【写真に見る戦後の義塾】
大学紛争の時代
2019/12/23
1965

1965(昭和40)年1月に沸き起こった学費値上げ反対紛争は、2月5日の三田での全塾学生大会で決着の方向となった。

正門からのスロープに作られたバリケード(三田)
1968
1968(昭和43)年6月3日の新聞報道から沸き起こった米軍資金紛争は、複数回の常任理事、塾長会見後、過激派の塾監局占拠に及んだが、塾生の手により占拠解除となった。
日吉キャンパスは7月5日、バリケード封鎖され、無期限ストライキに入った。一方、三田ではたびたび塾生による集会がもたれた。

3度の永沢塾長会見が開かれた(三田・塾監局第三会議室)。

7月1日の学生大会(三田518番教室)での会田常任理事。

永沢邦男塾長。占拠解除後の塾長室にて(10月4日)

塾監局3階

三田中庭での学生による集会

10月28日法学部が115日ぶりに日吉記念館で授業再開、11月4日に全学部で授業再開。

11月2日全塾学生大会でスト終結決議。 塾生によりバリケード撤去(日吉)
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