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平田 麻莉:自律して働くフリーランスの声を社会に届ける

2020/07/15

母から学んだチャレンジ精神

──そもそもどうしてこういう領域に平田さんは足を踏み入れるようになったのでしょうか。

平田 やはりSFCの多様性に溢れた環境の影響はすごく大きかったと思っています。入学した最初の日のオリエンテーションで、現役学生で起業した先輩がプレゼンしてくれたり、同級生でも高校時代からプログラマーとして仕事を受けている人もいる環境でした。それを見て、私も誰かに作られた組織の看板を背負うのではなく、自分の名前で仕事をしていきたいと思いました。

だから、就活の時も大きな会社に行こうとは一度も思わずに、できたてのスタートアップに飛び込んだのです。

──新しいチャレンジや多様性に興味を持たれたのは、ご両親のご教育があったのではないかと思うのですが。

平田 母は独身時代は福岡のローカルテレビ局のキャスターをやっていましたが、結婚してからは、父の転勤のたびにキャリアが分断されてしまう。だから、今思えば母はいわゆるフリーランスだったのです。

行く先々で絵やバレエを教えたり、ラジオのMCやテレビのレポーターをやっていました。PTAや教会のボランティアも熱心でしたから、長い間、ただのじっとしていられない専業主婦だと思っていたのですが。そういう母の姿を見て、会社に勤めなくてもいろいろな活動はできるという感覚を持っていた部分はあります。

両親は勉強や進路について一切言わなかったですね。自分で考えて自分で選びなさいという感じだったので、そういう意味では割と自分の頭で考えて意思決定することが小さい頃から当たり前になっていたと思います。

──僕は平田さんの「行き当たりばったり」という言葉に引っかかるのです。行き当たりばったりとは普通、ネガティブな響きがあるけれど、平田さんのそれは決してネガティブではない。チャレンジなのです。お母様からチャレンジ精神を学んだことが大きかったのではないですか。

平田 今思えば、母がまさに「プランドハプンスタンス」な生き方で、行く先々でたくましく自分のキャリアを積んでいました。そもそもワーケーションやカンガルーワークなど、私がやって珍しがられてきたことは全部、もともと母がやっていたことなのです。確かに母から学んだことは多いと思います。

スタートアップ、KBSでの経験

──平田さんは創業カンパニー、ビルコムというPR会社に大学時代から参画されました。新入社員というより創業メンバーですね。

平田 ビルコムで学ばせてもらったことはすごく大きかったです。最初のミッションはオフィスづくりで、いきなり大学3年生のインターンに予算を1千万円与え、コンセプトから物件探し、施工会社との打ち合わせ、備品選びまで全部任せてくれたのです。そういった裁量をいきなりくれたことは嬉しかったですし、手順がわからなくてもなんとか形にできることを学びました。

SFCの先生方もビルコムの上司も、失敗を咎めるようなことは全然なかったです。チャレンジする機会をたくさん与えてもらったことで、何か新しいことに挑戦する時も失敗を恐れないでいられるようになりました。そこで「根拠のない自信」を持てる経験を積んだとは思います。

──その後、KBS(慶應義塾大学ビジネス・スクール)へ研究職を目指して入られる。SFC型からKBS型への変換は苦労されませんでしたか。

平田 KBSもT型人材を掲げていて、基本的な部分を網羅しつつ専門性を深めましょう、ということでしたので、幅広くいろいろなことを学べたと思います。ビルコムで実践的に経営を学んだことを体系的に整理する意味で、KBSのディシプリンベースの授業はすごく意味がありました。ケロッグ経営大学院への交換留学も素晴らしい経験でした。

また、KBSの時にJBCCというビジネススクール同士のケースコンペティションを立ち上げたんですね。KBSの名刺しかない無名の学生なのに、経産省や経営共創基盤、ハーバード・ビジネス・レビューなど、皆さん協力してくださった。当時の研究科委員長の河野宏和先生も快く後押ししてくださって、基本的に、自分の責任でやれば、NOと言わない先生たちに恵まれていました。

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