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片岡義朗:社会の「旬」をミュージカルで表現する

2018/04/01

日本の漫画が生み出すもの

──オリジナルではなく、漫画原作のアニメをミュージカルにするというところにはどんなお考えがあるのでしょうか。

片岡 日本の漫画には、常に新しいものが生み出されるシステムがあると思います。これだけ日々たくさんの漫画が量産され、出版され、そしてコミケを含めて、大量の漫画に発表の場が提供されている。こんな国は日本しかありません。しかも日本では、学校で石膏デッサンを学ばなくても漫画家になれる。紙と鉛筆さえあれば、他に何も要らないんです。

そういったところから生み出される漫画は、社会の片隅にある旬の感覚や、次世代の新しい芽を見出すものになっていると思います。それをすくい上げるシステムが漫画にはある。ですから、漫画で読者に受けるものは、もっと多くの大衆に受けるはずです。

逆に、発注側の大人が、旬を狙ってオリジナルのアニメを企画したり、ドラマを自分で作るのはとても難しい。そうではなく、純粋に1人のクリエーターが漫画で表現したものを、別のかたちに置き換える役割をやればいいと思ったわけです。

──そういう漫画のシステムに気づかれたのは、やはりアニメの仕事をされるようになってからですか。

片岡 全くそうです。アサツー・ディ・ケイに入って、直接テレビ局の人たちと具体的に作品をつくっていくようになってからです。テレビ局の人が言ったのは、「自分たちは実は何もつくってないんだよ」ということでした。巷で見つけた旬のネタを拡大しているだけ、ということなんですね。

やはり、社会の何かしらの旬をつかまえていないとヒットしない。もちろん、旬だけだと際どい表現をすればいい、みたいなことにもなりかねないので、普遍的な真理が旬の語り口で語られているのがいいと思うのです。

慶應で学んだこと

──慶應での思い出は何かありますか。

片岡 1番大きかったのは、やはり友人の存在ですね。世の中には想像を絶するお金持ちがいるんだなということを初めて目の当たりにしました(笑)。

──「慶應風林火山」というコンサートの企画団体に所属されていて、成毛滋さんなどとも親しくされていたとか。

片岡 彼はブリヂストンの創業家の孫に当たるのですが、麻布の飯倉片町の交差点脇に、一族が住んでいる一角というか、一山がありました(笑)。超1等地のど真ん中で、広々とした芝生の庭の脇にちゃんとしたプールがある。別世界だと思いましたね。成毛君は、プールの脇に分厚いコンクリートで防音した大きなスタジオを建てて、当時最新の32チャンネルのミキシングテーブルを置いていた。自分でスコアを書いて、32通りの演奏をして、それを重ねて1本のテープをつくってしまう。

お金持ちに驚いたということより、思っていることを思っているとおりのやり方でできる人がいて、それでいいんだと分かったんです。これはとても勉強になりましたね。

──当時のお話をうかがっていると、慶應の学生が文字どおり日本の若者文化を支えていたようなところがあります。

片岡 そうだと思いますね。プロかどうかに関係なく、自分たちがやりたいことを追い求めて、それで周りに影響を与えている人がいるということが、この学校で学んだ1番大事なことです。本当にやりたいことだったら、周りの人が何と言ってもやったほうがいい。これは今でも僕の中で信念として持っていることです。
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