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笈田ヨシ:越境し続ける演劇人

2017/04/01

物真似が下手ゆえの独創性

──以前、言葉の通じないアフリカなどに行って、「あー」とか「うー」と言って感情表現するのが一番観客に通じるとおっしゃっていましたよね。

笈田 それはアフリカでは英語もフランス語も通じなかったからです。僕は関西なまりでずっと言葉の壁がありました。役者はしゃべるのが商売だけれど、僕は不器用で、物真似も下手。だからいまだに上手くしゃべれない。これで今までよく役者をやってきたと思います。

でもこの間、フランスで小津安二郎の『東京物語』で笠智衆の役を演じたのですが、ユニークなセリフ廻しが非常に魅力的だと批評で言われました。つまり下手なのが個性になっているのでしょう。

──日本人の役をおやりになるときにも何となく原日本人みたいな、演じているのでもない、摩訶不思議な自然さがある。笈田さんの日本語はすごく素直に入ってきて不思議なんです。

笈田 物真似が下手だから、結局自分独特のものになったのでしょうね。僕は声が悪い。でも、80も過ぎると、どうやって声を出すかというのが少しずつわかってきたみたいです。だから少しずつ昔より進歩しているのでしょう。

──80を過ぎての発声セリフ術とは、どういうコツがあるのですか。

笈田 やはり力を抜くことでしょうね。それから歳を取ったらもの覚えが悪くなるから、 とにかく頭で覚えるよりも何度も繰り返して体で覚えることです。能楽では音(おと)で喋らないで漢字で喋れと言われるんです。「空は青い」と言うときに、「空」という字、それから「青」という字をイメージする。

──象形文字になれという感じですか。

笈田 そうそう。これは外国語の場合とはちがいますね。

──摩訶不思議な自然さはどこからくるのでしょう。

笈田 お客さんがどう見ようと気にしなくなったからですかね。

役者には3つタイプがあります。自分が素敵だから、それをお客に見せようという人、自分を観察して、自分はどんなものかと探りながら見せる人。もうひとつは漫才師とか、クラウンとか、自分以外のものに変身して表現するタイプです。

でも今の僕は、役をつくるとか、役の気持ちになるとか、自分を探って表現するとか、自分をよく見せようということには無関心になってきました。

舞台へ出ると、向こうがゆっくりしゃべったからこっちは速く言おうかなとか、部分、部分を演じているうちに芝居が終わってしまいます。

日常生活でも、若いときは過ぎたことをくよくよしたり、未来のことを心配したけれど、歳取ってくるともうそんなことは関係なくなって、瞬間、瞬間が大切になってくる。いつか死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。でも、それは気にしたってしょうがない。それだけです。

「感動」するという謎

──オペラの演出についてはどのように思われていますか。

笈田 僕は日本で能楽のような型から入る芝居を学んだので、どうやって中身を詰めるかという方法を知っているのだと思います。

普通、芝居の場合にはまずセリフから内面を探って、そこからセリフのメロディとテンポを発見していきます。でもオペラの場合には、すでにセリフにはメロディやテンポがついていて、そこから内面を探ります。

下手な歌手はスコアを追うだけで内面がなく、人物が見えてきません。いい歌手はスコアから内面も表現していきます。ぼくはその内面を埋める作業を手助けしていけばいいのです。

──指揮者との関係はどうですか。

笈田 オペラで一番重要なのは音楽。だから作曲家が第一、二番が指揮者、その次が僕です。作者のプッチーニは僕より偉大な才能があるわけだから、どうやってプッチーニのやりたかったことを現代に持ってくるかを考えます。

そして僕が選んだ照明や装置家、衣装デザイナー、歌い手たちの最高の才能を引き出し、それが一緒になってうまく化学反応を起こせるように見守っていきます。そしてその結果、 お客さんが心の洗濯ができたと感じてくれることを願っています。

人間の心は本当に摩訶不思議なもので、それをどうやってお客さんと分かち合えるか。

僕は戦争中に、食べるものもなくて、爆弾が落ちてくるようななかで暮らしたけど、幸せだと思った瞬間がありました。今は戦争もなく、食べるものはいっぱいあるけど自殺する人がいます。人間というのは、いくら平和が訪れても必ずしも幸せではないのです。

何かそういう人間の摩訶不思議さを表現したいのです。

──それが感動につながるわけですね。

笈田 能でも歌舞伎でも、話は今のテレビドラマとあまり変わりません。でも、いい歌舞伎や能を見たら感動するわけです。それは、その話を使いながらも、その話を乗り越えて、宇宙の大きさや、人間の美しさ、人間の寂しさといったものが表現されているからです。

感動するというのは非常にミステリアスで、ピーター・ブルック演出の『マハバーラタ』でお客さんが涙を流すのは、戦争が終わって全員が役から離れて、舞台でお茶を飲んだりお菓子を食べているシーンでした。だから感動するというのは理屈ではなくて、非常に面白いものなのです。

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