私がリハビリ医として初のJAXAフライトサージャンに転職するきっかけを作ってくれたのは、現在杏林大学にいる山田深先生です。リハビリ医はフライトサージャンに非常に向いていると言われ、ちょうど、金井宣茂宇宙飛行士が初めて日本で約3週間リハビリテーションすることが決まった後に私は転職し、そこに参加させていただきました。

──臨床で言うリハビリテーションと宇宙医学のリハビリテーションは、違うところがあるのでしょうか。

速水 私は脳卒中の後遺症を持っている患者さんを10年以上在宅医療で診てきました。高齢者に特に多いのですが、筋萎縮が起こって筋力が低下する、骨密度が低下して骨粗鬆症になる、いわゆる廃用症候群という病態が起こり得ます。そして転んで股関節等を骨折してしまった結果、寝たきりになるという負のサイクルに陥る例があります。宇宙飛行士が半年間ISSにいることで、この廃用症候群に似た生理現象を起こします。原因は同じとは言い切れませんが、症状は非常に似ています。

筋萎縮にしても、地上にいる高齢者よりも10倍ぐらいのスピードで進行することなどが分かっています。それに対して地上と同じようにリハビリテーションのアプローチをしますが、決定的に違うのは、宇宙飛行士の場合、病気ではなく、健康な人が環境によってそのようになっているということです。

ですので、地上に戻って再適応しながら適切にリハビリをし、時間をかければ、打ち上げ前の状態にほぼ戻っていきます。

一方、例えば高齢者の脳卒中後リハビリテーションでは多くの場合、不可逆的で、完全に元の身体状態に戻るということはよほど軽い後遺症の場合でなければあり得ません。

──筋肉が落ちるのは、あくまでも骨格筋であって、内臓の筋肉などの平滑筋とかは大丈夫なんですよね。

速水 基本的にはそうなります。地上だと1Gの負荷が常にかかっていますから、足の方に体液が引っ張られます。夕方脚がむくむ現象はそのせいですが、それが宇宙に行くと体全体に均等に体液が再配置されます。そうすると、約2リットルの水分を体外へ喪失させて従来の体全体の平衡を保とうと身体が適応するのです。

その結果、循環血液量が減るために心臓の筋肉も約10%ぐらいその重量が減ることも分かっています。そういう意味では心肺機能が低下しますので、飛行中、帰還後ともに、走る持久系の運動なども重視されています。質問の回答に戻りますが、心臓の筋肉は特殊な筋肉なので、単に骨格筋だけとは言い切れないかなと思います。

──なるほど。宇宙滞在が6カ月というのは、それ以上滞在していると筋肉が不可逆的に痩せてしまうのか、それとも宇宙放射線による被ばく量によって決まっているのでしょうか。

速水 半年間で15~20%ぐらいの筋力低下が起こることが分かっているので、今はその対策として運動機器が開発され、約10~15%ぐらいの低下にとどめて地上に帰ってこられるようになっています。

地上に戻ってからのリハビリテーションはISSプログラムにて45日間と決められていて、そこで筋力自体はほぼ元に戻ります。

この先どれくらい長く宇宙に滞在できるのかですが、月面や火星に行くとなると、やはり放射線防護は1つ大きな鍵になります。ISSは地表約400キロ上空とはいえ、まだ各種放射線から守られている部分もあります。しかし、そこを超えてしまうと浴びる放射線の量が非常に多くなります。一方で、筋力に関しては、ある程度の対策が考えられています。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事