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【演説館】
岸 由二:流域思考・流域治水の時代がはじまる

2020/11/18

  • 岸 由二(きし ゆうじ)

    慶應義塾大学名誉教授

流域治水は流域思考

流域思考に基づく自然保全、水土砂防災の理論・実践に関わって半世紀近くになる。長い道のりだったが、三浦半島の小流域・小網代や、都市河川鶴見川の流域で、モデル的な成果を上げる仕事の一端を担うことができた。

そしてようやくというべきか、激甚化する大規模氾濫・土砂災害をうけ、国は本年7月、今後の治水は河川法・下水道法中心の従来型治水から〈流域治水〉に転換するとの、待望の方針を公表した。温暖化豪雨時代の苦難を覚悟した水管理・国土保全局(旧・河川局)が、長い論議の末に下した英断だ。昨年で退任はしたが、20年近くの長きにわたって関連の審議に参加した年月を振り返り、感無量というほかない。

地球の陸域は、氷河、砂漠、雨降る大地に3大別できる。地表に落ちた雨は重力で流下するので、雨降る大地の表面には必然的に雨水をあつめるくぼ地の入れ子構造ができあがる。そこに広がる大小のくぼ地、雨の水を受け止めて水系を作り出す集水地形が、〈流域〉、とよばれる生態系である。洪水は行政区ではなく、この地形が発生させる現象だ。

河口を基準点とし、上手の集水領域を〈流域〉と定義する通常の方式を採用するなら、川の数だけ河川流域がある。一般化して水系の任意の位置に対応する集水領域をその地点の流域と定義すれば、事実上無数の流域の入れ子構造が暮らしの大地を分割する。生命圏における水循環地形のこの必然的な配置を尊重し、規模の大小にかかわらず流域構造を枠組みとして環境を保全し、水・土砂災害に対応すべしとするのが、〈流域思考〉の主張である。

今日まで、我が国は自然の保全も治水も主流は流域思考の外にあった。自然保護の枠組みは〈流域〉でなく〈里山〉とされて20年になる。治水はといえば、河川という自然公物を管理する河川法と、下水道という都市施設を管理する下水道法の2つの法律が氾濫回避の重大責任をおわされ、流域の水循環事情への総合的な配慮を重視しない方式が基本となってきた。想定をこえる〈超豪雨〉が襲来する可能性のある近未来、もはやこの方式では予算も整備事業も間に合わない。流域治水への転換は不可避だったのである。

そもそもわが国では、小・中・高の教育で流域に関する教育は一切ない。流域治水の宣言にともなって教育の領域にも大きな変化があるだろう。

温暖化を前提にしなくても、50年、100年に一度の大雨はやってくる。これに計画的に対応するため、河川の改修・整備やダム建設、下水道の整備が重要であることに変わりはない。これを側面支援するためにも、流域の緑の領域を治水インフラとして全面的にみなおしてゆくこと、大規模浸水不可避の町は都市構造そのものから防災対応を再検討してゆくこと、地域・農業領域が了解するなら豪雨洪水を広大な水田で受ける〈あふれさせる治水〉の流域対策も適宜工夫してゆくのがよいのである。

鶴見川総合治水は流域治水の先進事例

そんな流域思考の流域治水は、実は、いま初めてスタートするのではない。報道はほとんど無視しているが、流域治水の見本ともなる〈総合治水〉とよばれる先行事例が、慶應義塾日吉キャンパスもその一角に位置する一級水系・鶴見川流域で、今年、40周年をむかえているのである。

延長43kmの鶴見川を本流とする鶴見川水系は、東京都町田市を源流都市として、川崎、横浜の丘陵地に流域を張り、横浜市港北区、鶴見区、川崎市幸区に広大な低地帯を広げている。豪雨時、流域の7割をしめる丘陵地から駆け下る洪水は、下流の低地帯で滞留・氾濫するのが江戸の昔からの常習でもあったが、戦後の急速なベッドタウン開発で丘陵地の田畑や雑木林を急激に消失した流域は保水力・遊水力の急減にみまわれ、1958年の狩野川台風による大氾濫を筆頭に、数万、数千軒が水没する大水害を繰り返した。開発が加速した1976年、鶴見川の管理をすすめる建設省京浜工事事務所(現・京浜河川事務所)は、もはや通常の治水方式による大水害の回避は無理と判断し、横浜市他の流域自治体によびかけ、河川・下水道整備とならんで、緑の保全、開発に伴う雨水調整池の設置等を柱とする〈総合治水〉という名称の〈流域治水〉に踏み出した。1980年のことである。

連携は上首尾にすすみ、各種河川整備、下水道整備とは別の、源流都市町田や流域南部の横浜市の丘陵地における大規模な緑の保全、流域4900カ所にのぼる大小様々な雨水調整池の設置などの流域対策で、おそらく数百万トン規模の保水力が確保されてきた。2019年10月12、13日の東日本台風時、豪雨にみまわれた翌日、鶴見川中流、横浜国際総合競技場で日本・スコットランドのラグビー戦が無事実施されたというニュースが海外にも配信され、日本の治水努力の見事な成果と報道された。注目は、ピロティー方式の競技場が設置されている新横浜公園が、実は容量390万トンの巨大治水施設=多目的遊水地でもあるということだった。豪雨による本流の大増水を取り込んだ遊水地が、94万トンの洪水を湛水して、下流の町を水害から守ったという英雄譚が国内外を走ったのだ。しかしここは流域治水の鶴見川流域である。本当の英雄は、多目的遊水地ではなく、その上流地域で、おそらくは300万トンをゆうに超える雨水を保水した町田・横浜の雑木林と数千の雨水調整池だったともいえるのである。40年にわたる流域対策が蓄積したこの保水力が支えなければ、多目的遊水地はあの雨で満水となり、洪水が下流の町を襲った可能性もあった。

総合治水が本格的に成果をあげはじめたのは1980年代なかばだ。河道の整備、大規模浚渫、護岸整備、大規模地下貯留管に加え、流域対策として源流保水の森の保全や、全域での雨水調整池の整備が進んだ鶴見川流域は、1982年を最後に、外水氾濫(河川からの氾濫)を一度も起こさず今日に至った。2003年の新横浜・多目的遊水地の機能開始は治水安全度をさらに向上させ、かつて10年に一度規模の雨でも数千軒が水没した鶴見川下流域は、40~50年に一度の豪雨にも耐えうる領域になっていると思われる。

とはいえ課題は山積されている。100年、150年に一度の規模の豪雨が襲えば、鶴見川流域下流部は、打つ手なく大水害にみまわれる。気候変動で予期されるさらに大規模な雨にもそなえなければならない。鶴見川下流域では、150年に一度の計画規模の豪雨に対応した浸水想定だけでなく、1000年に一度規模の豪雨に対応した想定最大規模の浸水ハザードマップも公表されているのである。

しかし、地域によっては5m、10mの水没深が予想されるハザードマップをみて、市民はどうすればいいのか。行政も市民も、流域水循環の特性をしっかり踏まえ、都市の計画、暮らしの基本から、治水・防災対応を、流域視野で改めて根本から見直す時代に入ってゆくほかないのである。

豪雨が引き起こす水土砂災害は大規模氾濫ばかりではない。崖や斜面地の引き起こす水土砂災害も、大きな人的被害を引き起こす。崖崩れについては土砂ハザードマップが公表されているのだが、斜面地の小規模流域における複合的な水土砂災害への対応はまだ全く進んでいないのが実情だ。2014年、広島・八木の丘陵で、数10haの緑濃い小規模流域が数時間にわたって時間80mm規模の線状降水帯におそわれ、発生した土石流によって下手の町が破壊され、数十人の犠牲者がでた。流域の7割が丘陵地である鶴見川流域でも、広島・八木型の小規模流域水土砂災害への対応が、流域治水の大きな課題となりつつある。

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