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ダヴィド・ゴギナシュヴィリ:ジョージアとはどんな国か

2018/05/01

  • ダヴィド・ゴギナシュヴィリ

    慶應義塾大学SFC研究所上席所員・塾員

21世紀において、ジョージアは世界の注目を2度集めた。1度目は、親欧米派のサーカシュヴィリ政権が成立した所謂「バラ革命」である。2度目はその5年後、2008年8月に南オセチア(ジョージアの分離地域)で勃発したロシア・ジョージア戦争である。

日本では、2015年に日本政府が使用していた国名が「グルジア」から「ジョージア」に変更されたことが話題になった。また、2016年にジョージアで8000年前のワイン容器が発掘されたことがニュースになり、2017年にジョージアがワイン発祥の地として世界的に認められたことも報道された。そして、2018年1月にジョージア出身の栃ノ心関が初場所で初優勝を挙げたことはメディアに広く取り上げられた。日本におけるジョージアの認知度は徐々に向上しているが、 日本ではジョージアが未だに馴染みの薄い国で、秘境の1つとされている。

本稿ではジョージアの歴史や文化、その国際情勢や日本との関係、ジョージア人のアイデンティティーや国民性等について解説する。

基本情報

ジョージアは、黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方の、5000m級の山々が連なる大コーカサス山脈の南麓に位置する。「文明の十字路」とも称されるコーカサス地方は3000年の歴史を有し、常にアジアとヨーロッパの貿易や交通の要所として、多様な民族と宗教が入り混じり続けてきた。

そのコーカサス地方の地理的・政治的中心であるジョージアの面積は6万9700㎢で、日本の北海道よりもやや小さい。北部はチェチェン、イングーシ、ダゲスタン、北オセチアなどロシア連邦の共和国に囲まれ、東部・東南部はアゼルバイジャンと、南部はアルメニア及びトルコと接しており、西部は黒海に面している。大コーカサス及び小コーカサス山脈に南北に挟まれ、亜熱帯地方から半砂漠まで、多様な気候や風景を持つ国である。

人口は約370万人で、ジョージア人の他にアルメニア人、アゼリー人、ロシア人、オセット人、アブハジア人、クルド人、ギリシア人なども住み、全人口の約4分の1は首都トビリシに集中している。公用語はジョージア語であるが、これはジョージア語を中心とする極めて特殊な南コーカサス語族に所属している。公用文字は、ユネスコ世界遺産に登録され、2000年以上の歴史を持つジョージア文字である。

歴史とアイデンティティー

ジョージアは貿易の要衝というメリットを有する一方、あらゆる大国がそのメリットを手に入れようと当地域を侵略し続けてきた点で、デメリットも抱え続けてきた。

ジョージアは、ローマ帝国、ビザンツ帝国、ペルシア、アラブ、オスマン・トルコ、モンゴル、ロシアなどの大国に幾度も占領されてきた。地政学的に困難な状況の中、自分のアイデンティティーを救うべく、ジョージア人は独自の文化や言語を厳格に守ってきた。

地図を見ればわかるように、ジョージアはキリスト教圏の最東端に位置しており、常に異宗教の民族と対立していた。そのため、言語と並びキリスト正教もジョージア人のアイデンティティー意識の不可欠な要素であった。

19世紀にジョージアはロシア帝国に併合されてしまう。ロシア帝国はコーカサスの支配を企て、「コーカサス戦争」が数十年にわたって繰り広げられ、1801年に東ジョージアが併合され、1860年代までに西ジョージアまでも支配下に置かれたのである。同じキリスト正教であるロシア帝国の支配下に置かれたことで、ジョージアが宿敵であった隣国のイスラム民族との戦争を回避できるようになり、平和を得たと言われているが、もっと恐ろしいことに、何世紀にも渡って守られ続けていたジョージア人のアイデンティティーが消滅する危機に直面した。

自分たちでキリスト教を守る必要性がなくなったからこそ、ジョージア人のアイデンティティー意識が鈍くなっていたのである。19世紀後半に入ると、ペテルブルグ(当時)やパリなどで教育を受けた新世代の知識人が啓蒙運動を興し、文学を復活させ、禁止されていたジョージア語の教育を回復させることにより、独立意識が高まった。

文学がジョージアの国民性に与えた影響は特に著しい。19世紀の文学もその一例だが、ジョージア国民全体に共通する考え方を初めて生み出したのは12世紀の作家ショタ・ルスタヴェリが書いた「虎皮の騎士」という叙事詩であると考えられている。この作品は800年にも渡って修道院や大学で書き写され、研究されており、読み書きのできない一般人の中でも口承で代々伝えられていた。ジョージア人が「虎皮の騎士」を守り、同時に「虎皮の騎士」がジョージアを守ったという言葉があるほど、この叙事詩はジョージアの文化、アイデンティティー意識、騎士道精神や社会における女性の位置に関する概念の形成に影響を与えている。現在、「虎皮の騎士」は日本語を含め数多くの言語に翻訳されており、世界文学の代表作の1つとされている。

ジョージアは1918年に独立を果たし、初めてジョージア人の民主国家が建国された。つまり、今年ジョージアは建国から100周年を迎えるのだ。このときロシアを含め、多くの国々がジョージアを独立国家として承認した。1921年1月に、日本、イギリス、フランス、ベルギー、イタリアなどがジョージアを法令上承認したが、その翌月、ロシアの赤軍がジョージアに侵攻した。結果ロシアに占領され、約70年間ソヴィエト連邦を構成する共和国の1つとなった。しかし、ソ連に組み込まれた当初から独立の機運は高く、1980年代にはバルト三国と共に独立運動が活発化し、1991年、ついに再び独立を果たした。

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