【演説館】
保坂修司:いまサウジアラビアで何が起こっているのか
2018/03/01
MbSの登場
昨年6月、サウジアラビアのサルマーン国王は、甥のムハンマド・ビン・ナーイフ(MbN)皇太子を解任し、実の息子で、1985年生まれの若きムハンマド・ビン・サルマーン(MbS)副皇太子を皇太子に昇進させた。
親バカといってしまえばそれまでだが、実はサルマーンが国王に即位した直後から、業界ではいずれそうなるのではないかとの噂がまことしやかに流れていた。
MbSは別名、ミスター・エブリシング。これは、彼がほとんどすべての権力を掌握していることを表している。主なものだけでも、皇太子、副首相、国防相、政治安全保障問題会議議長、経済開発問題会議議長、国営石油会社サウジアラムコ最高会議議長、公的投資基金理事長、個人財団であるミスク財団理事長などがある。
もちろん、サウジアラビアは国王を頂点とする独裁国家であり、国王には誰も逆らえない。だが、その国王は80歳を超え、体力的にも精神的にも衰えが目立ってきたとされる。その国王の最愛の息子がMbSであり、事実上、国王は若き皇太子がつぎつぎと打ち出す政策のサポート役に回っているといってもいいだろう。
イエメン情勢
MbSが国際社会で最初に大きな注目を集めたのは、父から国防相の地位を受け継いだときである。ちょうどサウジの南、イエメンでシーア派武装勢力フーシー派が合法政府を首都から駆逐して、混乱が高まっていた。若き国防相は、合法政府の要請を受けたかたちで、アラブ首長国連邦(UAE)などと協力しアラブ・イスラーム有志連合を組織、フーシー派およびフーシー派を支援するサーリフ前大統領派に対する軍事攻撃を開始したのである。
だが、情勢は好転するどころか、その後も混乱が増すばかりで、解決の糸口すら見えてこない。昨年末にも共闘していたはずの前大統領とフーシー派の衝突があり、前大統領はフーシー派によって殺害されてしまった。合法政府側でも、共闘を組んでいた南部分離派が離反、合法政府の拠点であった南部の主要都市アデンを制圧してしまった。これにテロ組織、アルカイダや「イスラーム国」も加わり、イエメンはさながら戦国時代の様相だ。
サウジアラビアは合法政府から支援要請を受け、かつ国連安保理決議にもとづき軍事攻撃を行っているのであり、大義は自分たちにあると考えているが、アラブ有志連合軍によるフーシー派への攻撃で多数の民間人が犠牲になったことから、国際社会の非難も浴びている。
軍事的には一進一退だが、事実上泥沼である。油価低迷のおり、イエメンへの軍事攻撃は、サウジアラビアにとって深刻な財政負担となっている。
イランとの対立
イエメンの混乱はしばしばサウジとイランの代理戦争と形容される。スンナ派中心の合法政府を支援するのがサウジアラビアやUAE、シーア派のフーシー派を支援するのがイランという見方である。
もちろんそういう見方ができるのはまちがいではないのだが、そのなかでスンナ派対シーア派の宗派対立だけを強調するのは誤解を招く恐れがある。基本は、中東におけるサウジ・イランの覇権争いとみるべきだろう。両者にとって、宗派は、比較的自由に利用できるカードではあるが、絶対的なものではけっしてないのである。
いまだ混乱のつづくシリアにおいても状況は変わらない。イランがアサド政権を支援しているのに対し、サウジアラビアは、テロ組織を除く反アサド勢力を支援する構図だ。そして、シリアにおいても、イランの支援するアサド政権側の優勢がはっきりしてくるなか、サウジの支援する勢力は明らかに劣勢に立たされている。ここでもサウジは押されっぱなしである。
意外と知られていないが、1990年代から2000年代はじめのころまでサウジはイランと良好な関係をもっていた。しかし、2003年のイラク戦争でイラクにシーア派政権が成立、じょじょにアラブ世界でイランの影響力が拡大すると、両国の関係は緊張しはじめ、イランの核疑惑が明らかになると、対立はさらに深刻化、両国メディア間で非難合戦が応酬されるようになる。結局、2016年1月、サウジでのシーア派法学者処刑を契機に両国は断交した。
当時、米国はオバマ政権で、イランとは宥和的な政策を取りはじめていた。これもサウジアラビアを苛立たせる要素であった。しかし、米国でトランプ政権が誕生し、反イランへと政策転換すると、サウジ・米国関係は、トランプが大統領選中はサウジ批判を展開していたにもかかわらず、ふたたび蜜月を迎えることとなった。
副産物というわけでもなかろうが、同じように対イラン強硬路線を歩むイスラエルがサウジアラビアと接近しているとの噂もよく聞く。非公式では接触している可能性は否定できないが、公式の関係となると、むしろサウジアラビアにとってリスクが大きすぎるといえる。実際、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都として承認し、大使館の移転を発表したとき、サウジアラビアは米国の決定を厳しく批判しているのだ。
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保坂 修司(ほさか しゅうじ)