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【演説館】
井上聡:ミャンマーでコロナ対応にあたった経験

2022/02/16

  • 井上 聡(いのうえ そう)

    社会医療法人社団 三思会 ヤンゴンジャパンメディカルセンター院長・塾員

三思会がミャンマーに進出するまで

私は1983年塾医学部卒業の元外科医です。2018年からはミャンマーで働いていました。今回ミャンマーで新型コロナウイルスの感染拡大、およびクーデターに遭遇した体験を紹介したいと思います。

筆者が所属する三思会は神奈川県厚木市にある東名厚木病院を中心とした社会医療法人社団です。創立30周年を機に海外プロジェクトを始め、2011年にミャンマー進出を決めました。

2017年4月に日本の医療機関としては初めてミャンマー投資委員会(MIC)の認可を受け、現地法人が設立できました。開業予定地の選定、周辺住民の同意取得などに苦労しましたが、現地建物のクリニックへの改修が完了し、2018年7月にヤンゴンに出発しました。その後もいろいろな困難があり、結局、ミャンマー進出を決めてから8年かけて、2019年2月にようやくヤンゴンジャパンメディカルセンター(YJMC)の開業にこぎつけました。

ミャンマーの平均寿命は67.1歳(2019)であり、これは日本では1960年ごろの水準です。平均寿命は医学レベルというより公衆衛生全般のレベルを表す指標ですが、日本より約60年遅れています。

ミャンマーの人口は5440万人(2020)と日本の約半分ですが、医師数は3.5万人(2017)で日本の32.7万人(2018)の約10分の1です。看護師数は4.6万人(2017)で日本の121.8万人(2018就業者)の約26分の1しかいません。

開業してからの業務は邦人向け外来診療と健康診断がメインでした。これ以外に技能実習生など日本に行くミャンマー人の健康診断があり、肺結核をきちんと診断できることなどが評価されて健診数が非常に増えてきていました。

これに加え、JCCM(ミャンマー日本商工会議所)などに依頼された講演会などで、ヤンゴンの医療事情や生活習慣病に関する啓蒙活動を行っていました。

ヤンゴンでのコロナ対応

ミャンマーでの新型コロナ感染は2020年3月23日に初めて患者が確認されました。

この比較的早期に外国人患者を診察した外国人向けクリニックで院内感染が起こり、保健所からの指導でクリニックが閉鎖され、1カ月以上営業再開できませんでした。このため私立病院では外国人で発熱のある患者をほとんど診察してくれなくなりました。

当院の他には邦人発熱患者を診察する病院がない状況で発熱患者を診ないという選択肢はありませんでした。

発熱患者を室内に入れて診察すると、その患者がコロナ感染だった場合はクリニックが閉鎖になってしまうので、屋外に発熱患者の待合座席と診察用の遮蔽スペースを設け、発熱外来としました。

マスクは入手困難になってきていましたがなんとか確保しました。防護服の調達も困難でしたが、これも同業者から譲ってもらったりしてなんとか確保しました。

PCR検査はNHL(国立衛生研究所)が一手に引き受けていたので、当院を含めて私立病院ではコロナの診断ができない状態でした。

PCR検査ができないので、当院の役割はコロナ感染が疑われる患者とその他の原因で発熱している患者を振り分けて、感染が非常に疑わしい患者だけを国立系の病院に紹介することでした。

それ以外に在留邦人に対する日本語での適切なコロナ関連の医療情報が不足していたので、フェイスブックを通じてコロナに関する情報を継続的に提供しました。これは今まで85回発信しています。この情報は日本人会のホームページにも転載されて在留邦人に広く共有されました。のちにミャンマージャポンオンラインというウェブマガジンにも毎週連載でコロナ情報を提供しました。

この時期には何人かの日本人がコロナに感染しましたが、重症者は国立病院に入院してもらい、幸いなことに死亡者は出ませんでした。

クーデターが医療に与えた影響

新型コロナ感染の第2波が2020年12月にピークを越えて下火になってきた翌21年2月1日に、突然軍部によるクーデターが起きたとニュースがありました。

じつはその数日前にフェイスブック上にクーデターが計画されているとの情報が出ていましたが、平和ボケの日本人である私は、事前に情報が洩れるクーデターがあるはずがないと気にも留めていなかったのです。

クーデターが起きても数日間はまったく平穏でした。その後、最初は単なる市民によるデモが行われていました。すると次第に軍側がデモなどを取り締まるようになり、犠牲者が増えていきました。

次にCDM(市民不服従運動)という仕事のボイコットが始まりました。

ミャンマーでは、業務を放棄することにより国軍に圧力をかけようとする市民運動がインテリである医療関係者から始まり、その後、さまざまな分野に広がりました。医療者がボイコットを行うと困るのは一般国民なのでおかしいのではないかと日本人は思うかもしれませんが、ミャンマー的には国民が困るからこそこんなことを引き起こした軍に対する不満が高まると考えているらしいのです。

コロナ対応をはじめとした医療は国立病院を中心に提供されていたので、一般国民に対するほとんどの医療はストップしました。

コロナの検査をやっていたNHLは、国立の機関だったのでそれもまったく行われなくなりました。ウェブ上で公開されていたコロナの感染者数の発表もなくなりました。

CDMのために銀行が機能しなくなりました。目的は同様です。自分の預金がおろせなくなり個人が困っただけでなく、企業も資金がおろせなくて給料が払えなくなったりしました。こうして国民が困るようなことが軍に対する対応策として始まったのです。

私立病院はCDMの対象にならずに機能していましたが、普通の国民は医療費が高くて受診できません。幸いなことにクーデターが起きた時点では新型コロナ流行の第2波は収まりつつありましたが、相変わらず外国人を診察してコロナとわかると閉鎖されてしまう恐れがあるため、外国人で発熱のある人の受診はほぼできませんでした。

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