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松居大悟:映画、演劇、TVドラマの境界を超えて
2018/07/15
映画だから、演劇だからではない
──『極めてやわらかい道』は、今から7年前に舞台で演じたものですが、それを今回映画(『君が君で君だ』)にリメイクしましたよね(7月公開)。演劇か映画かということで意識はどのように違いましたか。
松居 1番大きく違うのは、舞台の当時は全部1人で頑張ろうとしていたこと。人の話も聞かずに、自分がつくっている表現が1番正しいと思い込もうとしていたので頭でっかちになっていたのです。
その後、池松壮亮くんと『リリオム』という舞台を青山円形劇場でやったり、クリープハイプという好きなバンドのミュージックビデオをつくったりしていくなかで、自分の好きな表現を自分が好きだと思う表現者と一緒につくることで、自分が思ってもいないところにたどり着くことが面白くなった。そして、皆とものをつくることが楽しいということを思い出したんです。
創像工房のときは、この人、こんな舞台美術をつくるんだとか、皆で一緒につくっているのが楽しかった。大学を出てゴジゲンを結成したぐらいから、それを忘れて空回りして頑張ろうとしていた。今回、映画をつくっていくなかでも総合芸術って、一緒につくることだよなと思い出していたので、映画、演劇ということはあまり関係なかったですね。
──松居君にとって、大事にしているのは映画だからとか、演劇だからというものではないと。
松居 そうですね。でも、外の人は「映画だからそうなんでしょう」、と決めつけたがるので、そこは、「いや、そうではない」とブレないようにしながら、同じテーマで1番いいアウトプットの仕方を考えていきたいんです。
むしろ映画らしい映画とか、演劇らしい演劇とか、ドラマらしいドラマはあまり好きではない。映画をやっている人は映画を愛しすぎているし、演劇をやっている人は演劇を愛しすぎていると思う。皆がそうでなくていいと思うんですね。
「バイプレイヤーズ」の経験
──さて、TVドラマ 「バイプレイヤーズ」の現場に松居君が昨年と今年に入られた。大杉漣さんをはじめとして、かなり年上の役者さんと出会ったことで、表現との向き合い方が変化したということはあったのでしょうか。
松居 僕ぐらいの年の若者に見てほしいということと、このメンバー(遠藤憲一、大杉漣、田口トモロヲ、寺島進、松重豊、光石研の各氏)の誰とも仕事をしたことのない人ということで僕に話が来たんです。
最初は夢のような話だったし、ドラマのチーフ監督というのも初めてだったので、世界観をつくるのが難しいと思いました。演劇と映画はお金を払って足を運ばないと見られませんが、テレビは生活の中にあるから、どうしたらいいのだろうと。
でも、役者の方々がすごくて、どんな脚本でも面白くしてしまうから、もう何もしなくていいな、と思いながらバランスを取って、いかに自分の持っているもの、準備してきたものを捨てるかという作業だったんですよね。
──準備はするけれど、それを捨てるということですか。
松居 どんどん現場で変わっていくから。またご存知のように2期目の撮影中に大杉漣さんが亡くなるということもあって……、すごく、考えました。
あのときは、ご家族や事務所などから、「漣さんは絶対に完成してほしいと思っています」と言っていただいたので、やらなければいけないと思って夢中でやりました。漣さんが主人公の回だったものを変えて、他の4人目線にして4人が漣さんに恩返しするということにした。
素材が3割しか撮れていない中、あと2日しか撮影日は取れなくて、その中でドラマとして成立させなければいけない。脚本を全部つくり直して、そこから編集をしながら、この作品をどう成立させるかを夢中で考えた。とにかくこの世界の中での漣さんは生きているし、追悼ドラマには絶対しないようにしよう、という思いは皆共通していたので出来上がったんです。
終わった後、こんなに愛されている人が座長の作品に参加したんだと思ったとき、僕は今までたくさんの人に理解されるよりも、100人のうちの1人、2人の人生を変えるきっかけになれば、と思いながらつくっていたんですけれど、1人でも多くの人に見てもらったり愛されたりするということは、すごく尊いことではないか、と思ったんです。
──どれだけの人に向けて伝えていくかの心構えの部分ですよね。
松居 自分はそのように表現しているかと言えば、そうではない。どこか尖ろうとしてしまうし。
だから、これからどうするというのは、まだ分からないんですけれども。
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