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【演説館】
山本貴光:「世界を変えた書物」に触れて

2023/05/19

4. 書物であること

そして、2022年に金沢で開催された「世界を変えた書物」展では、橋本麻里さんとともに監修を務め、展覧会の公式図録『世界を変えた書物』(小学館)を執筆することになった。

なぜそんなことになったのかといえば、2019年に二飯田氏を通じて、金沢工業大学から「工学の曙文庫」の書物の活用について検討する仕事にお声かけいただいたからだった。はじめて同文庫に足を踏み入れたときには、将来そんなことになるとは微塵も予想していなかった。それ以来、もちろん稀覯書の収蔵庫に住むわけにはいかないものの、蔵書の調査や展覧会の準備のために、折々訪れては書物たちに向き合っている。

とくに2022年の夏に、公式図録の執筆を進めるなかで、改めて痛感したことがあった。同書でとりあげたおよそ90冊の書物について、その書誌と内容の解説を記すにあたって、私は文庫にあるそれらの書物を手に取って見直した。今ではインターネット上の各種アーカイヴで閲覧できるものも少なくない。では、今、わざわざ書物であることにはどんな意味があるのか。ここでは2点に絞って書いてみよう。

例えば、目の前にある500年前の本は、印刷されて造られたその日から現在にいたるまで、物質として多少は破損したり、変化したりしてきたとはいえ、概ね当初の姿を留め続けている。ページを開けば、印刷されて紙にインクで固定された文字や図版が目に入る。他方で私たちが便利に使っているコンピュータやネットはどうかといえば、よくも悪しくも500年後には今の姿を保存していないだろう。場合によってはつい先日読んで参考にしたウェブページが、今日にはなくなっているということもある。残っていたとしても、書き換えられて別物になっていたりもする。

コンピュータとの付き合いが長い人なら痛感していると思われるが、デジタルデータは思ったよりも儚いものだ。ハードやソフトの変化や劣化も含めて、環境やデータは簡単に失われてしまう。実際に私も40年ほどコンピュータと付き合ってきて、どれだけのデータを失ったかわからない。その点、書物とはじつに堅牢なものだ。身近なところでも、私の蔵書には、中高生の時分だから、30年以上前に入手したものが今でも読める形で保たれている。

5. 唯一無二の存在になる

第2に、「工学の曙文庫」の蔵書には、余白への書き込み(マルジナリアという)が少なくない。書物は印刷術によって造られた複製品であり、同じものが複数存在する。だが、例えば、ひとたび余白に書き込みが施されたなら、それはこの世で唯一無二の存在となる。ネットで15世紀末にアルドゥス・マヌティウスの工房で印刷されたアリストテレス『ギリシア語による全集』をデジタル画像として閲覧できるとしても、「工学の曙文庫」所蔵の厖大な書き込みを施された版は、目下のところ書物の形でしか存在していない。そんなこともある。

これは書物とデジタルデータのどちらがよいかといった話ではない。両者は互いに性質が違うもので、双方の利点をどのように使いこなしていけるかと考えたほうがよい。

ところで、「世界を変えた書物」展は、2022年の金沢展をひとまずの最終回として一区切りがついたところだった。この素晴らしいコレクションの魅力をお伝えする、次なる展開もあれこれ考えたい。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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