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遠野 遥:第163回芥川賞を受賞

2020/12/21

三田の図書館で執筆

――夏目漱石を文体の1つのモデルにしようと思われたのは、三田に来てからですか。

遠野 そうですね。三田の図書館に漱石全集が一揃い置いてあったのを見つけて、それを抜き出して読んでいるうちに「これを参考にしよう」と思いました。在学中は三田の図書館で書くことがいちばん多かったんです。地下3階か4階がとても落ち着くんですね。

勉強もそうですが、何か作業をするのに、すごく適しているんです。すぐそばには漱石全集やほかの本もあるので参考にもできるし、あの図書館がすごくいい環境だったんですよね。

――その頃、小説を執筆し始めたわけですか。

遠野 そうです。大学3年ですね。単位も、あらかた取り終えつつあったので、ちょっと時間ができて、何か新しいことをやろうかなと思った時に、「まあ、小説書いてみようかな」と思ったんですね。

――小説を書くというのは心理的なハードルというか、決心、出来事などのきっかけがないと書き始めにくいかと思います。書こうと思われたきっかけはどのへんにありますか。

遠野 よく聞かれるのですが、特に思い当たらないんですよ。私はそんなに小説を書くことに対して、ハードルを感じなくて。逆に他の表現行為、絵や音楽に比べると、すぐできそうに思えたんですよね。読み書きは今までもやってきたし、自分としては、むしろハードルが低いから小説を始めたっていう感じです。

――すると、特にドラマチックな何かがあったわけではない?

遠野 特にきっかけとかはなかったですね。時間があって新しいことを始めたいと思った時に始めやすかったのが小説で、最初は、まあ、軽い気持ちだったかもしれないですね。

――ご自身ではどのようなタイプの小説家だと思っていらっしゃいますか。

遠野 まずプロットを結構しっかり書くほうだと思っています。小説本体と同じくらいの分量を使ってプロット、設計図を書くんです。それができたら、後はもうその通りに書いていくだけかなと思っていて。

なのでプロットを書くのがいちばん大変で、それができてしまえば、書いていくのは、何ていうか作業みたいな感じです。

「ニヒリズム」について

――少し小説の中身に入っていきたいと思います。「文藝」の対談でお父さん(ミュージシャンの櫻井敦司氏)から「清々しいほどの虚無」という発言がありました。私も読売新聞の書評で、「明るく乾いたニヒリズム」と書いたんですが、普通のニヒリズムと違うなと思ったんです。

遠野さんの作品は性的欲望などが多く書かれているので、一瞬、罪の告白を聞いている司祭の立場で読むのかな、と思うと、そうではないですよね。

遠野 そういう感じではないです。

――性的欲望というのは決して主題ではなくて、世界との間の距離の取り方なのかと思いました。その世界との距離の取り方が乾いているという感じで、ジメジメしていない明るさにつながっているのかと。漱石もジメジメはしていないですね。

遠野 確かにニヒリズムってデビュー直後から言われるのですが、あまり自分では認識がなくて、今でもよく分かってないんです。世界との距離の取り方では「物事を俯瞰で見ている」とか、「突き放して見ている」とよく言われます。それはそうなのかなと思っているのですが。

漱石をとりあえず手本にしようと思ったのは、乾いたところに惹かれたからなのかなと、お話を聞いて今、初めて思いましたね。確かに湿った文章はあまり好きじゃないですね。

――『破局』では、最後に車のフロントガラスが割れるようにクラッシュするイメージがありますが、それに先立って普通の日常の光景の中に、クラック(ひび)が入ってくると思ったんです。例えばステーキを食べていると、突然、テレビから性的犯罪をめぐるニュースが入ってきたりする。

ハッピーエンドではなくて壊れるからニヒリズム、というのとは違うのではないかと思っているのですが。

遠野 それは何となく違う気がします。ニヒリズムって、別に結果どうこうではない気がしますので。日常の光景の中にいろいろなものが入り込んでくるのも意識的に書いていると思います。

――世代論に無理にするつもりもないですが、平成生まれ初の芥川賞受賞者であるということで未来に対する見方とニヒリズムについて、お考えがあれば聞いてみたいと思います。

遠野 そもそも私はニヒリズムだと思って書いてないので、ニヒリズムについて、考えを述べるのが難しいですね。未来のことについては何ていうか、そんなに希望を持っていないですね。生活が豊かになっていくという感じもしないし、どちらかというと、どんどん息苦しくなっていくっていう感じですかね。

――中学、高校、大学という中で、明るい未来が待ち受けているという感じを持たなかったですか。

遠野 そうですね。基本的に学校はあまり好きではなかったので、早くここから出たいなとは思っていましたが。学校が好きな人とは話が合わないな、と思いますね。大学はまた違うんですけど。

小学校の時とかって、先生の言うことを聞かないといけなかったので、それがすごく嫌でした。言われた通りに何かをするのがすごい苦手で。

――すると同世代の仲間と流行を共有するといったことにはあまり関心がなかったのでしょうか。

遠野 でも、嫌だなと思いつつ、社交性は最低限あったので。皆が見ているテレビを見たり、クラブに入ったりして、何とか溶け込めていたとは思います。ただ「好きか、嫌いか」でいうと嫌いでしたけれど。

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