【演説館】
山﨑 元裕:"コメ不足"をいかに見るか──流通の視点から
2025/06/13
流通の視点からコメ不足をいかに見るか
新米、新茶、新蕎麦あるいは初鰹。我々日本人は初物に感謝する。中でもコメは年産・産地・品種にこだわる、最たるものではなかろうか。米穀流通事業者は原則として獲れ秋に、当年産米の年間販売量を確保する。主たる仕入先と購買契約を行い、不足分は年間を通じて、集荷業者や同業者間取引にて随時調達する。豊作時には「先安観」があるため、獲れ秋の契約を抑え気味にし、随時調達に幅を持たせる。不作時など何かしらの要因で調達が難しくなりそうな年には、秋口の主たる契約を厚くする。
このたびのコメ騒動は令和5年産から始まった。令和5年産は作況指数こそ101ながら品質に問題があり、令和6年当初より米穀流通業界では端境期(晩夏から初秋)のコメ不足を懸念していた。春頃には専らの話題となり、6月頃にはコメが足りなくなると確信していた。令和6年産の早場米取引は争奪合戦の様相を呈し、通年であれば10月まで販売される前年産が姿を消した。
主産地のコメが出回る秋口にはすでに米価が高騰し始めた。国は業者が投機目的で抱えていると、米穀業界にも消費者にも説明したが、米穀流通業界の情報網ではその動きは確認できなかった。業界の認識としては「コメがない」「作況ほど獲れていない」。集荷業者やブローカーの多くは現金取引を行っている。米価がこれまでの2倍を超える状態において、資金繰りの観点から見ても投機目的としたところで換金が始まってしかるべきだが、コメは市場に出てこない。やはり収穫量が足りなかったのではないか。
ところで、備蓄米の売却が始まったにもかかわらず米価が下がらないのはなぜか。机上のスキームと現場におけるモノの動きには、大きな時差が存在するからであろう。4月末現在ですでに30万トン超が売却された。しかし末端の実需者まで届いた現物は1割にも満たない。名義変更、決済などの商流にも時間は取られるし、倉庫における荷役、物流「2024問題」と騒がれたトラックドライバー不足による物流の機能低下などの実態が、机上計画と大きな時差を生みだしている。この後、さらに20万トン程度が売却されると、その総量は国内需要の1カ月相当となり、それらが流通される頃には7年産の新米も出回り始めることとなる。
2040ビジョン
私が現在理事長を務めているコメ卸の業界団体、全国米穀販売事業共済協同組合(全米販)が昨年6月に公表した「米穀流通2040ビジョン」がある。これは、食料・農業・農村政策審議会の第5回基本法検証部会(2022年12月9日)に提出された資料に記載された、2020年に704万トンであった主食用米需要量が2040年には493万トンにまで縮小するとの内容に触発され整えたビジョンだ。
当ビジョンの他にも多くのシンクタンクや農系の研究者の方々が異口同音に唱えるポイントは、2030年代にコメの国内需要量を国内生産だけでは賄いきれなくなるということ。米穀流通業界として看過できぬ状況である。まして、10年以上前倒しで係る状況になるなど想像するだけで睡眠不足になる。
強靭でしなやかなコメサプライチェーンの確立
「平成のコメ騒動」時は食糧管理法の下で発生した。「令和のコメ騒動」は新法「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」。新法制定以降も実質的な減反政策は続いている。国が怖れている事象はコメ余りとなり米価が下落すること。それを避けるために実質的な減反政策=生産調整は続いている。
実需(外食・中食・量販店・コメ加工メーカーなど)に基づいた稲作であれば需給は均衡する。しかしながら、実需に紐づかない稲作は過剰生産となり得、結果的に米価下落を招く要因となる。実需に基づいた稲作については、国もとやかく言わないが、それを横目で見た生産者が需要のない稲作に向かう可能性がある。それ故、国としてはすべて(需要の有無にかかわらず)のコメ増産を否定している。先の2040ビジョンではコメサプライチェーンにおいて、生産者から実需者(川上から川下)また同業者間における垂直・水平アライアンスを構築するよう求めている。
これまで実需者が求めるコメは、水質・土壌・気候・品種・農法にこだわりがある、所謂ストーリー性のあるコメだった。美味しいコメが育つ物語だ。そして5年ほど前より実需者が求めるストーリーに変化が表れ始めた。水管理や集荷設備などインフラの状況、行政の支援状況、農協や集荷業者のみならず、その土地の人口推移など。要するに、当該産地は5年後も10年後も稲作を維持する環境が整っているという根拠だ。
裏を返せば、素晴らしい品質のコメでも、翌年生産中止となるようでは、産地探しがまた必要になる。その手間を省くためには持続可能な稲作が最重要視され始めている。実際に、従来型慣行農法とは一線を画す農法を実践する若い世代の就農者も増えて(塾員も相当数)いる。
従来型慣行流通を維持しつつ、新たな流通を模索する必要性を強く感じる。その先に有るべきは、安定した収穫量を堅持する農法、生産者が稲作を継続し得る収益、収穫量の振れを吸収できるマーケット、そのようなサプライチェーンだ。
それが流通業者によるコメ不足への回答だ。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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