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福井 直昭:武蔵野音楽大学学長に就任して

2020/08/19

幼稚舎時代の経験

──幼稚舎時代、お母様が個人面談で「マンガの『ドカベン』ばかり読んでいる。どうなってしまうのか心配です」と話されたことを覚えています(笑)。すごく野球が好きでしたね。

福井 ちなみに『ドカベン』だけは、将来息子に読ませようと全巻保存してあったのですが、その念願叶い、現在息子たちも熟読しています。「歴史は繰り返す」ですね(笑)。

今でも野球に限らずスポーツ全般が好きですが、その理由は音楽と関わってくるのです。「消しゴムでは消せない世界」とでも言いましょうか、本番でいかに普段の力を発揮できるか。実は努力の過程が大事なのですが、厳しい結果に直面することも多い。だから、本番で成功した喜び、いや、むしろ失敗した悔しさを味わうことこそ、人生をより豊かなものにすると学生に話しています。

──16年間慶應義塾という恵まれた環境で過ごして得たものは大変多いのではないかと思います。その中でもこれぞというものは何ですか。

福井 1つといわれると、難しい。特に幼稚舎時代にはありすぎます。同じ担任の先生の下、6年間クラス替えをしないから、友人たちと先生と一体となった。他では味わえない経験です。

大島先生から最後に贈られた言葉をよく覚えています。「君には才能がある」と。「ただ、調子に乗りやすいところがあるから、そこに気を付けろ」とも言われました(笑)。「ご両親は素晴らしい方々だ」とも言っていただきました。

先生からの言葉をなぜ覚えていたかというと、その真意と、積み上げてきた友達や先生との関係性、その他6年間のさまざまなことが凝縮されていたからです。そこに感動して泣いてしまったんですね。

偉大な音楽家の真髄に触れる喜びを

──武蔵野音大の大学院修了直後の「クロイツァー賞受賞演奏会」をよく覚えています。福井君の演奏は圧巻で、ピアニストとしてのオーラを強烈に感じました。その後、ドイツのミュンヘン音楽大学に行かれたわけですね。

福井 ミュンヘンには、27歳で行ったんです。普通はもっと早く行くものですが。私はそれまで江古田で生まれて慶應と武蔵野しか知らなくて、1人暮らしもしたことがなかった。それが大人になってからドイツに2年間いたというのは、音楽もそうですが、人間としての教養・幅広さを身に付ける上で大変役に立ったと思っています。

──ピアニストとして大切にしていることは何でしょうか。例えば、ロボットが楽譜通りに正確にピアノを弾いても、当然良い音楽にならないわけですよね。

福井 でも、作曲家は楽譜しか書いていない。楽譜にはいろいろなことが書かれているんですけど、実は「楽譜通り」に弾くことすら難しい。結局、深く楽譜を読み込まなければいけない。その読み方を学生に教えるのです。

一方で、音楽家には日々の継続した練習が必要です。実に孤独な作業です。「もう練習は止めよう」という、自分の甘い気持ちとの戦いとも言えます。私も、毎日「もうあと30分」と思って、40年以上やってきました。

──最後にピアニストとしての抱負と、2029年の創立100周年という大事業に向けての学長としての夢をお聞かせ願えればと思います。

福井 ケマル・ゲキチさん(クロアチア生まれのピアニスト)と共に大きな演奏会を2021年に行う予定でしたが、コロナで1年先延ばしにしました。

私は90年代にゲキチさんの演奏に強く感銘を受け、その後親交を深めた後、東京オペラシティ等の大聴衆の前で3回コンサートを開くことができました。自分の憧れだった人との共演は、華やかな舞台でのエキサイティングな時間だけではなく、そこに至る対等な関係のもとでの共同作業──音楽を洞察し、共に実演する時間も実に充実していた。コロナが終息し、盟友と再び大きなステージで共演することが、ピアニストとしての近未来の願いですね。

学長としてですが、創立100周年まであと9年。答えのない問題や未知の課題に遭遇した際、広い視野を持ってそれらに対峙していける、AIには代替できないクリエイティブな能力を持った音楽人を育成していきたいです。嬉しいことにこの少子化の中、今年はとても受験生が増えました。教職員の努力と共に、新キャンパスの効果も大きいと思います。

学生によく言うのは、なぜ演奏をするのかということです。スポーツだと、現在のほうが記録を伸ばせますよね。でも音楽は何百年も前の曲を皆、一生懸命勉強している。はたから見るとよく分からないかもしれないけれど、それは作曲家の天才性が彼らの楽譜の中から溢れ出ているからです。

現代においても超えられない、何百年も愛され続けた珠玉の音楽には価値がある一方、学ぶのは決して簡単なことではない。偉大な作品の真理に少しでも近づき、そこに少しでも触れた時の幸福感・喜びを学生に味わわせてあげるのが教員の役割だし、そういう環境づくりをしてあげることが大切だと考えています。現在のこの事態を糧として、音楽界も新たなる活路を見出し成長しなければなりません。

その一方で、同じ空間、同じ時間を共有し、演奏を通じて演奏者と聴衆が心通わせるスタイルばかりは変わるものではありません。それは五感全体で受け止めた音が、感動として生涯消えない刻印を心に残すからです。音楽は常に人々の心に寄り添い、時には勇気を与え、時には悲しさを分かち合ってくれます。いかに人々の生活環境が変わろうとも、音楽芸術に心を癒され、これに明日を生きる活力を見いだすという、人間が生来持つ本性は普遍であると、私は信じています。

そして今、武蔵野音楽大学に全てを傾注することができるのは、慶應義塾の教育のお蔭でもあると感じています。大島先生の近著を読んだ時に、自分がいつも学生に話していることと重なることが多いので、強い共感を覚えました。これまで成長を見続けてきてくださった先生にインタビューしていただいて、とても幸せな時間でした。

──今後のますますの活躍を期待しています。有り難うございました。

(2020年6月17日収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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