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秀島 史香:ラジオにこだわり続けて文化庁芸術祭賞を受賞

2020/06/15

大学時代にデビュー

──卒業後、日本に戻られ、法学部政治学科に入られますね。

秀島 高校生の頃は笑い話のようですが、外交官になりたかったんです。世界を舞台に飛び回る仕事をイメージし、政治学科を選びました。でも、入学後は、メディア産業というものに対して興味が湧き、当時の新聞研究所(現メディア・コミュニケーション研究所)に惹かれていきました。その中で、私はラジオがすごく好きだったな、と思い出すようになったんです。

──秀島さんは私のゼミの6期生として新聞研に入所されましたね。

秀島 先生のゼミに入りたいと思ったのは、メディア産業というものを学問としてどのような形で学べるのだろうという好奇心から。実際に入ってみて、なるほど、こういうふうにテレビや新聞などのメディアが相互に影響し合っているのか、と。インターネットも参入し始めて、これから世界が大きく変わっていくんだな、と刺激的な日々でした。

先生にニュース番組の現場に連れていっていただいたことがありましたよね?

──その当時は東京のキーテレビ局のスタジオにゼミの学生を連れてよく行きました。

秀島 「おおっ! 今、ここから全国に放送されているのか!」と感動して。たぶん私の初めてのテレビ局体験だったと思います。

最初にラジオ局で自分のレギュラー番組を持てたのは、先生のゼミに所属していた学生時代です。その時も先生にはお世話になりました。

──大学3年生の頃から、大阪まで行ってFM局のDJの仕事をされていました。その頃から将来ラジオとの関わりを持つ仕事がしたいと思っていたんですよね。

秀島 FM802という、大阪で大人気の局が、毎年、DJオーディションを行っているんです。そこで運良く合格して「今年の新人DJはこの4名です」というような形で、深夜番組を持たせてもらいデビューできました。ここで現場を見ることができて、こんなに面白い世界があるのなら、やっぱりこの世界に入って頑張りたいと覚悟を決めました。

──その当時、秀島さんが「自分は一般の就活はしません、こうやっていろいろなところでDJをやっていることが私の就活です」と言われたことが、今でも印象に残っています。

秀島 残念ながら大阪の番組は1年で終わってしまったのですが、幸いにもその後、在京のJ‐WAVEからレギュラー番組のお声掛けをいただいて、それが大学の卒業のタイミングと相まって、ラジオDJの肩書を得るようになりました。ここから、「さあ、フルタイムでDJを頑張るぞ」とスタートしました。たくさん失敗もしましたね。研修も特にないので、「さあ、マイクの前に座って、どうぞ好きなことを話してくださいね」と。そういう意味ではすごく自由にやらせてもらいました。

リスナーに支えられて

──私は秀島さんのご活躍を横から拝見していましたが、やはり、2000年からのJ‐WAVE『GROOVE LINE』というピストン西沢さんとの番組で非常に注目されましたね。これは何年間やられたのですか。

秀島 私が携わったのは10年です。西沢さんには沢山のことを教えていただきました。かつて渋谷のセンター街にあったHMVにJ‐WAVEのサテライトスタジオが入っていまして、ガラス張りの公開スタジオからの放送だったんです。そこで私たちがしゃべっているのを観覧できるというスタイルで、様々なゲストをお招きしました。

──一番記憶に残っていることはどんなことですか。

秀島 私がずっとアメリカで憧れていたジャネット・ジャクソンさんをお迎えした時は嬉しかったですね。子供の頃から聴いていたスーパースターが、実際に私の隣に座っている。私の質問に対して頷いて笑ってくれたりしているというのが、本当に現実かと思うくらいで。

この10年間を思い返して何に支えられたかといったら、やはりリスナーさんですね。今でも「聴いていました」という声をいろいろな仕事の現場でもいただきますし、「HMV渋谷に見に行ったことがありますよ」と言ってくださる方もいます。ラジオというのは相手が見えないことが前提のメディアですが、そうではなかった現場がこの『GROOVE LINE』でした。

それこそ慶應の時の同級生も「久しぶり」とか言って、仕事帰りにデートで来てくれた時もありましたし、皆さんに支えていただいているなあ、と確かに実感できた体験でした。

──その頃からテレビのナレーション等、だんだんと仕事の幅を広げられましたね。

秀島 これもやはりラジオがあってこそで、番組を聴いた方々から様々なお話をいただきました。

CMや、声優、美術館やプラネタリウムの音声ガイド、講演など、世の中にこんなに声の仕事の需要があるんだということ、それぞれの現場での方法論、人との関わり方があることを学びました。ジャンルを横断してやらせていただいた経験は、ホームグラウンドであるラジオに持って帰り、すべて骨や血や肉となりましたね。

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