【その他】
【講演録】福澤諭吉の智徳論──J・S・ミルとの関連を中心に
2026/03/19
両眼主義
両眼主義というものは福澤に言わせれば「両眼を開て他の所長を見るを得べし」(巻之1 第1章)であります。これはそれぞれ相手の立場、反対論に対しても目配りしなさい、ということです。それによって多事争論も起こり、いろいろな人の考え方を議論すれば、そこに自由が生まれると。そのような比較する視点が重要であると。ミルは、反対論を考慮すると議論において自分の考え方が確実になると論じます。そして知恵の獲得にもなる。それが人間知性の本性であると言うわけです。
もちろん江戸期にも反対論とも言える「諫(いさ)め」の重要性を指摘した人物はいました。例えば堀景山の「聖人」です。堀景山は本居宣長の先生に相当します。それから湯浅常山の武士道です。「東照宮諫言を容れ給ひし事」。主人の前で討ち死にするより、むしろ諫めをする人間のほうが重要だと、それが武士道であると湯浅は言っています。さらに別の解釈可能性について言えば『日本書紀』にも「一書に曰く」と、別の解釈を提示しています。さらに江戸時代には『論語』に対する注釈も朱子学、仁斎学、徂徠学のそれぞれの注釈を比較できるような本が1冊本として出版されています。
しかし、寛政異学の禁で朱子学を正学とすることで、多くの儒者たちは朱子学を奉じることになるわけです。そこで「修身斉家治国平天下」を重んじる。モラリズムに走ってしまう学者が多くなる、それでは文明の新世界では通用しないと。修身斉家の問題と治国平天下の問題は別である、と福澤は強調するのです。
衆論と習慣
そこで、衆論と習慣の問題に入ります。国内衆人の議論、世論というものはどういうものかと言うと、「その時代に在て普(あまね)く人民の間に分賦(ぶんぷ)せる智徳の有様」(巻之2 第5章)であると。これは、だいたい習慣によって「体裁」になります。あるいは「停滞不流の有様」になります。江戸時代は「万事、権現様のお定め通り」という言葉があるように、過去の習慣に拘束されます。「因循姑息」ということです。それが道理であると。
しかしながら、ミルはそういったものは習慣の圧制(the despotism of custom)であり、永遠の停止状態になってしまうのではないか。そこでミルは、指導的立場に立って議論を高尚に導く必要性があると『自由論』で強調します。多数意見は意見がないのと同じだとも言っています。ミルはイギリスの偉大さは集団的偉大さであると言います。しかしながら習慣の圧制に至ると集団的凡庸に陥ってしまう。そこで衆論、世論のレベルを高める方策について、個性の発揮と大人物の養成、あるいは庶民の精神的高尚の育成が非常に重要であると言うのです。
儒学の罪を福澤は精神の奴隷(mental slave)にしてしまっていることだと論じます。ただ、習慣が全て駄目かと いうと、そこが両眼主義のいいところです。智力が権を得る習慣は、「彼の報国心の粗なる者をして密ならしめ、未熟なる者をして熟せしめ、以て我国体を保護することあらば無量の幸福」(巻之2 第5章)になると述べ、そこで習慣の意味を、また考えるわけです。
先程もふれましたが「国を思う心」よりも「国を思う理」のほうが必要だと。国を思う心は儒者たち「修身斉家」が中心となってしまうから、そうではなく、もっとグローバルにものを考えなさい、そして「国を思う理」というものを培う必要があるということです。
西洋諸国の衆論は、個人各個の才智よりも高尚にして人物に不似合いな説と行動をしている。福澤はそう言っていますが、これはミルがイギリスの偉大さは協業能力があって、そういう意味で衆論が優れているのだということに対してです。福澤は東洋諸国の衆論を、「智恵に不似合なる愚説を吐て不似合なる拙(せつ)を尽す者なり」(巻之2 第5章)と論じます。
習慣の相違ということで、衆議の法は「数十百年の古より世々の習慣にてその俗を成し」(同)、それが風習になっていると。「今日に至ては知らずして」事を成す。習慣というものは、久しく同じことをやっていると第2の天然となり、知らず知らずして事を成すと言うのです。これ自体は「Habit is second nature.」ですが、しかしながら習慣は天然、自然ではない。人為、人が作ったものである。だから変革可能性が自然より高いのであります。
天然は当面は変革不可能なものです。そこで自然と作為の問題を区別します。だからミルの言う習慣の圧制(the despotism of custom)は東洋の特徴であると指摘して、それは永遠の昨日、東洋諸国に歴史はない、とミルは言うわけですが、しかしながらミルは別の面で堅実な習慣(the steady habit)の意義を説いております。誤りの是正と確実性を習慣化すれば精神の奴隷どころか、確実な認識に至ることもできるというのです。
日本人がそうしないのは「無議の習慣に制せられて、安んずべからざるの穏便に安んじ、開くべきの口を開かず、発すべきの議論を発せざるに驚くのみ」(同)と福澤は嘆息します。だから、これを批判して議論することを習慣化して物事の判断を確実なものにしようと。
それから続けて、「利を争うは古人の禁句なれども、利を争うは即ち理を争うことなり」(同)。利を争うということは利益の利ということも含めて広い意味がありますが、儒学の世界ではだいたいマイナスイメージです。だから多くの儒者たちは利益に対して悪いイメージを持っています。ところが文明国を見るとそうではない。利益を争うことは道理に適ったものでもあるのだと。
具体例としては、アダム・スミスは利己心に訴えることによって、道理に適う形で国を豊かにする。そしてバックルはそのことが自由貿易をもたらし戦争をやめさせたと論じます。福澤もそこに着眼しています。だから「一国の人民として地方の利害を論ずるの気象がな」いのは駄目だから、「一人の人として独一個の栄辱を重んずるの勇力あらざれば、何事も談ずるも無益なるのみ」。独一個の栄辱とは、ミルの言う「the sense of dignity」です。これが自尊心、あるいは「独立自尊」への契機になります。
そこで福澤は「習慣に由て失うたるものなれば、之を恢復するの法も亦(また)習慣に由らざれば叶うべからず」。ここでは習慣を変ずることは大切である。その場合、ミルの言っているようなindividuality(「個性」)やそういったものが重要で、そういった人たちが新たな習慣を創始して、賢明な行為を行うであろうというのです。
福澤による智徳の分析
それでは今日の本論であるバックル「文明史」を応用したと言われる「智徳の弁」(巻之3 第6章)について考えてみましょう。『文明論之概略』の草稿を研究した方の話によれば「智徳の弁」を書き上げるのに福澤は相当苦心したと指摘しております。
先ほど申し上げましたように、文明はmental progressである。moral とintellectual が本質的であると。このように断言しました。バックルという人は現在ではほとんど読まれていませんが、当時はものすごく影響力があり、それはドストエフスキーやトルストイといった文豪にも及びます。たちまち読まれ、たちまち消え去った思想家とも言われますが、ミルの弟子でもあり、そういう意味では、ミルの影響もあると思います。ミルの場合は、moralというよりはvirtue を重要視しておりますが。
いずれにしても、これは福澤独自に在来の漢語である「智徳」を使用しての分析であろうかと思います。バックルには、私が見た限りですが、こうした分析論はありません。福澤は、そこでmoral を心の行儀として私徳と公徳に分けています。私徳は貞実、潔白、謙遜、律儀のように心の内に属すもの。公徳は廉恥、公平、正中、勇猛といった人間の交際上、社会上に属すものです。これはミルの私徳論と公徳論から来ていると思います。ミルは私徳をself-regarding virtues、公徳をsocial regarding virtues としており、まさに福澤はsocial を「人間の交際上」と翻訳していますことからミルの意図を汲んでいると思います。ミルはその自己配慮の徳を低くみるのではなく、社会的な徳に比して第2次的であると主張します。
もちろんsocial morality という言葉もあり、あるいはthe morality of private life ともミルは使用していますが、ミルは上手くself-regarding virtues、とsocial regarding virtues に分けるわけです。バックルにはない区分を福澤が『大学』『中庸』などを援用して、ミルを参照に明確化したということができるかと思います。
そして、「インテレクト」のほうは、「事物を考え事物を解し事物を合点する働き」(巻之3 第6章)ということで、これも「私智:物の理を究めて応用する働き」と「公智:人事の軽重大小の分別、重大を先に軽小を後にし時と場を察する働き」の2つに分けます。私智や公智という言葉自体も伝統的な漢語としてあります。それを福澤は上手く利用します。その時に、どうもミルのregarding を「智」のほうにも福澤は応用したのではないかと思います。
もともと漢語の私智は「公正でない智慧、狭い考え」のことで『韓非子』などに出てきます。あるいは朱子も「心を尽くすは私智崩さず」と言っている。そういう意味で私の領域のものです。そして「公智」は伝統的な用法では「世間で知られている周知の意」ということになります。
重要なのは、野蛮の太平から文明の太平へという場合、「私智私徳」を推し広めて「公智公徳」にしないと駄目だという福澤の考えです。その場合に聡明叡智(外界の事物の認識と内面的思慮深さ)の働きが必要である。これは『中庸』に出てくる文言です。だから「天下の至聖」は、結局、聡明叡智によって私智私徳から公智公徳に至るのだと。これは漢語に出てくる「大徳」であると。そういう意味では、大きな徳と智恵は不可分な関係にあるということです。
福澤は公智の働きの例として、ワットの蒸気機関とアダム・スミスの経済学を挙げています。これは智恵が世界の面目を一変した例であるというわけです。それから、智徳兼備の例としてクラクソンという奴隷売買の悪法を廃止した人間は智を道具として徳の拡大、即ち公徳の担い手になったと言います。それからハワードは囚人虐待の改善に当たった人物ですが同様だと福澤は論じます。クラクソンやハワードは『童蒙教草』で取り上げた人物ですが、公智公徳をわかりやすく説くために改めて登場させたのだ、と思います。
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