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【演説館】
岸 由二:流域思考・流域治水の時代がはじまる

2020/11/18

流域思考の実験地・日吉キャンパス

行政が対応できなければ、地域、地権者が、手探りの流域思考で始めるしかない。総合治水40年目の鶴見川流域ではこの分野でも地権者の自発的な小規模流域管理のモデルがある。進めてきたのは慶應義塾。場所は日吉キャンパスの典型的な小規模流域、まむし谷。

まむし谷は、面積12ha規模の小規模流域である。斜面の大半は雑木林だが、谷底と台地面に各種体育施設がある。40年をこえる日吉在職中、私はこの領域における、数度にわたる土砂崩れを目の当たりにして、教員連携を軸に1990年代から谷全体の植生、地形の調査などもすすめ、2000年代には、事務室や学生、行政の応援もえて、小流域の地形区分、植生区分にもとづく手作りの防災・緑管理を試みた。塾監局の英断もあり、まむし谷小流域にはいま2カ所の雨水調整池が設置され、危険な微小流域における浸透水排除の手当てもでき、行政と連携した土砂災害防止の試みも進んでいるはずだ。

そのまむし谷の微小流域の1つ、1980年代に大崩壊も経験した一の谷(通称)では、2000年来、鶴見川流域全域における生物多様性計画とも連動して、土砂災害を緩和し生物多様性回復にもつとめる手作りの多自然微小流域管理作業が、現役・OBをふくむ教員、卒業生、地域市民の手で継続されている(日吉丸の会)。まむし谷における学校法人・学内団体による一連の活動は、鶴見川流域における多自然・防災活動のモデルとして注目され、各種学習・研修の場として利用されるとともに、2018年には慶應義塾大学日吉キャンパスとして、鶴見川流域水協議会から「鶴見川流域水循環系健全化貢献者表彰」を受けている。表彰者は、国交省関東地方整備局を事務局として、総合治水を多自然・多機能化する次世代流域ビジョンである「鶴見川流域水マスタープラン」に取り組む行政連携組織である。

地球のもう1つの測り方

流域思考は地球の新しい測り方だ。地表を測るのは直角座標が基本であり、広がりを区切る行政区の枠組みのもとで各種都市政策が推進され、水土砂災害さえもこの枠におしこめてきたのが従来の方式だった。しかし、大地の凹凸模様をすなおにみれば、そこにはデカルト座標で分割される以前に、大小隙間のない流域地形(生態系)が作り上げる壮大な水循環模様が実在する。水土砂災害はその水循環模様が引き起こす災害なのだから、温暖化豪雨時代への防災適応文化は、その模様、すなわち流域地形の入れ子模様を、行政のみならず市民、企業、法人すべてが再発見することから、立ち上がってゆくはずなのである。

日本列島における流域思考の適応文化発祥地として40年の歴史を経た鶴見川流域。その一角に位置する慶應義塾日吉キャンパスのまむし谷は、大げさに言えば、温暖化豪雨時代を展望する生命圏との新たな付き合い方を模索する日本の、文字通りの小さな実験場かもしれないのである。

*参考:『流域地図の作り方』、『奇跡の自然の守り方』(いずれも岸由二著、ちくまプリマ―新書)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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