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【演説館】
竹内伸一:「ケースメソッド」と向き合って

2018/07/19

筆者とKBS、そしてケースメソッド

筆者は14年の自動車メーカー勤務の後、自動車産業人としてのキャリアアップを目的に社会人学生としてKBSに入学した。そして、このKBSでケースメソッド教育のシャワーを浴びたことが、筆者の人生の転機となった。

企業で人材育成に従事していた筆者の眼には、ケースメソッドが「ただならぬ教授法」と映り、これは実践的な社会人教育の「鉱脈」だと直感した。また、KBSでケースメソッド教育実践の第1人者である髙木晴夫教授(現名誉教授・名古屋商科大学大学院教授)と出会い、修士ゼミで直接指導を受けることができたことも大きかった。

こうして、自動車人としてのキャリアはあっさりと放り出し、気づいてみるとケースメソッド教育研究者の道を歩きはじめている自分がいた。筆者が今日のポジションにたどりつけたのはKBSで特任教員として10年勤めさせてもらえた経験の蓄積が大きい。

ケースメソッドは「慶應義塾らしさ」を本質的に大きく備えた教授法であるように思う。慶應義塾の建学の精神、学風、歴代の教員、職員、院生、学部学生そして塾員が大切に紡いできた薫り高き学問を花開かせる営みに、ケースメソッド教育の原理と思想がそのまま重なっていると思えるからである。

筆者がそれを最初に感じたのは、1978年に文部省に提出された「大学院経営管理研究科設置趣意書」の一節に触れたときである。そこには次のように記されていた。

「経営に関する科学が打ち立てた原理や原則の中には、経営者として採るべき判断を合理的にし、その識見を高める上に有効なものが皆無とは言えない。しかし、それらをそのまま授ける教育方法は学生の思惟をこれに固着させて思考の弾力性を失わせ、或いは問題の解決を『権威ある』文献とか教師の言に依存して、自ら思索する努力を回避し、ひいては独立自主の精神の啓発を妨げる結果ともなる。

(中略)経営者に不可欠な能力は、反復を厭わざる訓練によってのみはじめて育成し得るものであり、そこで本ビジネス・スクールでは、そのカリキュラムの大半をケース・メソッドに依拠することとしている。」

この文面には、KBSの開校に尽力した5人の若手教員がHBSで学び、そこから持ち帰ったものが大きく反映されていることを、筆者は後から知った。それにしても、文面の随所から、経営教育という新分野に慶應義塾が踏み出すに際しての、大胆なる、しかし熟考の足跡も見られる、知的な清々しさ、学問のほろ苦さ、そして畏敬の念さえ感じさせる。経営教育の向こう側に、妥協なき人間形成に向けた熱き論理がある、と思えたのである。

名古屋商科大学での新たな取り組み

KBSで10年にわたり大学院生に「ケースメソッド教授法」を教えた筆者は、徳島文理大学を経て、この4月から名古屋商科大学ビジネススクール(名商大BS)に移った。年齢的にも人生の折り返し点を少し過ぎたはずの筆者は、この先の時間を名商大BSでケースメソッドに捧げるつもりでいる。

AACSB(The Association to Ad-vance Collegiate Schools of Business)やAMBA(Association of MBAs)といったビジネススクール国際認証の先駆的認証校でもある名商大BSは、いまから3年前に、名古屋の中心部にHBSやIMD(International Institute for Management Development)さながらのケースメソッド教育環境を完備したビジネススクール専用のタワーキャンパス(地下1階地上14階建)を完成させた。名商大本部が大手工務店とともに欧米のトップスクールを訪ね歩き、伝統と革新の両面を見据えつつ、ケースメソッドで教えるビジネススクールの空気感までを忠実に再現した。

これを「形から入っている」と揶揄する向きもあろうが、こうしてできた階段教室の教壇に立った教師は、自説を淡々とレクチャーする気分には絶対になれないし、学生も教師の言にただ耳を傾け、ノートを取りつつ授業終了の鐘が鳴るのを待とうなどという気持ちには絶対にならないと断言できる。

組織を挙げての教授法へのエンゲージメントは、私立大学ではこのようなかたちで立ち現れる。関係者に不義理をしつつも前職地徳島を離れ、名古屋の地に移った大きな理由のひとつに、ケースメソッド教育に強くコミットしている大学経営トップの存在があった。筆者よりもひと足先に名商大BSで教えはじめた髙木晴夫先生も、おそらく同じ気持ちだったのではないか。

かくして髙木先生と筆者が籍を移した名商大には、学内の教学研究組織として、この4月より「ケースメソッド研究所」が新設され、筆者が初代所長に任命された。ここでは研究所スタッフにもFD担当教員を任命するのではなく、学部長クラスばかりを据えた。「教授法は学部長マター」ととらえるところが実に名商大らしい。

本学での筆者のこれからの仕事は、わが国のさまざまな教育主体がさまざまに実践するケースメソッド教育に向けて、「実践の裾野を広げていくこと」と「『本物』と言える実践、の本物度を高めていくこと」の2本建てとなる。個人的には後者に重きをおきたいが、社会のニーズは前者に集中する。前者と後者の相互作用が生じる鍵がどこにあるかを、探し当てていこうと思う。

ケースメソッド教育の近未来展望

近年の教授法は、思想よりも技法に向かう傾向にあり、その教育効果は従前以上に客観的に評価される必要がある。この波は高等教育の先導集団が行う教育にも押し寄せている。より短期の成果化が期待され、教育の標準化は喜ばれても、そこに属人性が残ることは嫌われる。ケースメソッド教育にはまさに「逆風」の時代であるが、「生きにくい時代を生きる」ことも、教授法進化論のよき1頁となるのだろう。

名商大BSのケースメソッド研究所は、ケースメソッド教育に関する日本中の相談に乗るつもりでいるし、情報提供も技術支援もできるだろう。また、こうした活動を原動力として、ケースメソッド教育を研究対象とする博士学位取得者の育成も、さほど遠くない将来に展望できるだろう。ケースメソッド教育を次世代につなげる専門家はそう何人も現れないかもしれないが、歴史をつなぐのが「人」である以上、人に宿さないことには、次世代の発展的実践など見えてこないのである。

むすびに

筆者が研究上の貴重な示唆を受け、議論もさせてもらったHBSのガービン(David A. Garvin)教授が昨年急逝した。「ケースメソッド教育界」というキーパーソンも数少ない小規模な実践世界では、こうした1人の早い死が、教授法の歴史を容易に変えてしまう。最後の言葉は月並みであるが、私たちにも時間は限られているのである。

※所属・職名等は当時のものです。

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