三田評論ONLINE

【演説館】
井上聡:ミャンマーでコロナ対応にあたった経験

2022/02/16

一時休診に至った理由

クーデターが起きた直後はまったく平穏でしたが、そのうち国民によるデモが始まりました。デモは非常に平和的に行われていましたが、次第に規模が拡大していくにつれてデモに対する弾圧が始まりました。そのうち発砲事件が起きるようになると急速に被害者は増えていきました。

さらに抵抗者に対する軍の反撃が過激になっていき、街中でも発砲事件が起きるようになりました。職員の中には自宅から銃声が聞こえ、危険なので通勤できない者もいました。

幸いなことにYJMCはヤンゴンの中でも高級住宅街といわれる地域にあったので周辺の治安が悪化したことはありませんでしたし、銃声を聞いたこともありませんでした。

4月ごろになるとヤンゴンの治安は安定してきていました。しかし、ヤンゴンの在留邦人数は前年からの新型コロナに加え、クーデターも重なってかなり減少していきました。しかも全国で見るといろいろな事件が起きており、日本では重大事件ばかり報道されるので、日本の本部より、職員の安全性の観点からヤンゴンでの診療を一時休診するようにとの指示が出されました。状況が安定して安全が確保されるまでとのことでしたが、それがいつごろになるかはまったく見当がつきませんでしたので、残念ながら現地採用のミャンマー人スタッフたちは退職として、退職金を支給しました。クリニックの建物自体は賃貸契約を更新して再開できるように確保してきました。こうして4月末でクリニックを一時閉鎖して帰国しました。

日本に帰国後の情報発信

日本に帰国後、筆者が厚木で発熱外来に対応しているころ、ミャンマーでは新型コロナ流行の第3波が起きました。ただでさえ貧弱なミャンマーの医療体制がCDMのため、さらに壊滅的な状態に陥り、コロナにかかっているかどうかの診断すら困難になりました。

結果としてミャンマーのコロナ第3波は大流行となり、病院にかかれない患者、入院できない患者のために酸素を求めて空の酸素ボンベをもって酸素売り場に長蛇の列をなすという事態になりました。この流行の時に残念ながら現地日本人も何人かコロナ感染のためにお亡くなりになりました。在留邦人が感染した場合は、在ミャンマー日本大使館が中心となって現地の入院先探しなどに対応していました。

そのような中で、YJMCとしてはコロナに感染したかもしれないと思った時にはどうするべきかなどの医療情報を、フェイスブックで発信し続けました。七月ごろには日本人会やJCCMの医療セミナーにウェブで参加し、ミャンマーに駐在していた医師として講演を行っていました。

オンライン医療相談の開始

その後、ミャンマーでの新型コロナの第3波がとりあえず収まり、医療体制もある程度改善してきてはいましたが、いつ第4波がくるかわからない状況の下で、日本大使館の医務官が帰国することになり、本当にヤンゴンには日本人医師が1人もいなくなりました。

この状況下で三思会は、すでにミャンマー以外の国で国境を越えたオンライン医療を提供していたMedifellow社と提携して、オンライン医療相談を11月に開始しました。システムは既存のシステムを利用し、相談はミャンマーでの医療事情を熟知している三思会が引き受けることにしたのです。ヤンゴン日本人会のご尽力により2021年中は外務省の補助事業として、在留邦人とその家族はメンタルケアを含め、無料で医療相談を受けられることになりました。

日本人会イベント、JCCMの会合などでオンライン説明会を開き、オンライン医療相談の告知を行いました。実際の内容は、ヤンゴンで難病の専門医を教えてもらいたいとか、まぶたが腫れるのは寄生虫感染の影響かもしれないとか、現地での薬剤の入手法を知りたいなどローカル性の高い質問でしたが、こうした問い合わせが多数寄せられました。

まだ日程は決まっていませんが、現地の状況が安定してヤンゴンに戻り、1日も早くクリニックを再開できるように願っています。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事