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福井 直昭:武蔵野音楽大学学長に就任して

2020/08/19

伝統と先進性を兼ね備えたキャンパス

──江古田キャンパスを大改造されて、2017年に堂々たる新キャンパスが竣工しましたね。

福井 幸い入間キャンパスがあったため、全面的な建て替えが可能で、多様性がありながらも統一感のある建物群を建築することができました。でも、キャンパスを丸ごと造り替えることは、やはり大仕事でした。ホール1つ造るのでも、ものすごく大変ですから。

全面的に建て替えた中で、日本で最初の本格的なコンサートホールと言われるベートーヴェンホール(1960年竣工)だけは、保存・改修して使っています。このホールができた当初の日本には、本格的な音響設計を施したホールはほとんどなかったのです。そこに日本初のコンサートオルガンを設置したんですね。この2つのことで、当ホールは武蔵野のみならず音楽界の記念碑でもあるんです。

武蔵野が新しく生まれ変わろうとした時、同時に伝統も大事にしなければいけない。ベートーヴェンホールこそ伝統の象徴です。多くの卒業生たちには、そこにさまざまな思い出があるのですね。しかし、単に残すといっても、それまでの雰囲気・音響特性は維持しながら、安全性など、現行の法規に適合した現代仕様のホールに改修することは、経済的にも設計・施工的にも容易ではなかったのですが、建設会社と議論を重ね、実現しました。

江古田キャンパスには、「大学キャンパスの枠を超えた音楽の街」というキャッチコピーがありますが、その魅力は、音大として考えうる機能をすべて持っていることです。3つのコンサートホールと3つのリハーサルホール、最適な音響のレッスン・練習・合奏室を数多く完備しており、まさに総合的な演奏環境が実現しています。優れた機能性に加え、現代的でありながら重厚感のあるスタイリッシュなデザインを併せ持ち、大変評判がいいです。

──キャンパスの建て替えという大事業を、当時副学長として実質的に采配を振るわれたのですね。

福井 大手総合建設会社と2012年にプロジェクトを立ち上げてから竣工までの5年間、約1500時間すべての会議に出席しました。そうやって実に多くの方々と気持ちを一緒に、同じ方向を向いて歩んだ時間はかけがえのない一生の宝物です。

建築って素晴らしいなと思いました。同じ創造物ですが、音楽と建築は全然違う。演奏と違い、形として現れる。そして、長い時間残さなければいけない。1つでも手を抜いたら、悔いが残るじゃないですか。妥協をせず、細部もおろそかにしないで頑張りました。音楽も妥協はしませんが(笑)。

慶應義塾で将来の道を決める

──福井家は音楽一家ですが、幼稚舎に入ったのは福井君が初めてだと思います。ご両親はなぜ幼稚舎を受験させるという道を選んだのでしょう。

福井 両親に直接理由を聞いたことはないのですが、推測するに、4つの理由があったのかなと思います。1つは、単純にピアノを毎日何年間も練習しなければならない時に、受験というものが足枷になるだろうと。

2つ目は、もしかしたら音楽家を目指すと、ともすれば知識が偏りがちになる、あるいはそう見られるのではないかと考え、慶應の気風の中で勉強をさせたいと思ったのかもしれない。

3つ目は友人です。もちろん音大では音楽を共に学ぶ友人をつくれる。ただ、私の将来を考えた時に、色々な分野の友達を得たほうが良いと考えたのかもしれません。特に幼稚舎には様々な世界での活躍が期待される子がたくさんいるわけですから。

4つ目として、「あなたが本当に他のことをやりたいなら音楽をやめてもいい」と母に一度言われたことがあります。父とは直接話していませんが、そういう選択肢を残すために慶應の教育を受けさせてくれたのかもしれない。

実は一番大切なのは、この4つ目だと思っています。つまり、「自分の将来は自分で決めた」ということ。福井家に生まれたからやらされているんじゃない。最後は自分で決断したんだという感覚が今でも残っている。だからこそどんなに辛い時でも頑張れる。そのように感じられるのは、やはり慶應に入ったからかなと思います。

──塾高時代の成績は医学部の内部推薦をもらえるほどの成績だったそうですね。

福井 1年生前期、全部で900人近くの中で全学科の総合成績が1番でした。それで、担任の先生は当然医学部にと考えたわけですが、僕は、「考えていません」と言った。しかし、その時、改めて自分の進路について考えました。そして、医学部に行けるような人間が武蔵野のトップにならなきゃ駄目だと言い聞かせて、他分野への誘惑は断ち切り、ピアニストの道を選びました。

なにより、他の仕事をやる人は他にもいるけれど、建学の精神を引き継ぎ絶対武蔵野を守っていく、というマインドを持った人間は自分以外にいないんじゃないかと勝手に思ったわけです。もちろん、4歳のころから練習していたピアノを捨てることもできなかったのですが。

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