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安冨潔:「日本版司法取引」の導入で刑事司法はどう変わる

2018/10/17

  • 安冨 潔(やすとみ きよし)

    慶應義塾大学名誉教授、京都産業大学法務研究科客員教授・法教育総合センター長、弁護士

はじめに

タイの火力発電所建設事業を巡り、現地の公務員に賄賂を提供したとして、東京地方検察庁が国内大手企業の元取締役と元執行役員及び元部長の3名を不正競争防止法違反(外国公務員への贈賄罪)で在宅起訴したという報道がなされた。

この事件では、内部告発で疑惑を把握して、社内調査を実施したところ、外国公務員への贈賄行為を禁じた不正競争防止法に抵触するおそれがあるとして、東京地検特捜部に申告し、特捜部と協議を進めて合意することで、本年7月20日、特捜部が、法人については不起訴とし、元幹部社員のみを起訴した。

この事件処理にあたって、いわゆる「日本版司法取引」が初めて適用されたとしてメディアで大きくとりあげられた。

「日本版司法取引」の導入

2016年に刑事訴訟法等の一部を改正する法律が成立し、「日本版司法取引」と呼ばれる協議・合意制度が導入され、本年6月1日から施行された(いわゆる「司法取引制度」には、証人尋問において、証言の拒絶権を行使する証人に対して、刑事免責を与えて供述を強制する「刑事免責制度」(157条の2及び157条の3)も含まれるが、本稿では協議・合意制度について触れることとする)。

この刑事訴訟法等の一部改正は、時代に即した新たな刑事司法制度の構築を目指して証拠収集手段の適正化・多様化及び充実した公判審理の実現を目的としている。

新たに導入された協議・合意制度は、一定の財政経済犯罪や薬物銃器犯罪について、検察官と被疑者・被告人とが、弁護人の同意がある場合に協議して、被疑者・被告人が他人の刑事事件について証拠収集等へ協力をし、検察官がそれを考慮して不起訴や軽い求刑等をする内容の合意ができるというものである。

組織的な犯罪等においては、首謀者の関与状況等を含めた全体の事案解明のために、犯罪の実行に直接関わった者や組織内部の者から供述等を得なければ真相解明が困難である場合が多く、そのためもっぱら被疑者や関係者の取調べに依存せざるを得なかった。また、強固な人的関係からなる組織的な犯罪等では、取調べによって事案の解明に資する供述等を得ることが困難であることも少なくなく、供述等を得るための有効な手法が必ずしもなかった。このような取調べに依存した捜査方法は、ともすれば捜査官による強引な取調べによる弊害を引き起こすことにもなっていた。

このようなことから、取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方を抜本的に見直し、新たな刑事司法制度を構築するために、組織的な犯罪等において手続の適正を担保しつつ事案の解明に資する供述等を得ることを可能にする、取調べ以外の方法を導入することが、必要だとされた。

協議・合意制度の概要

協議・合意制度は、「他人の犯罪」について捜査・訴追に協力することによって自分の事件を不起訴や軽い求刑にしてもらうという「捜査・公判協力型」の制度である。アメリカ合衆国での有罪答弁取引のように被疑者・被告人が「自らの犯罪」について有罪を認める代わりに検察官から求刑を軽くしてもらうといういわゆる司法取引での「自己負罪型」の制度ではない。

協議・合意制度では、特定の財政経済犯罪及び薬物銃器犯罪を対象として、事案解明のために、検察官と被疑者・被告人が、弁護人の同意がある場合に協議して、①被疑者・被告人が、他人の刑事事件について、供述をしたり、証拠物を提出するなどの協力行為をすること、②検察官が、被疑者・被告人の事件について、不起訴にしたり、軽い訴因で起訴したり、軽い求刑をするなどの有利な取扱いをすることを内容とする合意をすることができる。

「他人の刑事事件」についての捜査・訴追に協力するというのは、被疑者・被告人がみずから関与した別の犯罪の共犯者に対する捜査・訴追に協力することが典型的な場合であるが、それだけでなく被疑者・被告人が当該犯罪に直接的に関わっていなくとも捜査・訴追に有用な情報を持っている「他人の刑事事件」の捜査・訴追に協力することも含まれる。

協議・合意ができるのは、「特定犯罪」に限られる(刑事訴訟法第350条の2第2項)。この「特定犯罪」というのは、組織的な犯罪解明のために設けられた制度であることから、いわゆるホワイトカラー犯罪や知能犯(贈収賄、詐欺・横領・背任など)といわれる類型や組織犯罪、薬物犯罪のほか、租税に関する法律、独占禁止法、金融商品取引法の罪その他の財政経済関係犯罪として政令で定めるものが対象とされている。殺人や傷害、強盗などの犯罪は対象犯罪ではない。このような重大な法益を侵害する犯罪や被害感情が強い事件は、合意の対象とすることが相当ではないからである。

合意する内容も、刑事訴訟法に定められていて、被疑者・被告人が、取調べや証人尋問において真実の供述・証言をすること、証拠物の提出やその押収への協力等を約束し、検察官が、不起訴や軽い罪での起訴あるいは軽い求刑(例えば、執行猶予付の刑)をするといったことを約束する。

協議は、検察官と被疑者・被告人及び弁護人が行う。協議には、必ず弁護人が関与しなければならない。合意が適正・公平に行われることを確保するためである。

協議は、検察官か弁護人のいずれかが相手方に協議を申し入れ、相手方が承諾することによって開始される。

検察官が捜査に着手する事件ばかりではないので、警察官が検察官に送致した事件などでは、検察官が被疑者と協議するのに先だって警察官と検察官とで事前協議をしなければならない。これは、検察官と警察官との連携・協調を十分にして捜査に支障が生じないようにするためである。

協議が整い、合意が成立した場合には、その内容を記載し、検察官と、被疑者及び弁護人が署名した合意内容書面が作成される。通常、合意が成立すれば、検察官は、「他人」の刑事事件の立証に用いるため、被疑者から、より詳しい供述を聴取して供述調書等を作成したり、その内容を裏付ける証拠物の提出を受けたり、証拠物を押収するための協力を求めることになろう。これは、被疑者・被告人が、合意を真摯に履行する意思を有しているか、合意した場合に、被疑者・被告人から提供される証拠はどのようなものか、その証拠がこの程度信用できるのかなどを見極めるためである。

合意した被疑者が起訴され裁判になった場合、あるいは起訴された被告人が合意をした場合、検察官は、合意内容書面を証拠として取調べ請求しなければならない。合意された事件であることを裁判所が十分把握するように手続的に明確にしておくためである。また、「他人の刑事事件」の裁判で、合意に基づいて作成された供述調書等を証拠として用いる場合に、検察官は、合意内容書面の取調べを請求しなければならない。これは、合意に基づく供述や証言が、自分の罪を軽くしようという動機から他人を犯罪に巻き込んだり、責任を転嫁したりする危険があることから、裁判所や当該他人とその弁護人に合意の存在と内容を把握してもらい、その信用性を慎重に吟味してもらうためである。

さらに、一方の当事者が合意に違反した場合には、相手方は合意から離脱することができる。

すでに協力に応じて供述調書が作成されていたり、証拠を提供している場合、検察官の合意違反があるときには、原則として、それらの証拠は裁判において用いることはできない。

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