三田評論ONLINE

【話題の人】
若松格:アメリカ車を運転する感動を提供

2019/07/15

コルベットの原体験

——イベントなどで、コルベットのハイエンドモデルであるZ06やグランスポーツに若松さん自ら乗っていらっしゃいますね。あのように社長自ら出ていくのは、マーケティングとしてすごくいいですよね。

若松 これからも会社が許してくれる限りやりたいですね(笑)。

——イベントでのお客さんの反応というのはいかがですか。

若松 先日、シボレーのファンイベントに260名を超えるお客様に来ていただきました。皆さん、満面の笑みでお互いに話をしていて、ものすごく盛り上がったんです。

自分は、このために仕事をしているのだなと思いました。もちろん会社だから成長して、利益を生んで、株主、従業員の皆さんに還元しなければいけないけれど、結局、お客様がクルマ談義でワクワクしながらときめいたりするのを見るためにやっているんだなと。たぶん、何十万、何百万台売ってもそれがなかったら、空しくなってしまうのかなと思いますね。

僕は、父親が記者で2歳の時からアメリカのワシントンDCの郊外で育ったんです。車がないと生活できない土地なので、中古のシボレーを父が買いました。1ドル360円の時に日本人が買える車といえばそれしかなかったんです。家族で移動する時、その後部座席からの眺めで当時目に焼き付いたのは、黄色のコルベットです。目茶苦茶眩しくて「なんてかっこいいんだ」と(笑)。その気持ちをずっと引きずっているんですね。

——それが原体験ですね。

若松 その後、大人になってコルベットを手に入れたら、もう景色が滲むぐらい感情的になってしまいましたね。GMジャパンに来て初期生産のバリデーション(検証)のために、Z06を預かって乗ったときも、やはり特別な感情を思い起こさせました。

やはり、Z06は以前のコルベットに比べてはるかに進化しています。速さと剛性、そして、安全性だけではなく操作性もびっくりするほど向上していました。

——そういった使いやすさ、疲労を感じさせないようにするというコンセプトが車の開発の中にあるのですね。

若松 ものすごくあると思います。GMというのは、アメリカの会社だけど、世界中に展開してきて、日本のメーカーとも共同開発をし、いすゞ、スズキ、富士重工などとも、一時期資本提携もしていた。だから、どうやってグローバルなインプットを車に反映させるかということができている。

僕自身もGMインターナショナルで、アメリカではないところで商品開発に携わったので、そういった地域の声を商品開発の中に入れてきました。

一方で現在、市場が激変し、自動車業界には、100年に1回の変革がやってきている。メアリー・バーラCEOも、過去50年の変化以上の変化がこの先5年、10年でやってくると言っています。GMは私たちがその変革の先頭に立つのだと、今、トリプルゼロ、「事故ゼロ、排ガスゼロ、そして渋滞ゼロ」という社会をつくるために貢献していこうという目標を掲げています。

そのために今までの車の開発、あるいは事業のポートフォリオの書き方も変えています。いわゆるConnected(つながる)、Autonomous(自律走行)、Shared(共有)、Electric(電動)の〝CASE〟と言われる中で世界の最先端をいこうと考えています。

多様な選択肢を提供する

——最近、日本でもアルファードとかエルグランドなど、押し出しの強い車が意外に売れるような感じもありますね。趣味的な要素が強くなってきているようですね。

若松 日本がやはり豊かな自動車社会だと思うことの一つは、選択肢がたくさんあることです。でも、もっと選択肢があってもいい。

車なんて「なんでもいいや」と言う人もいるかもしれない。しかし、そうではなく自分の大切な一部と考える人もいる。僕の原点から考えると、車というのは自分が時間と労力をかけるに値するもので、助手席より運転席に座りたい。そして自分が好きで自分らしいものがほしいと思うわけです。

自分は車で走ること自体が好きだから、家族とキャンプやサーフィンがしたいから、という理由で車を選べる、多様な選択肢があればいいんじゃないかな。そうではなく格好だけをつけても、すぐにばれてしまう。

日本は世界トップクラスの成熟国家だと思うけど、自動車文化は、まだまだ伸びる余地はあると思いますね。

——そうですね。今は、「どんな車でもいい」という層と、趣味性や嗜好性が強い層と二極化しているのではないかと思います。

若松 今の車好きは、どちらかというと富裕層が目立っている。でも、それほどお金がなくても、趣味として自分の好きな車が乗れるという文化があってもいい。そういう傾向も一時期ありましたよね。例えば、私たちが若い頃、2ドアクーペの86(AE86)をトヨタが出してきたときは、レビンもあったし、トレノもあった。

——三菱のランサーとか。

若松 だから悲観的になるより、そういった車の魅力をキチンと伝えていけば、ワクワクしてもらえるのではないかと。

——ぜひ社長自らコルベットに乗って楽しんでいる姿を見せたほうがいいですね(笑)。トヨタの豊田章男社長も自分でレースに出たりしていますし。

若松 豊田章男さんと年に2、3回ぐらいお会いしますが、だいたいレースの話しかしない(笑)。

ACデルコ(GM傘下の部品会社)は、日本はアメリカ以外では一番大きなマーケットで、その理由の1つはトヨタの2次部品バッテリーの7割をACデルコのバッテリーが占めていることです。そんなことでトヨタさんにはお世話になっています。

——一方、若松さんは中国など、全く車の文化がなかったところにもいらっしゃいましたね。

若松 僕が2005年に中国の上海に初めて行ったとき、圧倒的に多かったのがフォルクスワーゲンのサンタナのタクシーです。あとはVIPの黒塗り車くらい。皆、車というのは自分が運転するものではないと思っていた。

ところが、あるときから豊かになった人たちが皆、車を運転するようになってきて、輸入車も買うようになってきた。まるで高度経済成長とバブル景気が一気にやってきた感じでした。

世代交代のスピードも早かったですね。うちに入社してくる人たちも、最初は車の経験が全くなかったのが、数年後は自動車工学をやっている優秀な人が大学から入ってくるようになった。そのときにはもうどんな車でもあり、ご存じのように上海モーターショーや北京モーターショーというのは世界最大級の規模になっています。

今、中国の自動車メーカーの台頭が著しいですけど、これは必然のことだったように感じますね。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事