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【演説館】
山本貴光:「世界を変えた書物」に触れて

2023/05/19

  • 山本 貴光(やまもと たかみつ)

    東京工業大学教授・塾員

1. ここに住みたい

半ば茫然としながら、「ここに住みたい……」と思わず口にしたのは、床から天井までしつらえられた木製の書棚に革装幀の稀覯書がずらりと並ぶ部屋でのこと。そこにはヨーロッパで活版印刷術が実用化された15世紀以来の書物が収められている。今でいう自然科学と工学を中心に蒐集された書物である。

そのコレクションを「工学の曙文庫」という。金沢工業大学が誇る一大コレクションだ。2018年の初夏、私はプレスツアーの参加者として、その収蔵庫にお邪魔したのだった。

ためしに蔵書の一例を並べてみよう。エウクレイデス『原論』(1482年)、アリストテレス『ギリシア語による全集』(1495~1498年)、ニコラウス・コペルニクスの『天球回転論』(1543年)、ヨハネス・ケプラー『新天文学』(1609年)、ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』(1610年)、ルネ・デカルト『哲学原理』(1644年)、ロバート・フック『ミクログラフィア』(1665年)、アイザック・ニュートン『自然哲学の数学的基礎』(1687年)などが含まれる。すべて初版である。つまり、『天球回転論』なら、コペルニクスが没したその年、1543年に刊行されたまさにその版という意味だ。お金さえ払えばいつでも手に入るというものではない、まさに稀覯書である。

また、現代に近いところでは、ジェイムズ・クラーク・マクスウェル、マリー・スクウォドフスカ・キュリー、エルヴィン・シュレーディンガー、アルベルト・アインシュタイン、ヴェルナー・カール・ハイゼンベルクといった面々の論文などもコレクションされている。

いったいぜんたい、なにをどうしたらこのようなコレクションができるのか。その書庫で、本を手にとり、ページを繰りながら、私は幾重にも驚きに打たれていた。

2. 「工学の曙文庫」の由来

金沢工業大学に新しいライブラリーセンターが設立され、それと同時に「工学の曙文庫」が開設されたのは今からおよそ40年前、1982年のこと。建築史を専門とし、同大学で当時助教授だった竺覚暁(ちくかくぎょう)氏(1942~2020年)が、このコレクションの蒐集方針を定め、構築してきたものだ。写本は対象とせず、活版印刷術が確立されて以降の印刷本の初版に絞ること。科学・技術の歴史上、重要と思われる書物を集めること。そのような方針で集められた書物(論文なども含む)は2000冊を数える。

また、集めるだけでなく、金沢工業大学ではこれらの書物の活用にも積極的にとりくんできた。「工学の曙文庫」が開設された当時、大学広報を担当していた二飯田(にはんだ)憲蔵氏は、「この素晴らしいものを広報で活用したい」と考え、奔走し、1988年に国立科学博物館日本館で「世界を変えた書物」展を開催するに至る。大学にとっては広報となり、来場者にとっては滅多に体験できない機会となる好企画である。

ただ、その後しばらく「工学の曙文庫」の書物を展示する機会はなく、次に同名の展示が行われるのは、二十余年後の2010年、金沢21世紀美術館の市民ギャラリーでのことだった。新たな「世界を変えた書物」展は、コレクションをつくりあげてきた竺覚暁氏が監修し、同大学で建築学の教鞭を執る宮下智裕氏とその研究室に所属する学部生・院生たちが、展示会場の設計と構成を担当、その全体を二飯田氏が総合プロデュースする、というプロジェクトである。

展覧会では、「工学の曙文庫」所蔵の稀覯書から140冊ほどを選び、会場入口から来場者を誘う「知の壁」という書棚で構成された空間と、その先に自然科学や工学を「力・重さ」「光・色彩」「電気・磁気」「飛行」といった13のセクションに分けて、関連する重要な書物を展示する「知の森」といったコーナーに配置する(2022年の金沢展では全14セクションとした)。この空間をぐるりと巡るうちに、来場者はその時代ごとに造られた書物の実物を見ながら、自然科学や工学の歴史を古代から現代まで辿ることになる。

この展覧会の好評を受けて、以後、2013年に名古屋、2015年に大阪、2018年に東京、2019年に福岡と各地を巡回し、2022年には再び金沢で10年ぶりの凱旋展が行われたところ。2018年の上野の森美術館で開催した東京展は、翌年に日本科学技術ジャーナリスト会議が主宰する科学ジャーナリスト賞大賞を受賞している。

ここで話は冒頭に戻る。

3. 好きでやっていると仕事になる

「ここに住みたい……」と口にしたとき、私は「工学の曙文庫」の一訪問者だった。たしかにその内覧会のあと、『日経サイエンス』(日経サイエンス社)や『アイデア』(誠文堂新光社)といった雑誌で、「世界を変えた書物」について話したり文章を書いたりした。

また、その年の秋に上野の森美術館で開催された「世界を変えた書物」東京展では、動画配信サーヴィス「ニコニコ動画」のチャンネル「ニコニコ美術館」で放送された「[世界を変えた書物]展を巡ろう」という番組にお声かけいただいて、名司会として同チャンネルにたびたび出演している橋本麻里さんと、展覧会場を歩きながら、そこに並ぶ書物について解説するという機会もあった。

科学史の専門家でもない私にそのような話が来たのは、分野を問わず学術の歴史についてものを調べたり本を書いたりしていたためではないかと思う。仮に専門はなにかと訊ねられたら、大学卒業以来、長年にわたって仕事としてきたゲーム開発ということになる。

他方で、そうした仕事を通じてプログラムを書いたり、ゲームのアイデアを考えたりする傍ら、気になるテーマがあれば文献を集め読み、必要な言語があれば習いにいくといったことを続けていた。といっても、「将来こういうことをしよう」といった目的があったわけではない。ただ、アリストテレスならアリストテレスの著作や講義録を、ニュートンの『プリンキピア』なら『プリンキピア』を、翻訳はもちろんのこと、できれば当時書かれた言葉(古代ギリシア語やラテン語)で読んでみたい、あるいは明治期の日本であれば西周(にしあまね)の「百学連環」や夏目漱石の『文学論』のような今では読み解くのが難しくなったものを自分の眼で読んでみたい、と思い、誰に頼まれたわけでもないのにそのつど実行してきたのだった。ただそれが楽しいからだ。

振り返ってみると、ゲーム会社での仕事も含めて、好きでやっていたことが、後からなにかの巡り合わせで仕事になってしまったということが多い。人生とはそういうものかもしれないと最近では思う。

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