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【講演録】福澤諭吉『民情一新』と「文明の利器」

2025/03/11

福澤が体験した19世紀

それでは福澤先生が生きた明治の日本はどういう時代だったかというと、世界史的には、産業革命直後のイギリスを中心とする新しい「パクス・ブリタニカ」といわれる国際秩序が作られていた時代で、「交通・通信革命」の時代でもありました。日本は、1858年の安政の五カ国条約によって欧米諸国との間で不平等条約が結ばれており、欧米と対等の地位を確立すること、条約改正が日本にとって非常に重要な課題だと思われていたわけです。

こういう時代のなかで福澤先生の著作を考える時には、福澤先生がどういう体験に基づいて、どういう情報を持っていて、世界や社会をどのように認識していたかが非常に重要になってきます。言い換えれば、福澤先生の著作に表れている様々な言説をクロノロジカルに見ることも重要ですが、福澤先生を取り巻く時代の状況がどのように変わっていっているのかを見ることも非常に大事です。人間ですから、当然、社会の状況変化に自然に影響されるので、そのなかで時代との関係性を考え直す必要があると思います。

福澤先生の経験で重要なことは、幕末の3回の欧米体験でした。特に2回目の文久遣欧使節団でヨーロッパに1年ほど行ったことが非常に大きかった。なぜかというと、欧州に行ったことで、日本を欧米との関係で見られるようになったからです。それからもう1つは、ヨーロッパに行く途上、中国やセイロンなどのアジアを通っていくわけですが、そういうところで実際に地域の住民がどのような状況に置かれているのかを体験し、アジアと日本の置かれている相対的な位置を見る目を養ったのではないかと思います。

文久遣欧使節団の体験を反映した典型的な著作が『西洋事情』と言われ、これは福澤先生の翻訳時代の典型的な著作でした。『西洋事情』が書かれる元になっている「西航記」や「西航手帳」などを見れば、鉄道や電信についての非常に細かいメモがたくさん書かれています。もともと科学技術に関心がありましたので、蒸気船や蒸汽車(鉄道)、電信機、新聞などに対する興味は、海外に行く前からすでに持っていました。それをヨーロッパで実際に見て体験してきたことが非常に重要ではないかと思います。『西洋事情』初編の扉絵にも、蒸気船、鉄道、それに地球のまわりを電信線がめぐり、そこを飛脚が走っている有名な口絵があり、そういうことへの関心が表れていると思います。

福澤先生の文明論は、皆さんご存じの通り、『学問のすゝめ』や『文明論之概略』に見られます。特に『文明論之概略』は、当時、非常に流行っていた進歩史観という歴史の考え方に立って、日本が文明史的にどのあたりの位置にあるのかを明確にしようと思って執筆されたものです。

『文明論之概略』が刊行されたのは1875年ですから、福澤先生が見ていた世界は、大体1870年代前半の世界と日本ですが、当時の国際関係は、日本は中国(当時は清国)と対立し、さらにイギリスやロシアが日本の周辺に進出し、一方で明治政府自体は成立して間もなく基盤も確立していないという状況でした。そういう意味で対外的、国内的両方から、明治の国家としての存立が非常に危ぶまれていたなかで『文明論之概略』は書かれている。これが非常に重要なことだと思います。

福澤先生は『文明論之概略』で、文明には2つあると言われています。1つは「外形の事物」、つまり形になっているもの、これは科学技術の発明とか工夫の成果と言っていいと思います。もう1つは「無形」の「文明の精神」で、特に後者の重要性を強調されています。

当時の日本は、進歩史観によれば「半開」、つまり半分開けた国にすぎず、欧米諸国は文明国です。こうした欧米諸国に伍して、日本が国家的な独立を維持していくためには日本も文明国になる必要がある。したがって、「国の独立はすなわち文明なり」という有名な言葉が出てくるわけです。

『学問のすゝめ』にも出てくる「一身独立して一国独立す」という言葉も皆さんご存じだと思いますが、私の解釈では、一身の個人としての独立があって国家が独立するというより、一国が独立するためには一身の独立が必要だ、と考えていたのではないかと思っています。

『民情一新』が書かれた背景

さて、『民情一新』の話に入らないといけません。『民情一新』は、「緒言」という序論のほか5章から構成されています。これまでの先行研究では、『民情一新』の目的を、福澤先生が第5章で論じられるイギリス式の議会制度を日本に導入するのが最適であると主張するために書かれたと、多くの政治史や政治思想史を研究されている方は解釈しています。しかし、私は少し違うと思っています。

福澤先生の『国会論』が、『民情一新』の刊行に先立って「郵便報知新聞」に連載され、門下生の藤田茂吉と箕浦勝人の名前で刊行されてしまったために、『民情一新』で福澤先生が強調している19世紀の文明論の斬新性が政治論にゆがめられてしまって、正当に評価されない原因になっているのではないかと思います。

『学問のすゝめ』や『文明論之概略』はかなりの時間をかけて書かれているのに対して『民情一新』は1カ月ぐらいで書かれています。そのため説明が不十分であったり、文章が練れておらず反復している箇所もよく見られます。それは短期間で書かなければいけない状況があったのだろうと思います。1870年代後半は慶應義塾が経営危機に陥っていた時で、福澤先生が廃塾まで考えるくらい、財政的に大変な状況になっていました。そういう背景も1つあったとは思うのですが、それよりもむしろ、新しい文明論を展開していることをもっと早く知らしめたい、という強い気持ちがあったのではないかと思います。

『民情一新』が書かれたのは1879年ですから、福澤先生が見ていた世界や日本は、『文明論之概略』が書かれた時とはまったく違う70年代後半の状況のなかで、変化し続ける社会を見ながら書かれているのです。それはどのような状況であったかというと、日本の対外関係は非常に平穏で、アメリカとの関係を見ても、グラント大統領が来日したり、『文明論之概略』などで議論されていた、国家として独立を維持しなければならないという、切羽詰まった危機感はこの時期にはもうなかったと言っていいと思います。

一方で、国内は大混乱の時代でした。国会開設の可能性が次第に現実化してきたことから、自由民権運動が高揚してきた。それに西南戦争をはじめとする士族反乱も次々と起こってきた。さらには政府の急速な欧化主義政策に対する批判として、国粋主義あるいは復古主義的な傾向も出てきた。福澤先生はこういう状況はあまり好ましくないと考えたわけですが、このなかで『民情一新』は書かれました。

『民情一新』は福澤先生にとって、今までの西洋の文物の翻訳や翻案ではない、自分の言葉で一気に書き下ろした自信作でした。その割にあまり評価されず、注目も集めなかったのですが、英訳版を出そうということまで考えていたわけです。そういう意味では非常に記念碑的な著作であると考えられます。

アメリカに留学していた長男の一太郎、次男の捨次郎への書簡のなかでこう書いています。1つは、外国人の日本に関する知識は非常に限られているから、これをなんとかしないといけない。2つ目は、日本人が英語で自らの思想を表現することが重要である。そして3つ目には、『民情一新』を英語で刊行することで、日本の学問の国際化を図りたいと。ですから、かなり意欲的な著作であったということがわかると思います。

文明論の転換

『民情一新』の中身について簡単にふれておきます。一番の中心は第3章です。第3章のタイトルは、「蒸気船車、電信、印刷、郵便の四者は千八百年代の発明工夫にして、社会の心情を変動するの利器なり」です。本書の議論のなかで、福澤先生は、特に歴史の進歩の原動力は蒸気機関の発明や改良という技術革新にあったと言っています。「凡そ其実用の最も広くして社会の全面に直接の影響を及ぼし、人類肉体の禍福のみならず、其内部の精神を動かして、智徳の有様をも一変したるものは、蒸気船車、電信の発明と、郵便、印刷の工夫、是なり」と明言しています。

どうして『民情一新』を書いたかという理由は、「緒言」に書かれています。「本編は、蒸気船車、電信、印刷、郵便の四者をもって近時文明の元素と為して論を立たるもの」である。ここでいう近時文明とは19世紀の文明に当たります。「その近時の文明は、蒸気の発明に由て生じ、この発明を以て世界各国の民情に影響を及ぼして恰も斯民を一新したるものなれば、この一新の実況に応じて事を処する者にして始て与に文明を語るべし。本編立論の旨は唯この一義に在るのみ」と述べて、『民情一新』が文明論なのだと明確に言っています。

さらに、「人間社会の運動力は蒸気に在りと云うも可なり。千八百年[代]は蒸気の時代なり、近時の文明は蒸気の文明なりと云うも可なり」と、19世紀の産業革命以降の科学技術の発展によって、前の時代とはまったく違うと言っています。『文明論之概略』においては、バックルの『英国文明史』やギゾーの『ヨーロッパ文明史』という18世紀から19世紀への連続的な進歩史観に立っていましたが、こうした考え方を退けて、19世紀はもう違う時代になったと、この『民情一新』では明確に言っているわけです。『文明論之概略』においては、「無形」の「文明の精神」が日本の独立を推進していくためには必要だと言われていましたが、『民情一新』ではそうではないんですね。

「近時の文明は有形の事物を以て無形の心情を転覆したるものと云て可ならん」。すなわち「無形の精神」でなく、「有形の事物」、科学技術のほうが重要なんだと言う。そういう意味で、『文明論之概略』と『民情一新』の文明論ではまったく考え方が変わってしまっているわけです。

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