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大山エンリコイサム:ストリートアート発祥の地で創作活動を展開
2020/11/16
「グラフィティ」と「ライティング」
──ここ数年、バンクシーが有名になって、ストリートアートが注目されています。改めて、ストリートアートとは何なのか。また、ご自分の作品の表現方法、「エアロゾル・ライティング」「クイックターン・ストラクチャー」についてご紹介いただけますか。
大山 例えば、街中の壁などに何か「落書き」するのは、人類に普遍的な行為です。古くはラスコーの洞窟壁画から常に人類と共にあるものと言っていいくらいです。
しかし、今ここである種の専門性において言う「グラフィティ」は、1960年代の終わりから70年代の初頭にかけて、ニューヨークで地下鉄の側面に主にエアロゾル塗料を用いて名前をかくというタイプの落書き表現です。それがおよそ50年の月日を経て、1つのグローバルな表現文化というか、アートフォームに発展していったのです。
世の中で定着している「グラフィティ」という言葉、これを日本語に訳すと「落書き」になるのですが、やはり、そこには器物損壊(ヴァンダリズム)といった法律違反、迷惑行為になるもの、社会的にネガティブなニュアンスが含まれています。それは市民社会から見てもそうだし、実践している側も、自分たちはある種のアンダーグラウンドなヴァンダリストであるという属性を内面化しているところがある。
それに対して、「ライティング」という言葉ですが、ライトというのは、名前をかくという「Write」です。最初にこの文化がニューヨークで生まれた時に、それを始めた当事者は、これは「ライティング」、つまり「名前をかく」行為であって、ネガティブな意味合いはなく、純粋に客観的な、極めてニュートラルな行為の呼称として使ったのです。
僕自身、この文化をどう解釈するかといった時に、「グラフィティ」という言葉よりも「ライティング」という言葉を積極的に使うことで、この文化の歴史を別様に解釈する立場を取っています。
「エアロゾル・ライティング」のエアロゾルというのは、その画材、ツールですが、単に画材というだけではなく、エアロゾル・スプレーという表現がもつ独自のコンセプチュアルな側面がやはりあります。そこを強調するために、「エアロゾル・ライティング」という言い方を僕はしていて、それが自分の作家性とも結びついています。
「ストリートアート」というのは、さらにその全体をいわば包含する、路上で行われる芸術表現の総称です。「グラフィティ」や「エアロゾル・ライティング」に限らず、例えば、バンクシーなどは、ステンシルを使って地球温暖化に警鐘を鳴らすような具象的な作品で、多くの人にとって理解しやすいメッセージ性のある表現をする。そういったものすべてを含めて、「ストリートアート」と呼んでいます。
「クイックターン・ストラクチャー」
──「クイックターン・ストラクチャー」とはどういうものでしょうか?
大山 「クイックターン・ストラクチャー」というのは、僕が志木高卒業直後ぐらいの時期からかいているものです。ライティングというのは、かき手が「名前」をかくことで自己表現します。本名ではない名前を新しく作り、リアルな自分と地続きだけれどちょっと別な、オルター・エゴ(Alter Ego)という、署名でありかつ創作されたもうひとりの自分の自画像のようなものをかいて自己表現するのが、ライティングの基本的な実践です。
でも、僕は街に名前をかいてパブリックに提示をすることに実はあまり関心はなくて、むしろその文字の形に含まれている線の躍動感とか、立体的な空間性、造形的なエレメントに惹かれていた。そこで、文字や名前という枠組みを取り払って線の動きだけを抽出し、それを反復して再構成することでできたのが、「クイックターン・ストラクチャー」というモティーフです。
そうすることでいろいろな拘束から自由になれると考えているのです。もともと、地下鉄の車両に名前をかいたのは、地下鉄が街を循環していろいろな人の目に触れられるからなのですが、結果的に地下鉄やストリートにかいていなければ本物ではないというような、ある種の原理主義になってしまった。
それに対して、もう一度そこから自由になるには、地下鉄やストリートとか「名前」といった強力なモティーフを解体して、ただの線の運動という抽象物に還元していくことで、もう一度いろいろなメディアに拡散していけると思っています。
つまり街にも地下鉄にも美術館にもかけるし、企業やいろいろな団体とコラボレーションもすることができる。いろいろなメディアや、いろいろな社会的、概念的コンテクストに合わせてバリエーションを増やしてどんどん拡散していけると考えています。
──ニューヨークのブルックリンに活動の拠点を置かれて創作活動を続けられています。ニューヨークで創作活動を続ける意味は何でしょうか。
大山 ひとつには、ニューヨークはやはりライティングやストリートアートの発祥の地なので、文化として50年くらいの歴史があるのです。
今、ストリートアートやライティングはグローバルな現象になっていますし、最先端の場所が必ずしもニューヨークということではないのですが、縦軸の歴史という視点で見ると、圧倒的にニューヨークには遺産があるし、パイオニアの人たちもまだ存命で、直接交流することもできます。
またストリートアートに限らず、ニューヨークは近現代美術のひとつの中心地でもあって、特に抽象絵画、抽象的な視覚美術の本拠地のような側面もあります。
僕の関心は、「エアロゾル・ライティング」という複合的な表現文化における視覚的な側面の抽象的な部分を近現代美術における抽象という概念に接続することなので、ストリート的な抽象と、近現代絵画における抽象の両方に大きな歴史をもっているニューヨークというのは、自分にとってすごく意味のある場所だと思っています。
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