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山澤文裕:スポーツ医学への貢献で国際陸連功労章を受章

2018/05/01

  • 山澤 文裕(やまさわ ふみひろ)

    日本陸上競技連盟理事、医事委員長

    塾員(昭56 医、61 医博)。医師(呼吸器内科)。丸紅東京本社診療所長(産業医)。国際陸上競技連盟ヘルス&サイエンスコミッション委員。
  • インタビュアー石田 浩之(いしだ ひろゆき)

    慶應義塾大学スポーツ医学研究センター准教授

プラーク・オブ・メリットの受章

——山澤先生、国際陸上競技連盟(IAAF)より、功労章(プラーク・オブ・メリット/Plaque of Merit)という素晴らしい賞を受章されたこと、本当におめでとうございます。

山澤 有り難うございます。私の前にこれを受章された日本人はアジア陸連会長もされていた安田誠克氏で1995年のことでした。私は2人目で、非常に名誉なことだと思っております。

——IAAFなどのスポーツの国際組織はヨーロッパ中心の貴族社会的ファミリーメンバーで構成されている。そこで全くロビー活動なしに受章されたということはものすごく価値があることだと思います。

山澤 この「Plaque of Merit」は功労章と訳されていますが、とうてい1人の力だけで取ることはできません。日本、またアジアの陸上競技界の皆さん、そして日本のスポーツ医学に関わっている方々など、大勢のご協力でいただいたものだと思っています。

お恥ずかしいのですが、実は私はこの国際陸連功労章の存在すら知らなかった(笑)。ですから、ロビー活動も何もあるわけはなかったんです。

——そうだったんですか。山澤さんのお人柄や地道な活動、非常に実直で真摯な姿勢が評価されたのではないかと思っています。

山澤 医事とアンチ・ドーピングに関してアジア陸連と国際陸連、そして日本陸連での活動が認められたのかなと思います。

日本陸連医事委員長は1997年から、アジア陸連の医事委員は2001年からやっていて、いまアジア陸連の医事委員会委員長代行になっています。国際陸連の委員も2004年からで、いま一番古株になりました。トップアスリートだけではなく、スポーツそのものを広く健康のために使っていくことが世界的な流れの中、現在は「ヘルス・アンド・サイエンスコミッション」という名前になっています。

「デレゲイト」という仕事

——国際陸連、アジア陸連ではどのような仕事があるのでしょう。

山澤 1つはチームドクターとして選手団に同行する。もう1つは国際陸連やアジア陸連が運営する国際大会で、医事とアンチ・ドーピングの体制が、ルールにちゃんと適合しているか、大会をきちんと運営できる組織と体制になっているかを確認し、そうでなければ修正する役割があります。それを陸上競技の場合、「デレゲイト」(delegate)と言います。

アンチ・ドーピングは法的な問題を含みますので、きちんとした手続きが守られているかどうかが重要です。中立性を保ち国際連盟の立場できちんと行われているかどうかを確認します。

私自身がメディカルとアンチ・ドーピングのデレゲイトをまだやったことがないのはオリンピックと世界陸上です。それ以外のアジア大会や国際陸連の大会などはほとんどやりました。

——陸上競技はものすごく規模が大きく、参加人数もスタッフも多いので想像できないぐらい大規模の医事運営をマネジメントされている。特にアジアは必ずしもいわゆるインターナショナル・スタンダードを皆が理解しているわけではない。その中で仕組みをつくっていかなければならないのですね。

山澤 そこが重要な点です。国際陸連には「コンペティション・メディカル・ガイドライン」というガイドブックがありますが、このレベルの大会ではこれだけのファシリティを準備して、これだけの人を擁しなさいという仕組みを私がまとめました。とにかくインターナショナル・スタンダードをきちんとつくった上で話をしていかないといけません。
ただ、そこに書いてあっても、現地に行ってみると必ずしもそれが守られているとは限らない。特にアジアでは後方病院の受け入れ体制がしっかりしているかも確認します。

私は国際陸連の代表として大会関係者にプレゼンテーションをしますが、いろいろな方に覚えていただき「ファミリー」にだんだん取り込まれていきます。国際陸連やアジア陸連から、「じゃあ、今度はこういう大会のデレゲイトをお願いします」と、多くの大会に行かせていただくようになります。はじめはIAAFファミリーという言葉がどういう意味なのか理解できなかった。ところが、「ああ、陸上競技全体を統括して動かしているのはこれなんだな」とだんだん分かるようになる。

現在の国際陸連のヘルス・アンド・サイエンスコミッションは9人中5人がヨーロッパ人で、とにかくヨーロッパがすべてを決める体制です。でも、私も委員としてもう14年になり、付き合いが広くなって、いまは全く違和感なく国際陸連の事務局員とも仲良くなっています。

——それはすごいことですね。

山澤 1991年の東京での世界陸上に私はメディカルドクターとして初めて出ました。そして、2007年の大阪世界陸上ではメディカルとアンチ・ドーピングの大会側の委員長として、準備をしました。

準備をする際には国際陸連の事務局員とのやりとりが非常に頻繁になりますので、その方々とそれ以降も関係が続きます。「あいつに聞けば何か分かる」という感覚になっていくと、日本でも大会をオーガナイズする際に非常にいい関係が持てます。

海外に行くだけではなく、自国で大会運営をやっていくことが重要です。東京2020も日本のスポーツ界のメディカルの人たちが、世界中にネットワークをつくるいいチャンスだと思っています。

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