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村上祐資:人間の暮らしの原点に迫る「極地建築家」

2018/11/15

  • 村上 祐資(むらかみ ゆうすけ)

    極地建築家
    塾員(平16政・メ修)。2008年第50次南極地域観測隊に越冬隊員として参加。2017年模擬火星実験Mars160での160日間の実験生活を完遂した。

  • インタビュアー池田  靖史(いけだ やすし)

    慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授

「極地建築家」とは?

──まず、「極地建築家」という肩書きから伺いたいと思います。耳慣れない肩書ですね。

村上 極地建築家というのは、僕しかいないので(笑)。僕は普通の意味での建築家でもないし、研究者でもない。「冒険家ですか」とも言われますが、そうではない。

冒険家なら、その人の名前でスポンサーのところへ行ってお金をもらいます。でも、僕の場合、南極観測隊でも、「火星実験生活」のメンバーに選ばれたときも、基本的に「村上」である必要はなくて、人間でありさえすればいい。地球を代表したモルモットみたいなものなのです。だから、「あなたは何なのですか」と問われたときのために「極地建築家」ということを柱にしてきました。極地でいろいろなことが起き、人間の性みたいなものがむき出しになったときの環境について考えています。

──建築の一歩手前の、そもそも人間にとっての生活環境とは何か、というレベルなのでしょうか。

村上 そうですね。冒険家のように耐えていればいいというのとは違って、あくまでも極地で暮らすことを考えたときに何が必要になるかを考えているんです。様々な国からやってきた個人が、どうやったら仲間として一緒に暮らすことでき、何が必要になってくるのか。それはもしかしたら「家」という形ではないかもしれない。そのようなことを実際に極地で暮らすことで体験してきました。

──なるほど。建築の根源的なところに戻ろうとしているのかな。建築以前にまず、人間が空間を使って生きていくこと自体、何かというような。

村上 本当に原点みたいなものです。火星実験生活の基地の場合、小さな個室を割り当てられるのですが、あまりにも狭い空間にいると、そこにある扉が閉まっているか開いているか自体がメッセージになってしまいます。

僕などはいつも開けっ放しにしていたので、たまに閉めると皆がとても心配する(笑)。すごく些細なところまでわかってきます。

暮らしの原点に近づきたい

──どうしてその「極地建築」に至ったのでしょうか。大学学部は明治の建築学科ですよね。

村上 はい。明治での卒業設計は月面基地をやりました。それからSFCの池田さんのところに来て、修士論文は宇宙ステーションのモジュールのシステム分析をやりました。

小さい頃から宇宙や極地に関心があったわけではないんです。明治で学んでいたとき、当時の同級生は、かっこいい建築のスタイルみたいなものを追求する学生が多かった。でも、僕にはそれが人の暮らしとかけ離れていると感じました。

そんなときに古い雑誌で「バイオスフィア2」(アメリカのアリゾナにつくられた巨大な密閉空間の中の人工生態系)のジョン・P・アレンのインタビュー記事に出会いました。そこには「バイオスフィア2」というのは、いずれ宇宙に人が住むときのある種のモデルになるだろう、と書いてあったのです。そのとき、宇宙のことをやれば、暮らしの原点に近づけるんだと思いました。

僕にとって宇宙はあくまでその原点に近づく方法だったのです。でも、その方法が全然わからなかった。そんなときにSFCで池田さんにお会いしました。

──僕は宇宙のことなんか全然考えてなかった(笑)。

村上 でも宇宙の建築をやりたいと言ったら、池田さんが「おもしろいな」と一緒に方法を考えてくれた。これが僕の中では大きかったです。SFCで学んで、宇宙の中で建築をやるということは、「何をつくるか」というより、その生産プロセス、つまり「どうやってつくるか」ということが一番の課題なのだということに気付きました。

当時、「宇宙建築研究会」というのがあり、そこでは、空気がないような環境で、どれだけスペックを安定させていくかみたいな議論をしていました。それが僕はどうも違うと感じるようになりました。例えば、鎧をどれだけ分厚くするかの議論はしても、「その分厚い鎧を、四六時中着ている人の気持ちが考えられていないのでは」と思ったのです。そこで、これは自から現場に行かないといけないと思いました。

──それで南極に行ったんですか。

村上 そうです。つて・・を頼って国立極地研究所(極地研)に行きました。建築研究の枠はないし、なかなか南極に行けなかったのですが、運良く観測系の人員として観測隊に入れてもらうことができました。

──南極はどうでしたか。

村上 1年半いたのですが、いろいろな無駄がタマネギのようにはぎ取られていって、最後に残ったものは宇宙でもどこでも使えるだろうと思っていました。でも、無駄をはぎとったら最後、芯もなくなってしまったような感じがしたのです。「おやっ、何もないぞ」と。

人の気持ちとかいろいろなものがむき出しで、扉1枚が人の心理に影響するようなところまでいくと、最終的に残るのはタマネギで言うなら、芯ではなくて必ず捨てる一番初めの茶色いものなのでは、と思えてきたのです。

つまり、人間と環境がじかに接する、その接点にすべて凝縮される。中身は関係ないということがわかりました。それで南極から帰ってきた後に、その確信を確かめたくて、いろいろな極地へ出向くようになりました。

富士山頂の気象庁の元測候所に住み込んだり、エベレストへの日本の登山隊の一員になり、5400メートルのところにあるベースキャンプのエンジニアとして雇ってもらいました。

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