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渡辺 靖 :"人種差別問題" に揺れるアメリカ──「 白人ナショナリズム」を読み解く

2020/08/11

  • 渡辺 靖(わたなべ やすし)

    慶應義塾大学環境情報学部教授

黒人青年暴行死事件を契機に

5月下旬に『白人ナショナリズム──アメリカを揺るがす「文化的反動」』(中公新書)を上梓した。ちょうど米ミネソタ州ミネアポリスで白人警官による黒人青年暴行死事件が起きたこともあり、発売後2週間で重版となった。

私にとっては日本語による10冊目の単著となるが、今回は珍しく高校生からも反響が多く、電子メールも数通受け取った。これまで全国の三田会で講演する機会を数多くいただいたが、そこで出会った塾員のご子弟やお孫さんもおり、義塾の縁に改めて深く感謝している。若い世代が今回の事件、そして白人ナショナリズムの動向に当惑しつつも、その背景を理解しようとする真摯な姿に感銘を受けた。

今回の抗議デモの特徴の1つは若い世代が中心的役割を担った点にある。銃規制、気候変動、経済格差、LGBTQ(性的少数派)の権利など、近年、米国の若者は社会正義をめぐる問題に積極的に関与している。ちなみに、米大統領選の民主党候補者選びで「民主社会主義者」を自認する急進左派のバーニー・サンダース上院議員を熱烈に支持したのもこの世代である。

そこにはもっともな理由もある。泥沼化するアフガニスタンやイラクでの戦争、リーマン・ショックによる雇用不安、格差拡大、授業料や医療費の高騰、相次ぐ学校などでの銃乱射事件、異常気象。さらには今回のコロナ禍と人種差別問題。多くの若者にとって「アメリカン・ドリーム」は「神話」に過ぎなくなっている。

加えて、学校や職場では友人や同僚として白人と黒人が接する光景は日常化している。テレビや映画、広告などでも多様性への配慮が当たり前となっている。それゆえ若い世代にとっては、今回の事件の衝撃は大きく、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)を通して小さな連帯が生まれ、やがて大きなうねりとなっていった。白人のデモ参加者が多かった点もそれゆえだ。

この若い世代──いわゆるミレニアル世代(25〜40歳)やZ世代(10代〜24歳)──が今秋の大統領選では最大の有権者ブロックになり、10年後、20年後の米社会の中枢を担う存在となる。社会正義に敏感なこの世代の感性は、背景や程度こそ違え、日本の若者たちにも共有されている。義塾の大学生も例外ではない。

さらにもう1点、今回のデモで特徴的だったのは、有名企業からの支持表明が相次いだことである。もともと日本と比べると政治的な意思表明をする風土が強い米国だが、従来、ここまで広がることはなかった。

確かに、今回の暴行死事件があまりに非人道的で、倫理的な観点からの意義申し立てであったことは想像に難くない。しかし、民間企業にとっては、この問題に関して態度を表明しないことは、「社会的責任を放棄している」「人種差別や人権侵害を黙認している」と誤解されたくないとの判断も働いたであろう。とりわけ米国全体に占める人口割合が増加し、「顧客」「消費者」として影響力を高める若い世代は重要である。加えて、将来、企業として成長するには優秀な若手人材の確保が欠かせない。つまり倫理面と経営面の双方の判断が重なったと思われる。

このことを冷笑的に捉える必要はない。例えば、私は過去20年間の米社会の最大の変化の1つはLGBTQの権利拡大だと考えているが、その際にも同様の力学が働いた。信仰や倫理をめぐる議論、政治的駆け引き、裁判所の判断など複合的な要因はあるが、民意の変化を企業が察知し、そして企業の判断が民意をさらに後押ししていった側面は否定できない。つまり、社会変革の媒介者としての市場の役割である。こうした点については昨年刊行した拙著『リバタリアニズム』(中公新書)を参照願いたい。

「文化戦争」化するアメリカ社会

しかし、話はそう単純ではない。

今回の事件を契機に「ブラック・ライブズ・マター」(BLM、黒人の人権擁護運動)への共感が全米に拡大するにつれ、デモに対する警戒も顕在化した。そして警察改革の要求のみならず、南北戦争(1861〜65年)の南部連合に縁のある人物の像や名称を撤去する動きが活発になるにつれ、白人保守層を中心に反発が強まった。

「負の歴史を風化させないためにも残すべきだ」との声は穏健派からも聞こえる。しかし、「残すのは戦跡や墓でも十分。南部連合の像が建立された時期は白人ナショナリズムの台頭と密接に結びついている」との反論がある。さらにはトーマス・ジェファーソン(第3代米大統領)が奴隷を所有していた点を問題視し、同氏の像や名称の撤去を求める声さえ挙がっている。

もっとも、それに対しては「ジェファーソンは米国建国に尽力した人だ。かたや南部連合の『英雄』は合衆国を倒そうとした『反逆者』だ。同じ土俵で論じられるべきではない」との反論もある。まさに米国版の歴史認識問題であり、「文化戦争」の様相を呈している。

白人保守層からすれば、南部連合の英雄像は必ずしも奴隷制容認を意味しない。むしろ北軍(=連邦政府)の暴政に対する抵抗、すなわち「南部の失われた大義」を象徴する存在でもある。その像を撤去することは自らの尊厳を否定されるに等しい。

白人の歴史は否定され、忘却されるだけのものなのか。

こうした感覚の源流と今日の先鋭的な展開を追ったのが拙著『白人ナショナリズム』である。

もちろん、執筆段階において今回の暴行死事件を予知することは不可能だった。しかし、全くの気まぐれで執筆したわけでもない。前回の大統領選から、異形のトランプ大統領、そして同氏をホワイトハウスの主人に押し上げた米国の社会・政治的背景をどう理解すべきかは、私の関心事であり続けた。

何事も損得勘定(ディール)で捉えるワンマン経営者。劇場型手法に長けたリアリティショーの人気ホスト。そのどちらも正しいだろう。

しかし、私にはトランプ大統領の「白人」としての意識の強さがつねに印象的だった。前回の選挙では「南米移民は犯罪者」「メキシコ国境の壁建設」をアピールしたことは周知の通りである。また、「忘れられた人々」「法と秩序」など、白人保守層を鼓舞すると思しき隠語も多用していた。そうした同氏の姿を、著名な黒人作家タナハシ・コーツは「米国初の白人大統領」と称した。

そして、前回の選挙ではこの「人種カード」なり「分断手法」が功を奏した。然るに、4年前の成功体験がある以上、今回の選挙戦でもどこかのタイミングで同じカードないし手法に訴えてくるだろうとは思っていた。事件後も、事あるごとにトランプ大統領が「法と秩序」を繰り返しているのを目にするとため息を禁じ得ない。

さらに本音を語れば、トランプ大統領の就任以来、毎日のようにメディアや関係機関から見解などを求められる中、ある種のフラストレーションを感じていたのも拙著執筆の動機である。つまり、同氏の一挙手一投足に反応し、米国の報道を必死にフォローし、反射的に論評し、悦に入るために私は研究者の道を選んだわけではない。より底流にある米社会、さらには民主主義社会の地殻変動を考察するのでなければ、そもそも学者としての存在理由はない。

そうした想いから、トランプ大統領が派手な言動を振りまくほど、私自身の気持ちは日々の情報空間や時事解説の世界から遠のいていった。それが研究者としての自分自身の護身術だったのかもしれない。この2年間で『リバタリアニズム』と『白人ナショナリズム』の2冊を上梓できたことは、ある意味、トランプ大統領のおかげである。そして、私の想いを受け止めてくださった出版社には感謝の気持ちしかない。

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