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高橋謙:石綿病はグローバルヘルス課題

2018/11/16

  • 高橋 謙(たかはし けん)

    石綿疾患研究所ADRI所長、シドニー大学医学部前教授、産業医科大学名誉教授・塾員

わが国では2005年にアスベスト(以下、石綿)が大きな社会問題になった。悪性中皮腫(ちゅうひしゅ)(以下、中皮腫)や肺がんなどの石綿関連疾患(以下、石綿病)にかかる人が増えていることが明らかになったためである。間もなく、わが国では石綿が全面禁止された。最近の報道としては、被害者の認定や裁判、古い建物の残存石綿に関するものがほとんどで、これに中皮腫をめぐる最新の診断や治療の話題がわずかに混じる程度である。世間の認識としては、石綿や石綿病が一部の被害者や患者の関心事、または薄れつつある社会問題として受け取られているのかもしれない。

筆者は数年来、石綿病は将来にわたるグローバルヘルス課題であるという認識の下、研究活動を続けてきた。昨今、「グローバルヘルス」はいくつかの団体や大学の研究科の名前にもつけられるようになったが、「グローバル」は多くの国や世界中の人々と関わりをもち、「ヘルス」は保健医療という意味である。従来からグローバルヘルスに近い概念として「国際保健」があるが、扱うテーマや国際連携のあり方に違いがある。風土病対策のような先進国から途上国への一方通行的な協力は国際保健、喫煙や気候変動による健康影響のような双方向的・互恵的な連携が必要となる場合にはグローバルヘルスと呼ぶのが妥当であろう。また「疾病負担(Burden of Disease)」が重要指標となるのもグローバルヘルスの特徴である。

石綿病の現状に関する各国間の乖離(かいり)

ではなぜ石綿病がグローバルヘルス課題と言えるのか。典型的な石綿がんである中皮腫について見ると、その9割以上は石綿の曝露(ばくろ)(石綿にさらされること)によって起きることがわかっている。つまり石綿曝露がなければほとんど起きない(ただし石綿曝露があっても起きるとは限らない)。石綿はこれまで安価で入手しやすい工業原料としてほとんどの国で使われたことがあり、中皮腫は診断が難しいにもかかわらず、世界の半数の国で報告されている。最新の研究は中皮腫、石綿肺がん、石綿じん肺などを合わせ、石綿の職業曝露が原因で毎年22万人以上が死亡すると推定している。世界保健機関(WHO)は各国が石綿使用をやめることで石綿病を根絶すべきだと警告しているが、石綿を全面禁止した国は約60にとどまっている。

石綿病の大きな特徴は、人が石綿に曝露してから病気が現れるまでの時間(いわゆる潜伏期間)が非常に長いことである。中皮腫では30年から50年を要する。国レベルのマクロデータを分析すると、石綿使用量の曲線(第1相)に数十年遅れて必ず中皮腫の流行曲線(第2相)が出現する。ほとんどの先進国で第1相は工業化の進展とともに曲線が上昇した後に減少するが、これを追うようにして第2相の曲線が第1相と相似形的に描かれる。ただし、現時点で石綿病の流行が明確な減少に転じたのは、石綿の削減や禁止が早かった一部の先進国(米国やスウェーデンなど)に限られている。石綿使用からの脱却が遅れた先進国では石綿病の流行は未だ上昇局面にある。残念ながら日本は後者のグループに属する。

他方、途上国の多くは工業化の過程で石綿使用を未だに続けている。ここでの石綿使用とは、石綿採掘のほか石綿原料から建材などの石綿含有製品(以下、石綿製品)を製造する場合と石綿製品を消費するだけの場合がある。石綿使用は前世紀初頭に始まったが、2015年時点でなお5カ国が石綿採掘を行い、約30の途上国が石綿製品を製造している。石綿製品を消費する国(石綿の非禁止国)は途上国を中心に百近い。こうした途上国では石綿病の診断や報告はあっても極めて少ないから、石綿禁止の機運は高まらない。その結果、石綿病の疾病負担が顕在化した先進国で石綿が禁止または大幅削減される一方で、石綿病の疾病負担が顕在化していない途上国で石綿使用が続くという「乖離」が生じている。

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